武部好伸公式Blog/酒と映画と旅の日々

ケルト文化に魅せられ、世界中を旅するエッセイスト・作家、武部好伸。映画と音楽をこよなく愛する“酒好き”男の日記。

ポーランド紀行(2011年夏)

ポーランド紀行(8)~映画の匂いが漂うウッジの街

投稿日:2011年8月26日 更新日:

ポーランドで、首都ワルシャワについで第2の都市ウッジ(人口約74万人)にやって来ました。
ガイドブックには「ウッチ」と表記されていますが、クラクフでお世話になった通訳の岩田さんが「ウッジ」と書いてはったので、そう記します。
旅に出て、観光名所ばかり訪れるのはもったいない。
そんな旅、ぼくは大嫌いです。
せっかく海外に出向くのだから、できれば、何かテーマを持って、オリジナルで能動的な旅を心がければ、一生忘れられない思い出になります。
全く観光地でない、おそらく日本では知られていないウッジにぼくの関心を引きつけたのは、映画でした。
この街に来るまで、自分なりに強烈なビッグ・ドラマがありました。
まずはそれを説明します。
ウッジに行く目的のひとつが映画博物館の訪問でした。
しかし日曜日なので、閉館時間が午後3時。
そのことを旅立つ前に日本で調べていました。
それなら翌日の月曜に見ればいいと思ったのですが、月曜が休館日。
なので、どうしてもこの日のお昼過ぎにはウッジに着きたかったのです。
クラクフから直通列車が何本も出ていると思いきや、日曜日とあって、本数が極端に少ない。
バスでは、向こうに着くのが遅すぎる。
そこで列車でワルシャワまで戻り、ウッジ行きの列車に乗り換えることにしました。
それなら午後1時ごろに着けるはずでした。
ウッジはクラクフの北約200キロ。
ワルシャワはクラクフの北北東約280キロ。
位置関係、わかりますか。
つまりかなり迂回するわけですが、それしか移動手段がないので、仕方がないです。
前日、アンジェイ・ワイダ監督と奇跡的な出会いを果たし、ルンルン気分で、クラクフ本駅から午前7時発の快速に乗り、ワルシャワ西駅に向かいました。
車内はいっぱいで、ぼくと妻は連結の間、トイレの前に荷物を置き、そこに座ってました。
こんなことしょっちゅうなので、別段、苦にならなかったです。
3時間後、ワルシャワ西駅で下車、15分後に来るウッジ行きの列車に乗ろうとしました。
しかしホームが1番から10番ほどもある大きな駅で、何番線に列車が来るのかわからず、車掌に聞いたら、「知らない」とすげない返答。
ホームの表示板も地下通路の表示板もすべて壊れている~!!
それに駅員の姿が見当たらない。
地下通路で何とか見つけた女性駅員に、「ウッジ」と書いたメモを見せると、2番線だという。
あわててそのホームに上がると、親切そうな男性が「ここは反対方面、ワルシャワ中央駅行きのホーム。ウッジは7番か8番のはず」と英語で教えてくれました。
えっ! 
先ほどの駅員の答えは何だったのか!?
重い荷物を下げ、また地下通路を通って、7番線に上がると、だれもいない。
8番乗り場も回送列車が停まっている。
そのあと何人かに尋ねましたが、みな答えが違う~!!
その度にえっこらさと荷物を抱えてホームに上がる。
想像してください、かなりしんどいですよ。
1人くらいウッジ方面に行く乗客はおらへんのんか~。
まともな駅員はおらへんのんか~。
切符売り場に駅員がいたのですが、長い行列ができて割り込めない~。
だんだん怒りがこみ上げてきました。
その列車に乗らないと、映画博物館に行けなくなる。
焦った。
でも、刻々と時間が過ぎてゆき、結局、目的の列車が何番線に来たのかすらわからず、乗り遅れてしまいました。
こんな経験、初めて。
情けないやら、腹が立つやらで。
ポーランドの鉄道関係の人! もっとちゃんとせなあきまへんで!!
日本のJRを研修しに来てほしいと痛感した次第です。
ワルシャワ-ウッジ間は、日本で言えば、東京-大阪間みたいなものなのに、日曜日になると、信じられないほど本数が少ない。
参った。
次の列車だと、間に合わない。
あゝ、ワイダ監督との出会いで運を使い果たしたのか……。
そう自分を慰め、半泣き状態で隣接するバスターミナルへ。
鉄道の乗車券はこの際、無駄にしてもしゃーない。
バスならあるかもと期待しました。
しかしバスは夕方の便しかなかった。
あ~、最悪!!!
半泣きどころか、涙が出てきそうになりました。
こうなったら最後の手。
タクシーだ!
ワルシャワ西駅からだとウッジまで100キロの距離。
大阪から滋賀県彦根市までと同じくらいです。
かなりの長距離ですが、この際、贅沢しても致し方なしと腹をくくりました。
バスターミナルから乗ったタクシーの運転者は、ここからウッジまで客を運んだことがなかったようで、驚いていました。
でも、事情を話すと、「よほど映画が好きなんですね」と同情してくれました。
この人、すごく紳士的な中年男性で、10年前、オーストラリアに出稼ぎに行っていたそうで、英語が堪能でした。
車中、ポーランドのことをあれこれと聞くことができ、いつしか列車に乗り遅れたことなんか忘れてしまっていました。
こういう性格なので、助かっています(笑)。
一番印象的だったのが「学生時代、ロシア語が必修でしたが、全然、使い道がないです。英語を話せないと、ダメですね」という言葉でした。
2時間半かかって、何とかウッジに到着。
タクシー代は……、秘密にしておきます(思ったほど高くなかったです)。
午後1時45分。
これなら映画博物館に間に合うぞ。
宿屋に荷物を放り込み、さっそく速歩で博物館へ。
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入り口の案内表示を見ると、なななな何と~、日曜でも午後6時まで開いていることがわかりました。
えっ~~~!!!!!
何のためにワルシャワまで迂回し、タクシーを使ってやって来たんやーー!!!
このときは本当に落ち込みました。
日本でネットでチェックした情報は古かったのでしょう。
指の先に砂糖をたっぷりつけていました。
?????
ツメが甘い……(わかりますか?)。
これも人生経験やと開き直り、館内を見学しました。
入ったところに、ワイダ監督の代表作のひとつ『大理石の男』(1976年)の主人公ビルクートの像がありました。
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感激~!
1950年代、スターリン主義の時代に優れたレンガ職人として、国の英雄に祭り上げられたビルクートが、ちょっとしたことで失墜し、国家の敵になっていく様子をあぶり出した作品。
