Category Archive: 生國魂神社夏祭り体験ルポ(2014.7.12)

7月 13

あゝ、わが心の故郷、「いくたまさん」、夏祭りの体験ルポ

 

 

 「いくたまさん」

 

この言葉を耳にすると、理屈抜きに胸が熱くなってきます。

 

幼少時代の輝いていた日々が脳裏を駆け巡り、たまらなく郷愁にかられるからです。

 

生國魂神社(大阪市天王寺区・谷町9丁目)。

 

 本殿から北へ14キロほど離れた龍造寺町の長屋で生まれ育ったぼくにとって、このお宮さんは確かに大きな存在でした。

 

年始の初詣はかならず「いくたまさん」。

 

何か願い事があるときも「いくたまさん」。

 

近鉄百貨店がある上六(上本町6丁目)にごくたまに家族そろって「美味しいモン」を食べに行ったあとに立ち寄ったのも「いくたまさん」。

 

とりわけ、夏祭りは最大のハイライトでした。

 

祭りの1週間ほど前から、興奮状態に突入し、今か今かと待ち焦がれ、夜も眠れなかった日が忘れられません。

 

大阪の夏祭りといえば、天神祭を思い浮かべる人が多いと思います。

 

京都の祇園祭、東京の神田祭とならび日本三大祭りのひとつであり、100万人以上の人出を集める大規模なお祭りです。

 

でも、市内中心部の住民には、「てんじんさん」はちょっと距離感があります。

 

「川向こうのお祭り」

 

うちの祖母は天神祭をこう言っていました。

 

「川向こう」とは天満のことです。

 

天神祭は、傍観者として楽しむにはいいのですが、なにせ茫漠としており、ぼくの場合、あまり胸に迫ってきません。

 

それにくらべ、「いくたまさん」の夏祭りはとことん地域密着です。

 

北は土佐堀通り、南は四天王寺の北側通り(天王寺警察署のある道)、東は上町筋、西は松屋町(まっちゃまち)筋。

 

ざっと東西800メートル、南北3700メートル。

 

そこに囲まれた縦長のエリアが氏子領域です。

 

大阪の中核をなす船場・島之内のちょうど東側に当たります。

 

はて、何人くらいの氏子がいるのやら。

 

昨今、夏祭りで内外の観光客の姿が目立つようになってきましたが、住民が圧倒的に多いです。

 

そこには町衆の息吹が濃厚にたちこめています。

 

かくも生國魂神社に強い想いを抱いていたのに、うちの家は実にええ加減で、氏子としてはほとんど何も関わっていませんでした。

 

印刷屋をひとりでやっていたオヤジさんはそこまでゆとりがなかったのでしょうね。

 

だから、街中に鳴り響く枕太鼓の音が聞こえてくると、羨ましくてしゃあなかった。

 

〈ハッピ着て、太鼓打ちたいなぁ……〉

 

一度、オヤジさんに胸の内を伝えたのですが、黙殺されました。

 

ガックリ。

 

それが小学4年生のとき、幸運が舞い降りてきました。

 

子供太鼓を打っていた小学校の同級生が体調をくずし、ピンチヒッターで登場することになったのです。

 

天にも昇る気持ちになり、必死になって、本町橋の御旅所で太鼓の練習に取り組みました。

 

4人でひとつの太鼓を打っていたような記憶があります。

 

今は6人です。

 

その喜びはしかし、わずか1年だけのものでした。

 

秋に生駒山のふもと、東大阪の枚岡へ転居したからです。

 

それでも、相変わらず生國魂神社にしばしば足を運び、夏祭りは何があっても境内に馳せ参じていました。

 

大人になってからも変わりません。

 

通天閣の「ビリケンさん」ともども、「いくたまさん」への初詣は決まり事になっており、夏祭りは時間の許せる範囲内で観に行っています。

 

だから細い糸で脈々とつながっていたのですが、今年、一気に「いくたまさん」と太いパイプができました。

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

「武部さん、夏祭りに参加されませんか。戦後、途絶えていた行列が70年ぶりに復活するんです」

 

Facebookに「中山洋一」という男性からメッセ―ジが入ってきました。

 

えっ、だれやろ?

