Category Archive: フランス南西部紀行(2014年夏)

8月 29

(10)フランス南西部紀行~パリ〈最終回〉

花の都、パリ。

 

ぼくは正直、夏の観光シーズンのパリは好きではありません。

 

ぼくも観光客なのですが(笑)、その中に紛れ込んでしまうのが大嫌いなんです。

 

へそ曲がりです~(^_-)-

 

だからルーブル博物館、エッフェル塔、凱旋門、シャンゼリゼといった名所には足を運ぶ気になれず、穴場的なところに行くつもりでした。

 

それがギュスターブ・モロー美術館。

 

パリジャンのモロー(182698年)は象徴主義を代表する画家です。

 

画風は全く違いますが、アンリ・マティスやジョルジュ・ルオーの先生です。

 

古代ギリシア神話を題材にした幻想的な作品の数々。

 

ユニコーン(一角獣)が寄り添い、ヘラクレスが苦悶し、アポロンが雄たけびを上げる。

 

大学時代、この美術館で初めてモローの世界に接し、心底、惚れ込んでしまいました。

 

だから、38年ぶりの再訪です。

 

昔は古色蒼然とした幽霊屋敷のような印象を受けたのですが、リニューアルされたのか、妙にきれいになっていました。

 

パリの他の美術館とは違って入場者が少なく、落ち着いて鑑賞することができました。

 

 

館内撮影のOK

 

ありがたいです。

 

このあとメトロでパリ南東部の開発地区ベルシーへ。

 

シネマテーク・フランセーズ(映画博物館)を見学するためです。

 

かつてはエッフェル塔の近く、シャイヨー宮にありました。

 

そこで若かりしころのフランソワ・トリュフォー、ジャン・リュック=ゴダール、クロード・シャブロルらが日々、映画を観まくり、やがて「ヌーヴェル・ヴァーグ」として映画革新運動を起こしました。

 

フランス映画、いや世界の映画の「聖地」とも呼べるところです。

 

学生時代、パリに滞在中、ぼくは毎日、そこに入り浸っていました。

 

それが1997年に火災に遭って閉館。

 

2005年、ベルシー地区で甦りました。

 

展示内容が充実していると聞いていたので、必見スポットです。

 

ルンルン気分でシネマテークに来ると、あろうことか休館中。

 

ガーーン!!

 

9月2日まで夏休みとか。

 

そんあ、アホなことあるかい!

 

この時期、パリに来る観光客が一番多いのに。

 

案の定、次から次へと映画ファンが来て、みな失望していました。

 

腹が立ち、気分直しに近くのカフェでモヒートをオーダーしたら、信じられないくらいマズかった~((+_+))

 

10ユーロ(約1400円)もしたのに!!

 

これをもって旅の終わりにしてはアカン。

 

そう思って、北西部のサン・マルタン運河に向かいました。

 

この辺り、観光客が少なく、落ち着いたたたずまい。

 

市民の憩いの場になっています。

 

運河沿いにアイリッシュ・パブを見つけたので、ギネスで飲み直し(ハーフ・パイントですが)。

 

そして、念願の建物を発見しました。

 

HOTEL DU NORD(北ホテル)。

 

戦前、活躍したフランス映画界の巨匠マルセル・カルネ監督(190696年)の代表作『北ホテル』(1938年)の舞台になったところです。

 

滋味あふれる群像ドラマでした。

 

撮影はほとんどスタジオで行われましたが、それでも名作の地であるのは間違いありません。

 

今はホテルではありません。

 

カフェとレストランになっています。

 

でも、ぼくにとっては「北ホテル」なのです。

 

旅の最後に満足できるところに来られ、ほんま、よかったです。

 

ケルト、映画、お酒、歴史……。

 

ぼくの好きな世界をとことん追求した旅でした。

 

ワイン、ビール、それにパスティスをよく飲みました。

 

収穫大の旅。

 

これをもって、レポート終了です。

8月 29

(9)フランス南西部紀行~オルレアン

ロワール川を上流に向かっていくと、オルレアンの町があります。

 

そこは、言わずと知れた「ジャンヌ・ダルクの町」として知られています。

 

1429年、英仏間の百年戦争の最中、イングランド軍に包囲されていたオルレアンを解放し、それに乗じてイングランド勢力をフランスから駆逐しようとした17歳の乙女です。

 