かつてのヒーロー、今いずこ~。
ワルシャワのラジオ局でアルバイトする女子学生が、タブー視されていた50年代にメスを入れながら、ビルクートの行方を探っていくという展開が結構、スリリングでした。
そのビルクート像の横に立って記念撮影。
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いきなりワイダ監督の世界に触れ、ここはポーランド映画についての博物館だと思いましたが、映画全体の歴史と解説がなされていて、ちょっぴり落胆しました。
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館内には、クラシカルな映画のポスターがいっぱい掲示されていました。
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「鉄十字軍」という邦題の映画のポスターも。
どんな作品だったのか、ピンときませんが。
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これはびっくりしました。
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ズビグニエフ・チブルスキーです。
往年の映画ファンには懐かしいでしょうね。
アンジェイ・ワイダ監督の傑作『灰とダイヤモンド』(58年)で主人公を演じたカリスマ的な男優。
第2次大戦終結前夜、反ソビエト派のテロリスト、マチェックに扮し、鮮烈に散っていった姿が忘れられません。
これは切手の原画らしいです。
だから写真ではなく、肖像画。
ぼくはロンドン(英国)、ベルリン(ドイツ)、フランクフルト(ドイツ)、トリノ(イタリア)、パリ(フランス)など各地で映画博物館を訪れましたが、内容的にはここの博物館はちと薄かった。
なのに、この博物館を観るがために必死のパッチになって……。
いや、もうそれは言うまい。
映画博物館の近くにウッジ映画大学がありました。
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ここはアンジェイ・ワイダ、ロマン・ポランスキー、クシシュトフ・キェシロフスキ、アンジェイ・ムンク……らポーランドの映画人の大半を輩出しています。
前日、ワイダ監督に「ウッジの映画大学に行きます」と言ったとき、「あれは大学ではなく、専門学校ですよ」と笑っていたのを思い出しました。
確かに小さい。
でも、映画監督、テレビのディレクター、舞台の演出家、撮影監督・技師、カメラマン、俳優を養成する立派な国の教育機関。
学生の話を聞きたかったのですが、日曜なので、残念ながら門は閉ざされていました。
このあとウッジの街を散策。
どことなくうら寂しい雰囲気が……。
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これはテレビ局が入っている社会主義時代のビルです。
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おそらく戦前の建物だと思います。
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ウッジは19世紀、繊維産業で殷賑をきわめ、一大工業都市に発展しました。
戦後の米ソ冷戦時期も「イトヘン」の街として活況を呈していましたが、89年に民主化が実現してから、みるみるうちに衰退していきました。
かつての工業都市が歩むよくあるパターンですね。
それが最近、都市開発が進み、文化をメーンに再生を図っているようです。
街の北側に、巨大な繊維工場を改造し、映画館、ショッピングモール、博物館などを兼ね備えたアミューズメント施設「マニュファクトゥーラ」ができていました。
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目抜き通りのビオトルフクスカ大通りで、ロマンスキー監督とキェシロフスキ監督の名を刻んだプレートを見つけました。
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ウッジから出た世界的に有名な映画監督に対する顕彰碑みたいなものなのでしょう。
どういうわけか、ワイダ監督のプレートが見当たりませんでした。
しかし市立歴史博物館で収穫がありました。
ワイダ監督の文芸映画『約束の土地』(74年)をたたえた展示があったのです。
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この映画は19世紀末、ここウッジで、ポーランド人青年、ドイツ人青年、ユダヤ人青年の3人が共同で繊維工場を興す物語です。
3人3様、国民性(民族性)の違いを表し、結局、頓挫するという、ちょっぴり皮肉めいた内容でしたが、文学の香りが充満しており、ぼくには非常に印象深い作品です。
撮影はすべてウッジで行われました。
だから、もちろんワイダ監督への敬意が表されていました。
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3人の俳優が20年後の1994年に再会したときの写真です。
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あっと驚いたのが、ショパンを弾かせたら右に出る者はいないといわれたピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインのコレクションが展示されていたことです。
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「神に愛されたピアニスト」
こんな異名を持つユダヤ系の音楽家ですよね。
彼はウッジで生まれ育ち、大戦の2年前(37年)にナチスの脅威から逃れ、渡米しました。
わ~っ、日本語のポスターも。
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工業都市だったウッジで、思いのほか文化に触れ、何だか得をしたような気分に。
はい、タクシー代のことは完全に忘れていました(笑)。

-ポーランド紀行(2011年夏)

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武部好伸(タケベ・ヨシノブ)
1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。