 

どうやら、大阪・キタのアイリッシュ酒場「テンプルバー」で何度かギネスビールのグラスを傾けたことのある人だとわかってきました。

 

もう10年ほど前のことでしょうか、酔った勢いで中山さんに「いくたまさん」の思い出を熱っぽく語ったのを何となく記憶しています。

 

そのことをしっかり覚えてくれてはりまして、今回、ぼくにコンタクトを取ってきはったのです。

 

めちゃめちゃうれしかった!

 

夏祭り「本宮」の行われる7月12日のスケジュールが空白になっていることを確認し、即座にOKしました。

 

☆     ☆     ☆     ☆

 

中山さんが言うてはった行列とは、渡御巡幸(おわたり)のことです。

 

ご神体を乗せた「鳳輦(ほうれん)」を神社から北約3キロの大阪城まで運ぶ一大行列で、明治時代に始まりました。

 

 「いくたまさん」の祭神は、生きとし生けるものに生命を与える「生島(いくしま)神」と、生きとし生けるものを満ち足らしめる「足島(たるしま)神」です。

 

言い伝えによれば、神武天皇が国家安泰のために創ったといわれています。

 

とかく神武天皇が出てくると、歴史的にどこまで正しいのかよくわからなくなりますが、とにかく大阪最古の神社として知られています。

 

もともと上町台地の北端に本殿がありました。

 

1598年、豊臣秀吉がそこに大坂城を築いたとき、今の場所に土地を寄進し、社を移したそうです。

 

だから元のお宮さんがあったところを「元宮」と呼ばれており、そこに奉納するため、渡御巡幸が行われたのです。

 

戦前には2000人の大行列だったそうです。

 

そう言えば、オヤジさんや祖母からその堂々たる行列の様を聞いたことがあります。

 

「てんじんさん」の「船渡御(ふなとぎょ)」に対し、「いくたまさん」の「陸渡御(おかとぎょ)」と言われていました。

 

大阪が生んだ作家、織田作之助(オダサク)の小説『わが町』にその場面が出てきますし、この小説の映画化作品(1956年、川島雄三監督)では、主役の「ベンゲットの他あやん」(佐渡島他吉)に扮した辰巳柳太郎が武者姿で行列に参加していました。

 

オダサクさんはこの神社の近くで生まれ育っており、ほんまに近しい存在であったのでしょう、何かと作品に登場します。

 

ぼくなんぞよりもずっと「いくたまさん」に熱い想いを抱いてはったはずです。

 

生誕100周年に当たる昨年1026日、生國魂神社の境内にオダサクさんの銅像が建てられ、その除幕式に参列させてもらいました。

感慨深かったです。

 

戦時中、最初の大阪大空襲(1945年3月13日)で、社殿が焼け、鳳輦も灰になってしまいました。

 

「いくたまさん」の焼失……。

 

「あの辺り、みんな焼けてもうて、えらいことやった」

 

祖母からこんなふうによく聞かされていました。

 

なので、戦後、渡御巡幸が大幅に簡略化され、細々と行われてきたのですが、氏子からの寄進によって、立派な鳳輦が甦りました!!

 

重さ500キロの金色の鳳凰を乗せた漆塗りのお神輿。

その巡幸に加われるというのだから、ありがたいことです。

 

それも還暦を迎えてすぐのことで、50年ぶりに直接、祭りに関わることができ、もう、うれしくて、うれしくてたまらなかった。

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

本宮の当日(7月12日)。

 

心配された台風8号がはるか東の海上へ遠ざかり、台風一過、大阪は朝から快晴に恵まれました。

 

しかし暑い!!

