Category Archive: ポルトガル紀行(2013年夏)

8月 18

ポルトガル紀行(12)最終回

マデイラ島で4日間、のんびり過ごし、リスボンに戻ってきました。

旅の最後はファド(Fado)を満喫~♪

ファドは人生の哀歓を託した魂の歌。

「サウダーデ」という失われたものに対する郷愁の想いや喪失感がベースになっています。

だから、お隣のスペインの情熱的なフラメンコとは対極で、かなり渋めの音楽です。

日本の演歌に通じるところもあるかもしれません。

古くからある庶民の民俗歌謡だと思っていたら、19世紀に確立されたようで、意外と歴史が浅いんですね。

タマネギのような12弦のポルトガルギター(ギターラ)と普通のクラシックギター(ヴィオラ)の伴奏に合わせ、歌い手(ファディスタ)が信じられないくらいすごい声量で熱唱します。

日本ではまだまだ知名度が低いですが、地元ポルトガルでは国民的な歌として定着しています。

リスボンでは下町のアルファマ地区とバイロアルト地区にファドを聴かせる店(カーサ・ド・ファド)が集中しています。

ところで、『マリオネット』という日本人のアコースティック・ユニット、ご存知ですか?

ポルトガルギター奏者の湯浅隆さんとマンドリン奏者の吉田剛士さんが組んでいるユニットです。

お2人とも実力派のミュージシャンです。

何度もリサイタルを聴きに行っています。

その湯浅さんと知り合いなんです。

20年ほど前、大阪・天満のバーでご縁ができました。

今回、リスボンに着いたとき、Facebookを介して湯浅さんがオススメのファドの店を紹介してくれました。

それがアルファマ地区にあるFado Maiorというお店。

夕食を済ませ、宿屋からとことこ歩いてその店に行きました。

ちょうど演奏中で、いきなりドアを開けたので、ギタリストとお客さんのすごい視線に圧倒されました。

30人ほどが入れば、満席になる小さな店です。

「あの~、ミスター・ユアサから教えてもらって来ました」

パニック状態になりながら、英語で説明すると、演奏がピタリと止み、英語が話せるクラシックギター奏者が「タカシ? 知り合いなんですか」と驚いた表情を。

この人、カルロス・ファビァンさんという方です。

そして店の従業員に何やらポルトガル語で伝えてくれると、奥の席に案内してくれました。

その後、お店の人が次々、やって来て、湯浅さんがこの店で演奏した時の写真を見せてくれ、ポルトガル語でいろいろ語ってくれはりました。

それをファビァンさんが通訳。

要約すると、こんな感じです。

「タカシはすごいテクニックを持っています。ここで演奏したとき、みなびっくりしました。日本の歌い手も来ていますよ。ほら、タカシが伴奏している写真がありますよ」

へーっ、湯浅さんの力に吃驚!!

このあと演奏が再開し、ウエイターの青年、お店のマダム、プロの女性歌手が次々にファドを披露してくれました。

みなマイクなしで、地声です。

それでも店内が振動するほどパワフルなボーカル!!

ぼくと嫁さんは赤ワインのボトルを1本取り、ええ塩梅で聴き入っていました。

ひとしきり演奏を終えると、ファビァンさんが笑顔を振りまいて、また話しかけてきました。

「あなたはギターを弾かないんですか?」

湯浅さんの友達ということで、ぼくもミュージシャンと思いはったんでしょうね。

酔いがまわってきたのか、つい調子に乗って言ってしまった。

「ぼくもギターを弾いてます」

指先のギターダコを見せると、「それじゃ、一緒に演奏しましょう」と言われまして。

てっきりポルトガルギター奏者だと勘違いしてはります。

「ちゃいます、ちゃいます。普通のギターです」

これも説明不足でした。

ファビァンさんは「じゃあ、ポルトガルギターと共演してください」。

え~っ!!

他のお客さんも期待しています。

どないしょ……。

「ファドとちゃいますねん。ビートルズソングとかフォークソングとか、そんな音楽です。それにアマチュアですから」

ほんまは、ちょかBandというユニットを組んでいることを言いたかったのですが、ポルトガルでちょかBand言うてもよけいに話がややこしくなります。

とにかく必死になって、汗だくになって、“抵抗”しました。

でも、なかなか通じません。

「わたしも素人ですよ。本職は会計士。ギターは趣味」

その割には巧すぎます!