イングランド支配下のルーアンで捕えられたジャンヌは宗教裁判にかけられ、火あぶりの刑に処せられました。

 

このフランス最大のヒロインは今や聖人に叙せられています。

 

そのゆかりの町オルレアンへ、ラ・ロシェルから鉄道を2回乗り継いでやって来ました。

 

天気が悪いです。

 

今回の旅では初めて。

 

あの地中海の陽光が懐かしい……。

 

ジャンヌの騎馬像が町のシンボルです。

 

 

彼女がしばらく滞在した家が「ジャンヌ・ダルクの家」という博物館になっていました。

 

威風堂々と建つサント・クロワ大聖堂も絵になります。

 

ちょっと話がそれますが、今回の旅で気になったのが、イギリスの国旗「ユニオン・ジャック」をあしらったカバン、バッグ、財布、Tシャツなどを持つ(着る)フランス人をよく見かけたことです。

 

 

ジャンヌ・ダルクのころからライバル同士、いや敵対関係にあったのに、それがファッションのデザインとして採り入れられている。

 

そのことを、旅の最初に出会ったリュネルの観光案内所のスタッフ、ローラさんにFacebookで聞いたら、「何でなんでしょうね?」と。

 

理由はともあれ、面白い現象だと思います。

 

オルレアンの考古学博物館には、思った通り、「ケルト」の遺産が展示されていました。

 

イノシシ、ブタ、シカ……。

 

 

古代ケルト人(ガリア人)がエネルギーと繁殖の象徴として崇めた動物たちの像の数々。

 

ハンガリーやチェコでも同じようなものを見ました。

 

これでもって、「ケルト」関連の取材は終了です。

 

思いのほか、「ケルト」と対峙することができ、安堵しました。

 

夜半、大雨になり、雨宿りのために駆け込んだレストランが、何とカンボジア料理店でした。

 

フランスには、かつてのインドシナ植民地ベトナム、カンボジア、ラオスの料理店があちことにあります。

 

ぼくはまだカンボジア料理を食したことがなく、うれしかったです。

 

口にしたのが、パイナップルの「容器」に入れた酢豚風の料理でした。

 

具は豚肉ならぬ、カモ肉でしたが、ロワールのさっぱりした白ワインによく合いました。

 

さぁ、明日はパリ。

 

そろそろ旅も終わりやなぁ……。

 

ふと、寂しくなりました。

 

8月 29

(8)フランス南西部紀行~ラ・ロッシュ

ぼくの一番好きなフランス映画、それは『冒険者たち』(1969年)です。

 

飛行機乗りのマヌー(アラン・ドロン)、自動車整備工のローラン(リノ・バンチュラ)、前衛造形芸術家のレティシア(ジョアンナ・シムカス)。

 

それぞれ自分の夢を断たれ、絶望的になっていた3人がアフリカのコンゴ沖に沈んでいる財宝を取りに行く。

 

そこにギャングが絡み、さらにレティシアに対するマヌーとローランの恋情が重なる。

 

夢とロマン。

 

ジョゼ・ジョバンニの小説を名匠ロベール・アンリコ監督が実に素晴らしい映画に仕上げました。

 

その最後の舞台が、海に浮かぶ要塞でした。

 

コンゴで死去したレティシアの生まれ故郷から見える人工島で、そこでマヌーがギャングに殺される……。

 

ボイヤール要塞。

 

それをこの目でしかと見たくて、アングレームから大西洋岸の港町ラ・ロシェル(LaRochelle)にやって来ました。

 

ラ・ロシェルは非常に瀟洒な町です。

 

 

観光地ですが、ほとんどがフランス人です。

 

海外からの観光客はそれほどいません。

 

旧港から遊覧船に乗りました。

 

おそらく、『冒険者たち』目当てにしている人はぼくだけかもしれません。

 

1時間ほど揺られ、ようやく要塞の近くに達しました。

 

おーっ!