 

新町(大阪市西区)の自宅から自転車で生國魂神社へ向かう途中、少し遠回りをして、谷町筋を北上しました。

 

あとしばらくしたら、ここを巡幸するのだと思うと、「武者震い」が……。

 

えらいたいそうな(笑)。

 

午前8時に鳥居前に到着。

 

まず、思いっきり、「いくたまさん」の空気を吸い込みました。

 

よっしゃ!!

 

気合を入れ、一緒に歩く人たちと参集殿で着替えました。

 

ぼくの担当は、神さんへの供物を入れた「神饌唐櫃(しんせんとうひつ)」という木箱を担ぐ役です。

 

昔の絵を見ると、すべて白装束だったのに、狩衣(かりぎぬ)がピンクがかった派手な色でした。

 

 

〈これは目立つなぁ……〉

 

烏帽子もかぶりました。

 

何だか平安朝の貴族になったような気分でした。

 

相方は今中要輔さん。

 

26歳。

 

ぼくと同じ生粋の浪花っ子。

 

祭りの主要メンバーから動員をかけられ、初めて「いくたまさん」とご縁ができたそうです。

 

だから共に生國魂神社の氏子ではありません。

 

よく似た眼鏡をかけ、背丈もあまり変わらず、親子みたいに見えます。

 

漫才コンビと言っても通用するかも(笑)。

 

どちらも喋りとあって、波長が合い、この日ずっと仲良くさせてもらいました。

 

面白い人です。

 

「烏帽子が前後ろ、逆ですよ」

 

神社の人に言われ、あわててかぶり直し、境内に出ました。

参詣者から神主と間違われ、頭を下げられるは、「一緒に写真を撮ってください」とお願いされるはとこの衣装の力をまざまざと思い知らされました。

 

「武部さん、よぉ、似合うてます」

 

ハッピ姿の中山さんがクスクス笑うてはりました。

 

リーダー格の沖原隆志も「ええですねぇ」と今中さんとのツーショットを激写してくれました。

 

 

上の写真、沖原さん(左)と中山さんです。

 

そのうち馬が神社に到着し、枕太鼓の音も大きくなるにつれ、いよいよ始まるんやと実感。

 

神饌唐櫃の中は空っぽです。

 

それでも結構、重さがある。

 

箱を覆った錦に白木の棒がヒモでくくってあります。

 

〈わぁ、これをふたりで担ぐんかいな……〉

 

一瞬、心配したけれど、その下に台車があり、担ぐ格好をしておればいいわけです。

 

よかった、よかった。

 

今中さんが前で、ぼくが後ろに回りました。

 

☆     ☆     ☆     ☆     ☆

午前10時半、渡御巡幸がスタート。

 

 

鳥居をくぐり、露店が立ち並ぶ参道をゆっくり歩き、谷町筋を一路、北上します。

 

沿道には多くの人たちが見守っており、マスコミのカメラマンも。

 

ニヤついていたらあきまへん。

 

神事ですから、シャキッといかな!

 

とはいうものの、暑さが厳しく、衣装の下は汗でびしょびしょ。

 

気持ち悪くて体をごそごそ動かしたり、タオルで額の汗をぬぐったり、ペットボトルの水を飲んだり。

 

タオルやペットボトルなどは台車の中に入れることができ、楽ちんでした。

 

ぼくたちの前が、長い柄の先につけられた、「神饌唐櫃」と書かれた大きな提灯。

 

それを手にしているのが上宮高校の生徒2人。

 

睡眠不足なのでしょうか、時々、あくびをしていました。

 

うしろが馬。

 

非常にお上品なサラブレッドです。

 

乗っている人物が太閤さん役の青年。

 

顔が全然、似ていなかった(笑)。

 

この人も馬上で、「お付きの人」とよぉ喋ってはりました。

 

ぼくの横にだれかおれば、よかったのですが、ふたりで担いでいるとはいえ、実質的には1人の状態。

 

これは辛い……。

 

そこで信号待ちの間、馬の手綱を持つ人と会話を楽しみました。

 

「馬はどこから来たんですか?」

 

「奈良です。馬は暑さに弱いから、大変ですわ」

 

「へぇ、そうなんですか」

 

