梅雨空が続いていますね。
昨夜、古巣の読売新聞大阪本社を定年退職する同期2人の送別会がありました。
ぼくたちは1978年(昭和53年)に入社しました。
緊張した面持ちで、これから社会の第一線で活躍するんやと意気込んでいたのが、ついこの間のように思えます。
気がつくと、定年退職を迎える年齢になっていた、そんな感じです。
まさに光陰矢の如し……。
記者が13人、事業本部が1人、販売が数人(入社式で会っただけで覚えていません。ごめんなさい)。
販売局に入った者を除く同期生は結構、仲が良く、折にふれて同期会を開いてきました。
途中、I君が病死し、ぼくが18年前に中途退職し、その後、女性のHさんもアカデミックな世界に転身しました。
ぼくがフリーになってからも、必ず声をかけてくれたみんなの気持ちにはただただ感謝です。
ありがたいです。
入社したころは、新聞というメディアがまだまだ全盛を誇っており、大小問わず記事に重みがありました。
本社も地方支局も活気がありましたね。
それが、ぼくが辞めたころから急速に活力が失せていきました。
大阪の新聞社なのに、東京の支配が強くなり、もはや単なる地方紙にしか見なされなくなってきました。
テレビはおろかネット系の情報に凌駕され、新聞の地位低下はどうしようもありません。
とりわけこの数年間、萎縮しているようにすら感じます。
「武部はええ時に辞めたなぁ」
昨日もみんなからそう言われました。
年齢的に記者職を務めている者はもういません。
エライさんになってはりますからね。
関連会社の社長に就任した者もいます。
それぞれ立場は異なれど、やはりみな仲間ですわ(^o^)v
さて、定年を迎える2人。
H君は某国立大学で広報の仕事に就きます。
もう1人のY君は闘病中なので、療養に専念したいところですが、病気で認知症気味の母親を介護せねばならないという厳しい現実があります。
この年齢になると、人生いろいろです。
そのことを実感しました。