コルシカ島北東部のバスティアに来たのは、東方約80キロ沖合いのエルバ島(イタリア)への日帰り旅行をするためでした~🚢
エルバ島は皇帝を退位させられたナポレオンが流され、299日後に脱出した島です。
その後、ナポレオンは皇帝に復位するも、ワーテルローの戦いで敗れ(三日天下!)、二度と脱出できないように南大西洋の孤島セント・ヘレナ島へ送られ、そこで生を全うしました。
夏のシーズンには、バスティアから週に3回、エルバ島行きのフェリーが運航されています。
ところが9月になると、限られた日しか就航しておらず、バスティア滞在中にはそのフェリー便がないことがわかり、愕然としました~😣
またも詰めが甘かった~(;_;)/~~~
最近、この手のミスが増えてきてるなぁ~😣
まぁ、時間ができたので、コルシカ鉄道を使って山間部にある古都コルテを訪れました。
山の上に城塞があり、何とも落ち着いた雰囲気。
島で唯一の大学、コルシカ大学もここにあります。
どうしてコルテが古都なのかというと、1755年、ジェノバから独立を勝ち取ったあと、ここに都が置かれたからです。
各地で素敵な光景と出会え、充実したコルシカ博物館に堪能し、エルバ島のことなどすっかり頭から吹き飛んでしまいました~(笑)
で、ナポレオンですが、先日、滞在したアジャクシオで生を授かったにも関わらず、コルシカ島では極めて影が薄いのです。
ナポレオンの像がそこいらにあり、ナポレオン・グッズが多々、出回っていると思いきや、あまり目にしません。
バスティアの中央広場にはローマ皇帝風にナポレオン像が屹立していましたが……。
やはりナポレオンの父親がジェノバからの独立戦争時(1729~55年)、指導者パスカリ・パオリの副官であったにも関わらず、裏切ってジェノヴァに加担するフランス軍側に就いたことや、ナポレオン本人も独裁者として中央集権を推し進め、コルシカ島の固有文化を蔑ろにしたからでしょう。
因果応報……。
コルシカ島の最大の英雄は何といっても、独立戦争に勝ち、独自政府を樹立したパスカリ・パオリです。
あちこちに像やモニュメントがあり、ワインの銘柄や通り名にしているところも多くあります。
コルテには立派な像が立っていました。
コルシカ島=ナポレオンというイメージが強かっただけに、日本と現地の温度差に唖然としました。
やっぱり現場を踏まな実像が見えてきませんね。