「すぐにバテますよ。冬場の寒い時は真逆で、元気いっぱい、抑えるのに大変です」

 

「何歳なんですか?」

 

「私は……」

 

「いや。お馬さんの方です」

 

「ハハハ、すんません、14歳です。×4で、だいたい人間の年齢になります」

 

「おとなしいからメスですか?」

 

「いや、男ですよ。でも、男であって、男でない」

 

「えっ!?」

 

「去勢してあるので。だからおとなしいんです」

 

「なるほど」

 

谷町筋の歩道はよくランニングで走っているのですが、ゆったりしたペースで車道を悠然と歩ける機会はそうめったにありません。

 

なかなかオツなもんです。

 

京都の時代祭や葵祭もこんな感じなのでしょう。

 

秋には大阪マラソンで御堂筋を再度、走ります。

 

谷町筋も疾駆したいなぁ。

 

そんなレースないかいな。

 

 渡御巡幸には約500人が参加しているそうですが、自分の前後ぐらいしか見えず、全体像を把握するのは困難。

 

少し前には2頭立ての馬車が見えます。

 

帽子をかぶったタキシード姿のジェントルマンが数人乗っています。

 

だれかな?

 

大正期に今の大阪の基礎を作った名市長の関一かな??

 

まさか橋下市長が乗っているわけでは……。

 

それは断じてあり得ない。

 

嫌や!!

 

沿道からの知り合いの声が気分転換になりました。

 

「武部さーん!」

 

「こっち、向いて! 写真、撮ります」

 

「暑いでしょう。バテないで!」

 

カメラを向けられると、変なポーズをとったり、顔を歪めさせたりとついイチビッてしまうのが悪いクセです。

 

☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

知らぬ間に、暑さにも慣れ、2時間後、大阪城に到着しました。

 

場所は天守閣の南西部に当たる内堀に面したところです。

 

西側には大阪府警本部の建物がそびえています。

 

この辺りに元宮があったのですね。

 

日差しがますます強まり、忘れていた暑さが舞い戻り、全身から滝のように汗が噴き出しました。

 

大きなおむすびの昼食を取ってから、時間があったので、今中さんとつるんで天守閣に行こうということになりました。

 

「ぼく、大阪人やのに、まだ登ったことがないんです」

 

ならば、レッツゴー!

 

とはいえ、こんな神官っぽいいでたちをしているので、めちゃめちゃ目につく。

 

「何かあったんですか?」

 

地方からの観光客に聞かれました。

 

「生國魂神社の祭りで、谷町9丁目から行列してきたんです」

 

千葉の人にこんな説明してもわかってもらえないでしょうね。

 

外国人観光客からは一様に興味を示されました。

 

「イッショ ニ シャシン ヲ トッテクダサイ」

 

オーストラリア人、香港人、韓国人……。

 

もちろんOK~!

 

中には隠し撮りする外国人もいましたが、目が合うと、「サンキュウ」と小声で。

 

そんな状態だったので、なかなか天守閣までたどり着けない。

 

 

「何で神主さんが??」

 

天守閣の受付スタッフはそんな表情を浮かべ、キョトンとしてはりました。

 

館内でも好奇の的でしたが、そんなこと気にせず、天守閣から大阪の街を眺望し、満足。満足。

 

元宮に戻ると、「元宮駐輩」という神事が執り行われました。

 

鳳輦、神饌唐櫃、獅子舞、雅楽などが奉られるのです。

 

 

このあと、トラックの荷台に分乗。

 

土佐堀通りを西進し、天神橋の交差点で松屋町筋を南下。

 

下寺町を左折して、上六(上本町6丁目)へ。

 

上町筋、谷町筋を通り、清風学園の近くで下車しました。

 

そこから生國魂神社までの約500メートルを再度、渡御巡幸。

 

時間は午後6時ごろ。

 

沿道はぎっしりでした。

 

すごい人出の参道を規制し、その中を通って本殿に戻りました。

 

これで渡御巡幸はおしまい。

 

延々、7時間半の長丁場でしたが、あっという間に過ぎ去った感じです。

 

両足の甲が鼻緒ズレで悲惨な状態になっていました。

 

素足で直接、草履をはく役目だったので、事前にバンドエイドを鼻緒の当たる部位に貼っておいたのですが、汗ですぐに取れてしまい、あんまり効果がなかったです。

 

途中、今中さんと彼のお母さんからバンドエイドを支給してもらえたのはありがたかったです。

 

おおきに、ありがとさんでした。

 

やれやれと一息つこうと思ったら、そうはいきません。

 

これからがクライマックス!!

