Category Archive: 父親の写真

8月 11

『あゝ、懐かしの大阪~昭和30年代の息吹~昭和の大阪写真展』のDMできました~(^_-)-☆

『あゝ、懐かしの大阪~昭和30年代の息吹~昭和の大阪写真展』

こんなタイトルで、亡き父親の写真が9月21日~10月17日、大阪市立中央図書館で展示されることになりました(自由に観られます!)。

以前、Facebookに投稿しました大阪の写真の数々です。

堺のウエブ・デザイナー樋口さんがレトロ感あふれる素晴らしいDMを作ってくれはりまして、それが今日、届きました!

追ってDMを郵送する人もいますが、重複したらごめんなさい。

これからもしつこく告知します~(笑)

2月 19

写真作品(4)~その他もろもろ

『夜行列車』。2等客車です。散乱するゴミ、ヤカンが当時の空気を濃密にはらませていますね。

どういうわけか、ブタ!!

『水溜まり』

漁村の子ども。場所不明。

浜辺の漁船。場所不明。

海岸の流木。場所不明。

奈良・室生寺の三重塔。

安芸の宮島。芸術性を狙ったのか、わざと水滴をつけています。

どこかの山寺。奈良っぽい感じがします。

越前・福井の東尋坊のようです。新藤兼人監督の映画『裸の島』の舞台とよく似ていますね。

琵琶湖(1)

琵琶湖(2)

松の木。見惚れてしまいます。場所不明。

南紀の新宮大橋。

京都・京福電鉄北野線の龍安寺駅。線路のポイントに焦点が当たっています。

2月 19

写真作品(3)~大阪の風景

大阪のエネルギー源のひとつ、関電春日出発電所。今は跡地にコーナンが建っています。

阪神工業地帯を象徴する工場群。場所不明。

『煙突の見えるところ』。瓦解している煙突が気になります。四貫島辺りか?

大阪市バスのターミナル。天王寺駅前か? アングルが絶妙ですね。

天王寺七坂のひとつ、源聖寺坂(大阪市天王寺区)。このおじさん、行商してはるのかな?

大阪のとある寺町。谷町界隈かな?

高く屹立する1本のシュロの木。場所は不明。

大阪市阿倍野区の南霊園。

天王寺動物園

桜宮の銀橋。

空堀商店街に通じる道(谷町筋のひとつ東側)。

ご存知、住吉大社の太鼓橋。

母校・大阪市立南大江小学校の運動会。

先代(3代目)大阪駅の中央コンコース。右手の建物が第一生命ビル。当時の高層ビルでした。

天神祭りの警備。天神橋で。

近鉄布施駅の踏切。電車は当時の近鉄特急。

当時の龍造寺町。路地が遊び場でした。*小さなスナップ写真から

雨の龍造寺町。おそらく映っている子どもがぼくです。

2月 19

写真作品(2)~人物スナップ

松屋町(まっちゃまち)での仕入れ

松屋町(まっちゃまち)での仕入れ

昼下りのうたた寝。盗撮です~(笑)

大阪港の遊覧船。疲れ切った船乗りさん

『日曜画家』。天保山です。後方が日立造船所。

タイトルは『夏』。長柄橋(先代)が架かる淀川です。

『渡船を待つ人たち』。安治川のどこかの渡し?

『夏祭り』。高津神社かな?

『夏祭り』。高津神社と思うのですが……。

『屋外での絵画』。場所は不明。

場外馬券場。難波・大阪球場に併設されていましたね。

2月 19

写真作品(1)~大阪の子どもたち

子どもたちの集い。生まれ育った龍造寺町。ぼくは真ん中です。

当時、公園は子どもだらけでした。場所不明。

滑り台でよぉ遊びましたわ。

何を楽しそうに喋っているのかな?

綿菓子を頬張る女の子。母校の大阪市立南大江小学校の運動会で。

屋外での散髪。こんな光景、よく見てました。

当時、あちこちにドブがありましたね~。

泣きっ面。ぼくです~(笑)

駄々っ子。盗撮ですね(笑)

2月 19

亡きオヤジさん撮影の写真たち……昭和30年代の息吹

13年前、85歳で黄泉の客となったオヤジさん(武部孝太郎)は生前、アマチュア・カメラマンでした。

私たち一家が暮らしていた大阪市東区(現在の中央区)龍造寺町の長屋で印刷職人として毎日、カチャン、カチャンと機械を動かしていました。

完全な個人経営、町の印刷屋さんです。

昭和29年1月5日撮影

近所に写真スタジオを営んでいたTさんと懇意になったことから、カメラを手にしたようです。

うちの家は狭かったので、現像や焼け付けができず、いつもTさんのスタジオを利用していました。

カメラは、上から覗いて撮影する二眼レフ(ローライ?)、ライカ、キャノンを愛用していました。

撮影していたのは、ぼくが生まれた昭和29年ごろから東京オリンピック開幕の昭和39年までの10年間です。つまり、昭和30年代!

昭和39年にピタリと写真の世界から遠ざかりました。

その年に東大阪の枚岡に転居したので、Tさんと縁遠くなったのでしょうか。

でも職場は龍造寺町にあったので、ずっとつき合っていたはずです。

オヤジさんは郊外での暮らしを喜び、自宅の庭での菜園に没頭し、いろんな野菜や花を栽培していました。

ぼくは市内の長屋生活に未練があり、時々、祖母が独りで住んでいた龍造寺町の家(父親の職場の2階)に寝泊まりしに行きました。

よくよく考えると、高度経済成長が始まったころ、仕事がだんだん忙しくなり、写真どころではなくなってきたのかもしれませんね。

オヤジさんが兄貴夫婦の暮らす岡山市内で他界してから、遺されたものを整理していたとき、大判に焼いた写真がごっそり出てきました。

身びいきではありませんが、どれもプロが撮ったような出来栄えで吃驚した次第。

そして昨年7月、母親が90歳で永眠したのを機に岡山の家で両親の遺品を片付けていると、さらに写真がぞろぞろと……。

トータルで158点ありました。

そのうち104点が芸術性を追求したものです。

例えば、樹皮、岩、波浪、植物、船のロープなどをアップで狙った作品。

残りの54枚が街(風景)と人を撮ったものです。

とりわけ子どもと人物スナップが興味深い。

どれも当時の息吹がみなぎっており、見映えする写真ばかりです。

うち39枚は昭和30年代の大阪を見事に活写しています。

写真集『大阪市の昭和』(樹林舎)が今年10月に刊行されるので、大阪の分を応募しました。

掲載されるかどうかは分かりませんが……。

埋もれたままにしるのはもったいないと思うので、近い将来、しかるべきところで写真展を開こうと考えています。

とりあえずお気に入りの写真を一挙、ご紹介します~(^_-)-☆

以前、アップした分もあるかもしれませんが、ご了承ください。