 

思わず声を上げてしまいました。

 

 

 

180457年にかけて建造された軍事要塞です。

 

映画撮影時は、ここに「上陸」できましたが、老朽化が著しいとの理由で、それがあたわず、船から眺めだけ。

 

裏手に回ると、補修工事が行われていました。

 

それでも、ぼくは十分、満足、満足。

 

アラン・ドロンが語りかけるように歌った『レティシア』のテーマ曲が脳裏をめぐり、ひとり悦に入っていました。

 

ほんま、来てよかった。

 

何でも現場を踏まなあきまへんなぁ~(^_-)-☆

8月 29

(7)フランス南西部紀行~アングレーム

ボルドーで“ワイン三昧”し、北東のアングレーム(Angouleme)へ向かいました。

 

途中、クートラスという田舎の乗り継ぎ駅で、意外な光景を目にしました。

 

ドイツ国鉄のICE(高速列車)の白い車両が停まっていたのです。

 

こんなところまでICEが来ているのか!?

 

そのことをFacebookで投稿すると、鉄道マニアの人からすぐに「回答」がありました。

 

ほんまにすごい時代ですね(笑)

 

2年後にICEがフランスの主要都市に乗り入れるとのことで、その試運転らしいです。

 

なるほど。

 

ヨーロッパは地続きだから、国際列車がいっぱい走っています。

 

フランスのTGVもベルギーやスイスに直結しています。

 

ドイツも負けてはならじと攻勢をかけているのでしょう。

 

ぼくは左手に停まっているアングレーム行きの古めかしい鈍行に乗りました。

 

こういう車両の方が好きです。

 

アングレームはシャラント県の県庁所在地ですが、人口は4万人ほど。

 

丘陵の上に広がる典型的な田舎の町です。

 

ここに来たのは、その丘陵が紀元前5世紀~同1世紀、オッピドゥムだったから。

 

おそらくガリア人のピクトン族が定住していたと思われます。

 

当時、イクリスマ(Iculisma)と呼ばれていました。

 

主要街道から外れており、ローマ帝国はそこに手を加えなかったのですが、シャラント川を見渡せる立地を戦略的要所と見なし、紀元3世紀からガリアの拠点のひとつになりました。

 

川から丘を眺めると、まぎれもなくオッピゥムらしく思えてきます。

 

美しい町です。

 

その中心部にあるアングレーム博物館で素晴らしい「ケルト」の逸品と出会いました。

 

紀元前4世紀ごろに作られた儀礼用の兜です。

 

金で覆われているゴールデン・ヘルメット!!

 

1981年にほとんど無傷のまま発見されたそうです。

 

微細な文様がうごめいています。

 

何から何まで「ケルト」です。

 

これぞケルト美術のエッセンス。

 

こんな貴重な遺産とめぐり会えるとは思わなかったので、身体が震えました。

 

アングレームにやって来てよかった!!

 

つくづくそう実感した次第です。

 

この町はコミックの見本市でもよく知られています。

 

雨宿りに駆け込んだところがコミック博物館でした。

 

その売店に、世界各国の漫画が所狭しと置かれていました。

 

一番多かったのがジャパニーズ・コミック。

 

『コナン』『ピカチュウ』『北斗の拳』……。

 

 

みなフランス語版です。

 

なんと手塚治虫の『新宝島』があったのには吃驚しました。

2年前、オランダのライデンで知り合った少女はジャパニーズ・コミックとアニメの影響で大の日本好きになったと言っていました。

 

なんかうれしいですね。

 

「ケルト」の至宝と日本のコミック。

 

アングレームという町にぞっこん惚れてしまいました。

8月 27

(6)フランス南西部紀行~ボルドー

バイヨンヌから、フランス国鉄が誇るTGV(高速列車)に乗らず、鈍行でボルドーに来ました。

 

今回の旅では、基本は普通列車での移動。

 

以前、フランスを旅した時、車両が古くて汚く、しかも時刻表通りに来なかったです。

 

ストライキも多いし……。

 

ところが今や、車両はクリーン、快適、快適~♪♪

 

1回だけ出発時に10分遅れがあったけれど、他はすべてオン・タイムでした。

 

約2時間でボルドー・サン・ジャン駅に到着。

 

風格のある大きな駅です。

 

湾曲するガロンヌ川の両岸に市街地が広がっています。

 

ワインの産地とあって、街中にもブドウ畑があると思っている人がいますが、郊外にしかありません。

 

ボルドーは12世紀半ばから約300年間、イングランド領となり、ワインと奴隷貿易で殷賑を極めました。

 

その名残を今にとどめる重厚な建物が立ち並んでいます。

 

トラムが走っており、街の風情とよくマッチしていました。

 

駅前周辺はアラブ系とアフリカ系の住民が多く、それより北側がフランス人の居住区です。

 