 

枕太鼓の練りです。

 

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

 

参集殿で「衣替え」。

 

サラシを巻き、白短パンと白足袋をはき、ハッピを着る。

 

頭にはハチ巻き!

 

これぞ純正、祭りのスタイル。

 

 

渡御巡幸のおっとりした空気を一掃させ、躍動感あふれる枕太鼓で祭りを締めくくるのです。

 

粋(いなせ)ないでたち。

 

大阪弁では、「すい」と言いますが、この格好に変身すれば、もう怖いモンなし。

 

込み合う境内を、「ごめんやっしゃ」と強気で歩けます。

 

まだ時間があったので、ハッピ姿のまま境内を出ました。

 

芭蕉せんべいのおっちゃんが健在だったのがうれしかったです。

 

 

腰を揺らし、巧みにリズムを取りながら、せんべいを焼いて伸ばしていく。

 

この人がおらへんかったら、ほんま、寂しいです。

 

その動きを見ていると、いきなり声をかけられました。

 

「お兄ちゃん、何歳になりはったん?」

 

〈えっ、ぼくのこと覚えてるんかな??〉

 

確かに毎年、顔をのぞかせているから、その可能性はあるかもしれない。

 

「もう60歳。還暦になりました」

 

「へーっ、そうかいな。オレは67歳。まぁ、これからやな~。お祭り、しっかりやってや!」

 

そう言って、ウインクし、腰を激しく振りました。

 

ほんま、このおっちゃん、ええわ~!!

 

このあと露店でビールとから揚げを買い、公園で飲み食いしていました。

 

こういう時、アルコールが必要ですなぁ。

 

日焼けした顔がさらに真っ赤になり、気分も高揚してきました。

 

下の写真は、行け行けドンドン~といった感じですね。

 

 

女子中学生らしきグループに一緒に写真を撮らされるという想定外の出来事もあり、すっかりええ塩梅になり、スタンバイ。

 

ところがサラシがずり落ちてしまい、彼女たちにゲラゲラ笑われました。

 

自我流で巻いたらこの始末……。

 

こら、あかん!

 

あわてて参集殿に戻り、居合わせた沖原さんにしっかり巻いてもらいました。

 

こうなったら、他力本願でも何でもええです(笑)

 

☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

枕太鼓は「いくたまさん」夏祭りのハイライト。

 

 

神輿のように角木で組まれた土台の真ん中に大太鼓が置かれ、横並びになった3人が真正面の3人と向き合って、太鼓を連打します。

 

その枕太鼓をハッピ姿の男衆が境内を所狭しと練るのです。

 

いきなり枕太鼓を止めたかと思うと、それをドカーンと横にひっくり返す。

 

それでも太鼓はそのまま打ち続けられます。

 

これはかなりしんどい、キツイ。

 

打ち手の少年たちのガッツの見せどころです。

 

しばらくして枕太鼓を起こすと、今度は逆の方へ横倒し。

 

そして境内を猛スピードで走行させる。

 

時には前後に倒したり、回転させたりします。

 

これを繰り返すんです。

 

岸和田のだんじりの凄さとは比肩できないけれど、1基の枕太鼓でこれほどダイナミックな動きを見せる祭りはあまりないのでは?

