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2月 19

亡きオヤジさん撮影の写真たち……昭和30年代の息吹

13年前、85歳で黄泉の客となったオヤジさん(武部孝太郎)は生前、アマチュア・カメラマンでした。

私たち一家が暮らしていた大阪市東区(現在の中央区)龍造寺町の長屋で印刷職人として毎日、カチャン、カチャンと機械を動かしていました。

完全な個人経営、町の印刷屋さんです。

昭和29年1月5日撮影

近所に写真スタジオを営んでいたTさんと懇意になったことから、カメラを手にしたようです。

うちの家は狭かったので、現像や焼け付けができず、いつもTさんのスタジオを利用していました。

カメラは、上から覗いて撮影する二眼レフ(ローライ?)、ライカ、キャノンを愛用していました。

撮影していたのは、ぼくが生まれた昭和29年ごろから東京オリンピック開幕の昭和39年までの10年間です。つまり、昭和30年代!

昭和39年にピタリと写真の世界から遠ざかりました。

その年に東大阪の枚岡に転居したので、Tさんと縁遠くなったのでしょうか。

でも職場は龍造寺町にあったので、ずっとつき合っていたはずです。

オヤジさんは郊外での暮らしを喜び、自宅の庭での菜園に没頭し、いろんな野菜や花を栽培していました。

ぼくは市内の長屋生活に未練があり、時々、祖母が独りで住んでいた龍造寺町の家(父親の職場の2階)に寝泊まりしに行きました。

よくよく考えると、高度経済成長が始まったころ、仕事がだんだん忙しくなり、写真どころではなくなってきたのかもしれませんね。

オヤジさんが兄貴夫婦の暮らす岡山市内で他界してから、遺されたものを整理していたとき、大判に焼いた写真がごっそり出てきました。

身びいきではありませんが、どれもプロが撮ったような出来栄えで吃驚した次第。

そして昨年7月、母親が90歳で永眠したのを機に岡山の家で両親の遺品を片付けていると、さらに写真がぞろぞろと……。

トータルで158点ありました。

そのうち104点が芸術性を追求したものです。

例えば、樹皮、岩、波浪、植物、船のロープなどをアップで狙った作品。

残りの54枚が街(風景)と人を撮ったものです。

とりわけ子どもと人物スナップが興味深い。

どれも当時の息吹がみなぎっており、見映えする写真ばかりです。

うち39枚は昭和30年代の大阪を見事に活写しています。

写真集『大阪市の昭和』(樹林舎)が今年10月に刊行されるので、大阪の分を応募しました。

掲載されるかどうかは分かりませんが……。

埋もれたままにしるのはもったいないと思うので、近い将来、しかるべきところで写真展を開こうと考えています。

とりあえずお気に入りの写真を一挙、ご紹介します~(^_-)-☆

以前、アップした分もあるかもしれませんが、ご了承ください。

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