アキテーヌ門という凱旋門が建つヴィクトワール広場をはさんで住環境と雰囲気がガラリと変わります。

 

カフェのお酒の値段もかなり違います。

 

ぼくはどちらでも対応できますが、観光客は的確に状況を読み取り、あまり駅周辺には近づきません。

 

その境目にあるカプサン市場を覗くと、夏休みで閑散としていました。

 

お父さんの横で一生懸命働く娘さん、きれかったなぁ~(^^)/

 

 

かつての貯蔵庫を利用したワイン&ネゴシアン博物館は面白かった。

 

ネゴシアンとはワイン商人のことです。

 

銘醸ワインのボトルがズラリと……。

 

ワイン通の人にはたまらないでしょうね。

 

こんな展示もありました。

 

グラスでワインを味わえば天使になるが、ボトルをグイ呑みすると、悪魔に変身する……。

 

うーん、心当たりがあるので、自戒せねば~(^_-)-

 

 

そうそう、街中で意外なシールも見ました。

 

懐かしいですね。

 

 

ヒョウ柄ならぬ、トラ柄の服を着たおばちゃんもいました。

 

 

閑話休題――。

 

見学を終えると、白と赤ワインを試飲。

 

量が少なく、ひと口で飲み干しました(笑)

 

ボルドーにも、もちろんガリア人が定住していました。

 

アキテーヌ博物館で目にした「ケルトの笑う人物像」は実にほほ笑ましい。

 

何でも街の中心部のグランドホテルの駐車場で発見されたとか。

 

ボルドーに来て、シャトーを見物しない手はない。

 

でも、個人で訪れるには事前にきちんと予約を入れておかねばなりません。

 

そんな邪魔くさいことはできないので、観光案内所のシャトー・ツアーに参加しました。

 

1人、34ユーロ(約4700円)。

 

5時間かけて、2か所を大型バスで巡ります。

 

サンテミリオンに行きたかったのですが、目的地はボルドーの南東に位置するルピアック(Loupiac)地方でした。

 

ガロンヌ川上流の右岸です。

 

Chateau de CrosChateau Langoiran

 

どちらのワインナリーも中国とアメリカが最大の輸出国です。

 

ツアーの参加者約70人のうち、20人ほどが中国人でした。

 

日本人はぼくたち夫婦と子供連れの若い夫婦だけ。

 

中国の人は試飲の時、よぉ飲んではりましたし、ワインもよぉ買うてはりました。

 

ガイドのフランス人女性はフランス語と英語で案内してくれましたが、そのうち中国語の説明が入りそうな予感がしています。

 

緩やかな丘陵地に累々と広がるブドウ畑。

 

のどかです。

 

そんな中で口にするワインはほんまに最高でした~!

 

旅の疲れがいっぺんに吹き飛びました。

 

トレビアン~(^_-)-

8月 25

(5)フランス南西部紀行~バスク地方

バスク地方。

 

非常に気になる地域です。

 

大西洋のビスケー湾に面しており、ピレネー山脈をはさんでフランスとスペインの両側にまたがっています。

 

総人口は約260万人。

 

バスク人は独特な言語を持ち、そのルーツがいまだによくわかっていません。

 

フランス語でバスクはBasque.

 

しかしバスク語ではEuskal.

 

全然、ちゃいますね~((+_+))

 

安土桃山時代に日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル、キューバ革命の英雄チェ・バレラもバスク人です。

 

トゥールーズから列車でフランス・バスク地方の中心地バイヨンヌに向かったのですが、聖地ルルドを通過したあと、ポー駅で代行バスに乗り換えました。

 

架線の保全工事みたいでした。

 

バイヨンヌに降り注ぐ陽光は、地中海のそれとは異なり、エネルギーが弱い。

 

 

アドゥール川とその支流のニーヴ川を抱える町並みは存外に瀟洒。

 

それほど違和感はなかったです。

 

しかし街の表記がフランス語とバスク語で併記されており、バスク「国旗」も翻っています。

 

 

バスク博物館に入ると、祭りのときに変身する衣装(秋田のナマハゲ!)やバスク特有の文化遺産をいっぱい目にすることができました。

 

いかにもケルトらしい人物像をあしらった十字架がありました。

 

この辺りにも紀元前2世紀ごろには10数部族のガリア人が定住していたので、その影響かなと思いましたが、これは18世紀に「流行」した磔像とのことでした。

 

バスクといえば、食です。

 

グルメが多いので有名ですね。

 

ここバイヨンヌの生ハムには吃驚しました。

 

イタリアの薄っぺらい生ハムなんて論外、スペイン・イベリコ豚のセラーノのようにパサパサしていない。

 

信じられないくらいジューシーで味も濃厚。

 

めちゃめちゃ美味い!!