 

ぼくはこの枕太鼓を、これまでずっと見物人として外野席で見ていました。

 

それを今回、演じる側になるのです。

 

たまりませんねぇ。

 

ただし、荒っぽいので、ケガがつきもの。

 

ヘタをすると、取り返しのつかないことになる。

 

突き指するだけでも、仕事に差し支える。

 

それでも、こんなチャンスはないとばかり、ぼくは年甲斐もなく、やる気満々になっていました。

 

今中さんはちょっとビビっていましたが……。

 

「武部さん、ぼくの後ろをついてください。離れないで!」

 

中山さんが「ケガしたらあきまへん」といった顔つきで指示してくれました。

 

すごくたくましく見えた。

 

そして午後9時、興奮度がピークに達した時、枕太鼓のお練りの始まり、始まり。

 

ドン、ドン、ドン。

 

腹にズシンと響く太鼓のリズムがアドレナリン濃度を一気に急上昇させます。

 

〈さぁ、今からや!〉

 

枕太鼓が動くと、もうあきまへん。

 

本能なのか、それに向かって無意識に突進しました。

 

思っていた以上に速い。

 

横倒しも、思っていた以上にすさまじい。

 

形容しがたいほどの迫力です。

 

回転がまた強烈~!!

 

グングン音をがなり立てるように感じられ、枕太鼓が生きてると錯覚させます。

 

男衆が多かったので、なかなか枕太鼓に近づけなかったけれど、ちょっと隙ができると、そこに体を当て、枕太鼓と一体化しました。

 

〈これが祭りや!〉

 

もはや中山さんの姿は見えません、わかりません。

 

混沌とした、それでいてどこか秩序の保たれた空間がそこにありました。

 

終わる間際だったと思います。

 

横倒しを戻したとき、ふいにハッピの後ろを引っ張られました。

 

「危ない!」

 

中山さんが咄嗟に枕太鼓からぼくを離してくれたんです。

 

助かった。

 

あのままだったら、ヤバかったかも。

 

ありがとうございます!

 

そんなこんなで、境内を駆け巡り、気がついたら終わっていました。

 

フーッ! よぉ、走った。

 

放心状態になりながら、「いくたま打ち」。

 

達成感からか、それに酔いしれていました。

 

打―ちまひょ(パンパン)

 

もひとつせぇ(パンパン)

 

祝うて三度(パンパンパン)

 

めでたいな(パンパン)

 

ほんぎまり(パンパン)

 

パチパチパチ~。

 

☆     ☆     ☆     ☆     ☆

 

午前8時から、打ち上げの会場を出た翌日(13日)の午前零時半ごろまでの14時間以上にわたり、心身ともに「いくたまさん」にどっぷり浸り切りました。

 

祭り漬け。

 

この言葉がピッタリです。

 

かつて氏子であったとはいえ、言わば、部外者であるぼくにかくも素晴らしい体験を与えてくれはった南大江地区のメンバーの方々に感謝~!!

 

南大江地区とは、ぼくの母校、南大江小学校の校区です。

 

「枕太鼓にさわれましたか」

 

「ケガはありませんでしたか」

 

「楽しまれましたか」

 

「長かったでしょう」

 

みなさん、いろいろ気遣ってくれはり、ほんまにうれしかったです。

 

紳士ですね~。

 

どの祭りもそうですが、地域の踏ん張りと熱意によって支えられています。

 

「いくたまさん」の夏祭りはその典型的なものでした。

 

変に観光化せず、地道に継続させていってほしいと切に思いました。

 

これほど大阪色の濃い祭りは他にはありませんからね。

 

大阪のまぁ真ん中で、以前にも増して、光輝を放つ「いくたまさん」の存在はかけがえのないものです。

 

ほんまに「街の祭り」です。

 

心地よい疲労感に包まれながら、自転車に乗って帰宅し、ソファに身を沈めてウイスキー(スコッチのシングルモルト、バルヴェニーのダブルウッド12年)を口にしました。

 

頭は真っ白け。

 

でも、飲み干した時、改めて実感しました。

 

お祭りは自ら参加してなんぼのもん~!!

 

それにしても、骨の髄まで大阪人やなぁ、ぼくは……。