 

これだけで十分、主食になります。

 

ほんま、生ハムの概念がコロッと変わってしまいました。

 

肉屋さんも多いです。

 

バスク風の鶏の煮込みは定番料理ですね。

      ☆    ☆     ☆     ☆

 

ピレネー山脈に登って、スペインを見下ろしたい。

 

そう思って、ラ・リューヌ山(標高905メートル)へレッツゴー。

 

アプト式の登山電車でガタンゴトン、ガタンゴトン……。

 

 

 

しかし頂上は雲がかかっており、一面、真っ白。

 

視界は5メートルくらいで、当然、下界は見えなかった。

 

仕方がないです。

 

そこでスペインとの国境アンデイ(Hendaye)へ向かいました。

 

ビダソワ川の向こうがスペインのイルンの町。

 

教会の尖塔がはっきり見えます。

 

駅から歩いてイルンに足を向けている人が結構、いました。

 

バスク人にとっては、スペインもフランスも関係ありません。

 

たまたま国籍がそうなっているだけです。

 

なぜか感慨深くなりました。

8月 24

(4)フランス南西部紀行~カルカッソンヌ

ニームから鈍行列車で地中海沿いに西方のナルボンヌに向かいました。

 

ナルボンヌは南ガリアにおける古代ローマ帝国の拠点でした。

 

途中下車で2時間ほど、街を散策。

 

ロビン運河をはさんで古めかしい町並みが広がっていました。

ローマに興味がある人には必見のスポットだと思います。

 

さぁ、目的地カルカッソンヌへ!

 

これまでヨーロッパ各地で城を随分と見てきました。

 

その中で一番、感動したのがスコットランドの首都にそびえる黒々としたエディンバラ城でした。

 

言葉で尽くせぬほどの威圧感に声が出ませんでした。

 

それと比肩できうるインパクトをカルカッソンヌ城を目にして抱きました。

 

でっかい!

 

オード川から城郭を眺めると、丘の上にどっしり横たわっているように見えます。

 

 

なにせフランス最大の城だというのだから納得できます。

 

元々、ケルト系ガリア人の居住地で、カルサック(Carsac)と呼ばれていました。

 

そこからカルカッソンヌ(Carcassonne)の地名が生まれたのです。

 

パリをはじめ、イタリアのボローニャ、ボヘミア、リヨンなどケルト由来の地名がヨーロッパにはあちこち点在しています。

 

のちに支配したローマ帝国がケルト色を一掃し、残念ながら、カルカッソンヌには「ケルト」の遺産はほとんど見られません。

 

ローマ人によって3~4世紀に城の土台が築かれ、11世紀以降、ヨーロッパ随一の城として名声を轟かせました。

 

十字軍の一大拠点にもなったそうです。

 

駅前から川向こうの城までが「新市街」。

 

といっても、日本人からすれば古色蒼然としています。

 

城郭内の旧市街「シテ」はそれこそ中世の街並みがそのまま保存されており、世界遺産に登録されています。

 

外壁の全長は3キロ。

 

城壁の外で記念撮影。

日焼けで顔がまっ黒。

 

日本人には見えないでしょうね。

 

マレーシア人で通せますね(笑)

 

「シテ」は観光客でごった返していました。

 

一瞬、モン・サン・ミッシェルに来たような錯覚に。

 

こういう状態は好きではありません。

 

早々と城内を見学し、カフェでパスティスを飲んで「新市街」へ戻りました。

 

夜、城壁の外にあるレストランで食した郷土料理カスレはなかなか美味でした。

 

アヒルのコンフィ(脂煮)、豚の臓物、ソーセージ、白インゲンを煮込んだものです。

 

胃袋にはちとヘビーでしたが、地元の赤ワインとよぉ合いました。

 

ほろ酔い気分で駅前の宿屋へ帰る途中、新橋(ポン・ヌフ)から城を見て、身体が震えました。

 

イルミネーションで夜空に浮かぶ幻想的なシャトー。

 

トレビアン!!

 

夜風も心地よい。

 

橋の上で城を眺めながら、朝を迎えたい。

 

そんな気持ちに包まれました。

 

あゝ、ええ塩梅、ええ塩梅~(^^)/

8月 23

(3)フランス南西部紀行~オッピドゥム

 

ニームから普通電車で西に位置するリュネル(Lunel)へ来ました。

 

リュネルはこれといって観光地でもなく、ごく普通の田舎街です。

 

どうしてここに来たのかというと、巨大なオッピドゥム(Oppidum)を見るためです。

 

古代ケルト人が築いた要塞です。

 

ほとんど丘の上にあります。

 

オッピドゥムはヨーロッパ各地に点在していましたが、大半が朽ち果て、往時の姿を残しているのはほんのわずか。

 

この町の北東約7キロにあるアンブルスムのオッピドゥムはそのひとつなのです。

 

だから、どうしてもこの目で見たくて仕方がなかった。

 

午後4時ごろにリュネルに着きましたが、はて、アンブルスムまでどう行っていいのかわかりません。

 

困った。

 

こういう場合はまず観光案内所に飛び込む。

 

それが鉄則です。

 

幸い駅前に町の地図がありました。

 

そこに観光案内所が明記されていて、ホッとしました。

 

さすがフランスは観光立国、大抵の町に観光案内所があります。

 

そこを訪れると、美人の女性スタッフが目をキラキラさせていました。

 

 

「日本人ですか? わたし日本語ベラベラです」

 

「えっ!?」

 

ローラさんという人で、東京で3年間、日本語を勉強してきたとか。

 

こんな所で日本語で会話できるとは思わなかった。

 

彼女にアンブルスムに行きたい旨を日本語で説明し、タクシーを呼んでもらいました。

 

とにかく早く行かないと、博物館が閉まるかもしれない。

 

雨も降ってきました……。

 

何とかタクシーでアンブルスムに到着。

 

博物館は英語表記もつけられており、なかなか立派なものでした。

 

 

しばし博物館で出土品を見たあと、現場に足を向けました。

 

丘の所々に遺跡が点在しています。

 

標高58メートルの頂上には住居跡や外壁跡が残っていました。

 

材質はすべて石灰岩です。

 

 

紀元前300年ごろ、ケルト系ガリア人(ヴォルカエ・アレコミア族)が要塞を建造したそうです。

 

ヴォルカエ・アレコミア族はニームに住んでいた部族ですね。

 

紀元前120年、ローマ軍が進駐し、要塞をより堅牢なものにしました。

 

広さは56ヘクタールもあります。

 

ここはローマ時代、アルプスとピレネーを結ぶ街道(ドミチア街道)の要衝にあり、非常に栄えていたそうです。

 

しかし西方のナルボンヌがこの地域の拠点となり、紀元2世紀に放棄されました。

 

博物館でもらったリーフレットの地図に道順が記されていましたが、総距離が23キロもあり、じっくり見学すると1時間半ほどかかります。

 

ニームに帰る電車の時間もあり、駆け足で遺跡を見て回りました。

 

タクシーは離していましたが、「遺跡で取材を終えた時点で電話してくれたら、タクシーを手配します」とローラさんに言われていたので、その通りにしたら、すぐにタクシーが来ました。

 

やれやれ、ありがたい!

 

言葉で言い知れぬほどの満足感を抱き、ニームに戻りました。

 

☆     ☆     ☆     ☆

 

翌日、ニーム駅前からローカルバスでナージュ・エ・ソロルギュ村(Nages-et-Solorgues)へ向かいました。

 

正確に言えば、ニームの南西約15キロにあります。

 

村と書きましたが、コミューン(共同体)です。

 

ほんま、ど田舎。

 

カフェが1軒あるだけで、通りはシーンとしています。

 

北側に丘があり、その頂上にナージュのオッピドゥム(Oppidum de Nages)があるのです。

 

アンブルスムと同じヴォルカエ・アレコミア族が紀元前800年ごろに築いたものです。

 

広場から「オッピドゥム通り」と名付けられた小路を必死になって駆け上りました。

 

なぜなら、ここに到着したのが午後零時10分、ニームへ帰る最終のバスが午後2時だから。

 

それに乗り遅れると、大変なことになります。

 

持ち時間は1時間50分のみ。

 

ぼくは妻を公園に残し、炎天下、丘を目指してダッシュしたのです。

 

日ごろ、ランニングで鍛えているので、楽勝でしたよ~(^_-)-

 

標高168メートルの頂きに達し、目を見張りました。

 

一面、石灰岩のかけらが散在しているのです。

 

紛れもなくオッピドゥムの残滓。

 

一部、家屋や外壁が修復されていました。

 

そこをひたすら駆け回り、カメラに収めました。

 

半日いても撮り切れないほどです。

 

昨日、訪れたアンブルスムよりもはるかに遺跡らしい。

 

195874年、フランスの考古学チームによって発掘されました。

 

この周辺には計6つのオッピドゥムがあり、その中でここが最も保存状況がいいといわれています。

 

スゴイのひと言!!

 

ケルト愛好家や研究者でここに来た日本人はぼくが初めてに違いない。

 

ほんまにそう思いました。

 

オッピドゥムは紀元前50年ごろに見放され、住民はニームに移りました。

 

その後、単なる丘になってしまったそうです。

 

栄枯盛衰……。

 

ケルトの遺跡を訪れるといつもそのことを思い浮かべ、ちょっぴり感傷的な気分に浸ってしまいます。

 

南フランスの気だるい昼下り。

 

帰り、下界に視線を落とすと、ソロルギュの集落が深い眠りに入っているようでした。

 

アンブルスムとナージュのオッピドゥム。

 

2つのケルト遺跡を目の当たりに見ることができ、旅の目的の半分ほどを果たせました。

 

8月 22

(2)フランス南西部紀行~ニーム

ジーンズのデニム生地が誕生したところ。

 

それがニーム(Nimes)。

 

de Nimes(デニーム=ニームの)から由来したそうです。

 

 

マルセイユから電車で約1時間。

 

西方に位置します。

 

この街は何から何まですべてローマ一色です。

 

なにしろフランス最古のローマ都市なのだから当然。

 

古代闘技場、四角い神殿「メゾン・カレ」、清らかな水場「フォンテーヌ公園」、監視塔「マーニュ塔」……。

 

 

郊外には世界遺産のポン・デュ・ガールがあります。

 

ガール川に架かる古代ローマの巨大な水道橋。

 

高さ48メートル。

 

水源のユゼスからニームまで水を引いていました。

 

高低差が13メートルしかないのに、10数キロも水を流していたというのだから恐れ入ります。

 

つくづく実感します、古代ローマの偉大さが。

 

今日でも通用する技術を2000年前に有していたのですから。

 

ニームも、他のガリア(フランスとベルギーの一部)の地と同様、ローマ人が来るまでケルト系のガリア人の居住地でした。

 

Volques-Arecomiquesという部族がニームに定住し、フォンテーヌ公園の泉を「聖なる地」として崇めていました。

 

紀元前1世紀、彼らを支配したローマ人も同じように泉を神聖視し、ニームの街が発展していったそうです。

 

ローマ人は、映画のなかでは「悪者」扱いが多いけれど、実際は異民族の信仰、慣習、風俗などに対しては非常に寛容でした。

 

確かに、グローバリズムの走りともいえるローマ化を推し進めたとはいえ、独裁的に圧政を敷かなかったのが帝国の存続につながったような気がします。

 

それがガロ=ローマと呼ばれる時期です。

 

「ガロ」はケルト系ガリア人のことで、文字通り、ケルト文化とローマ文化が融合した時代。

 

ローマに占領される前、ガリアは5つの地域に区分けされていました。

 

最も広い中央部が「ガリア・ケルティカ(Gallia Celtica)」、南部が「ガリア・トランサルピナ(Gallia Transalpina)」、南西部が「ガリア・アクイタニア(Gallia Aquitania)」、南東部が「ガリア・キサルピナ(Gallia Cisalpina)」、そして北東部が「ガリア・ベリギカ(Gallia Belgica)」。

 

そこに約80の部族がテリトリーを守って定住していました。

 

こう見ると、フランス全土にケルト系の住人が暮らしていたことがわかります。

 

彼らはガリア語というケルト語を話していました。

 

共通語です。

 

辺境地は別の民族との混血が見られたと思われます。

 

首都パリの辺りに住んでいたのがパリシィ族。

 

だからパリの名が生まれました。

 

「ケルト」を知ろうと思えば、アイルランドやスコットランドよりも、むしろフランスに目を向けねばならないことがわかっていただけるでしょう。

 

これまでぼくは今なおケルト語の一種ブルトン語が話されている北西部ブルターニュ、ガリア人がローマと激戦を交わしたブルゴーニュ、ガリア人の遺産を保管しているパリ郊外のサン・ジェルマン・アン・レーの国立考古学博物館などを見て回ってきました。

 

今回の旅は、フランスで取りこぼしているところを押さえたいというのが狙いです。

 

それが翌日、実現しました~!!

8月 21

(1)フランス南西部紀行~マルセイユ

フランスから帰国して、知らぬ間に10日経ちました。

 

そろそろブログで旅の「エッセンス」をご報告します。

 

でないと、記憶が定かでなくなってきますからね~(笑)

 

まずは到着地のマルセイユから。

 

 

ここは南フランスの玄関口です。

 

関空からパリ経由でマルセイユの空港に降り立ちました。

 

その名も、マルセイユ・プロヴァンス国際空港。

 

南仏のリゾート地として知られるプロヴァンス地方の中心地です。

 

午後8時すぎに着きましたが、日本の夕方の4時ごろみたいな明るさでした。

 

温度は30度。

 

湿気がほとんどなく、実に爽やか。

 

何と1年365日のうち、雨の降らない日が300日あるそうです。

 

空港バスでフランス国鉄のサン・シャルル駅に来て、街のシンボル、ノートルダム・ド・ラ・ギャルド・バジリカ聖堂を目にしたとき、「マルセイユへ来た~!」と実感しました。

 

 

『中央ヨーロッパ「ケルト」紀行~古代遺跡を歩く』(2002年、彩流社)の取材で訪れて以来ですから、13年ぶりです。

 

下町を歩くと、どことなくガサツな感じがして、大阪と雰囲気がよぉ似ています。

 

ぼくは好きです。

 

カモメのガラの悪さは相変わらずでした。

 

 

目が合うと、キュッとこちらをにらみ返し、突進してきます。

 

大阪・ミナミのカラスと対決させたらどうなるんやろ??

 

しかし全体的に街も人も垢抜けしていました。

 

旧港の波止場が拡張され、鏡付きの大きな屋根まで設置されていたのには驚きました。

 

ほんまに美しい、旧港は!!

 

それに下町風情が残っているのがいい。

 

魚売りのおばちゃんたちは健在でした!

 

マルセイユは人口が約90万人。

 

首都パリに次ぐ、フランス第二の都会ですが、どう転んでもやはり地方都市です。

 

地中海にある大貿易港とあって、かつては犯罪が多く、実際、ギャングの抗争事件も多発していました。

 

『ボルサリーノ』、『ラ・スクムーン』、『マルセイユの決着(おとしまえ)』、『フレンチ・コネクション』……。

 

この街を舞台にした映画を見ても、犯罪モノが多いですね。

 

前回、旧港近くの安宿に泊まってとき、夜中に(おそらくケンカによる)怒号が飛び交い、ビンが割れる音が聞こえてきました。

 

そういう物騒な佇まいはかなり減じたという印象です。

 

旧港の先端には、ヨーロッパ地中海文明博物館の強大な建物がデンと構えており、なかなか文化的な匂いもするのです。

 

何でも、昨年、ヨーロッパ文化首都に選ばれたとか。

 

マルセイユと文化。

 

全く結びつかないのですが、文化を味方につければ街は必ず上向くことを証明しています。

 

この点、わが大阪は見習うべきでしょう。

 

アラブ系とアフリカ系の人が目立ちます。

 

地中海をはさんで向こうがアフリカなのだから当然です。

 

このコスモポリタン的な開放感がマルセイユの特徴なんやと思っています。

 

沖合に浮かぶイフ島へ行きました。

 

 

ロシア人の観光客がやたらと多い。

 

中国人も……。

 

日本人はぼくと嫁さんだけ。

 

中国人がどんどん増えてきていると聞いています。

 

てっきり団体が圧倒的に多いと思いきや、家族連れが目につきました。

 

裕福な層なのでしょうね。

 

マルセイユはブイヤベースの本場です。

 

でも、前回、値段の割に美味しく思わなかったので、今回はパス。

 

その代わり、パスティスはイヤと言うほど飲みました!

 

1杯、2・5ユーロ(約350円)。

 

この乾燥した風土によぉ合いますわ~(^_-)-