結局、ファドは1曲も弾けないことをわかってもらえましたが、そのせいで完全に酔いが醒めました(笑)

帰る直前、ギタリストの間に入って記念撮影~♪

翌日はバイロアルト地区のファド・レストランへ足を向けました。

この店は、17年前に来たところです。

店内はまったく変わっていませんでしたが、店のスタッフがみな太ってはりました~(^o^)v

呼び込みをしていた男性に再訪したことを伝えても、きょとんとしてはるだけ。

それはそうでしょう、大昔のことですからね。

午後8時。

客はぼくたちだけ。

それでもファドの演奏が始まり、その男性が見事なノドを披露。

続いて厨房のおばちゃんがエプロン姿のまま、直立不動で歌いました。

この人、体型といい、歌唱力といい、17年前とほとんど変わらず。

そのうち続々と客が入ってきて、1時間もすれば、満席になりました。

前は地元の客が多かったのに、今や外国人観光客ばかり。

かなり俗化されていたのには、正直、失望しました。

でも、いかにもプロ丸出しの女性歌手はさすがに迫力があった。

拍手喝采です。

歌い終えると、この人、お客さんの注文を取り、ウエイトレスに変身してはりましたわ。

こんな感じで、2日間、リスボンの夜を堪能。

旅の締めくくりはロカ岬で。

ユーラシア大陸の最西端です。

リスボンから電車とバスを乗り継いでやってきました。

17年前は曇り空でしたが、この日はとことん晴天でした。

ぼくが来るために、ポルトガルが用意してくれたお天気です(笑)。

風が強い。

でも最高の気持ち~(^o^)v

これで旅が終り。

ちょっぴり寂しくなりました。

でも、ほんまに充実した旅でした。

大げさかもしれないですが、ぼくの人生に大きなくさびを打ち込むことができた、そんな感じです。

これでもって旅のレポートは終了です。

イェーツ~(^_-)-☆

8月 17

ポルトガル紀行(11)

ポルトガル紀行(10)

マデイラ島から2人の“偉人”が輩出しています。

ひとりは新大陸を発見したクリストファー・コロンブス。

この人、通説ではイタリア人になっていますが、本当のところよくわかっていないとか。

新大陸への旅立ちの前、マデイラ島のフンシャルで航海術を学んでいたそうです。

だから、コロンブスの像が公園にデンと置いてあります。

もうひとりは、サッカーのクリストファーノ・ロナウド。

彼のユニホームを着た子どもが何と多いことか。

話は変わって、ひょっとしたらマデイラ島で一番オモロイところは公設市場ではないでしょうか。

フルーツと花を売る店がところ狭しと立ち並んでいます。

何ともエキゾチックな雰囲気です。

亜熱帯ですからね~。

極めつけは“花売り娘”です。

みなさん、可愛い。

この衣装は、今や祭りでしか見られない民族衣装です。

市場内の東側が魚の店。

マデイラ島では、黒タチウオが知られています。

魚屋のおじさんがあっと言う間に固い皮をはいでいきます。

マグロも絶品です。

夜、黒タチウオとマグロの串焼きを味わいました。

黒タチウオは日本のそれよりも淡白、マグロはこれ見よがしにコクが出ていました。

メリハリがあり、ええ塩梅でした~(^o^)v

マデイラは山の島です。

最高峰は1862メートル。

山岳地帯は常に雲がかかっており、適度な湿気を放出しています。

それが自然に計り知れない恵みを与えているのです。

ロープウェイで標高550メートルのモンテに登りました。

そこにトロピカル宮殿という広大な植物園がありました。

下界を眺めると、フンシャルの美しさが手に取るようにわかります。

気温も街中より5度ほど低いです。

フンシャルに戻り、こんどはバスで西方10キロにあるカマラ・デ・ロポスへ。

漁村なのですが、リゾート地のようなたたずまい。

浜辺の漁船には黒タチウオの一夜干し。

港では子どもたちが元気よく海に飛び込んでいます。

イギリスの元首相チャーチルが晩年にここで絵を描いていた場所がありました。

今、レストランになっていますが、どういうわけか閉店中……???

植林されたバナナの木が丘一面に生えています。

海抜580メートルの世界第2位の断崖絶壁が近くにあると聞いたので、タクシーでそこに向かいました。

ジラオン岬といいます。

足元にガラス板が敷いてあります。

真下を見ると、580メートル下がもろに見えます。

これは厳しい!!

怖くて、怖くてガラスの上に立てませんでした。

周りの人たちもビビッています。

何とかガラス板越しに1枚撮り、こんどはカメラを塀の向こうに出してパシャリ。

あっ~~~!!!

そんなこんなで、このあとフンシャルに戻り、リラックスした夕べを迎えました。

有意義な「マデイラの休暇」~♪♪

8月 17

ポルトガル紀行(10)

ポルトガル紀行(10)

翌日(7月31日)、ポルトガル航空でマデイラ島へ飛びました。

約1時間半のフライト。

マデイラ島はリスボンの南西約1000キロの大西洋に浮かぶ島です。

モロッコのカサブランカからの方がはるかに近い。

ここもポルトガル領です。

大きさは佐渡島とほぼ同じで、そこに25万人が暮らしています。

ポルトガル南部で「タルテシアンの石碑」を取材したあと、バカンスで未知なる地へ行こうとき決めていました。

今回が3度目のポルトガルなので、ほとんど行き尽くしていまして、はて、どこかないものかと思案したら、マデイラ島が浮かんできました。

離れ島とあって、なかなか行きそうにありませんから、この機会にと思って。

中心地フンシャルに宿をとり、のんびり3泊しました。

亜熱帯に属し、年中、穏やかな気候。

夏でも最高気温が28度、最低気温が18度とすごくしのぎやすいです。

ほんま、楽園です。

マデイラ島と言えば、マデイラ・ワイン。

島に到着後、ただちにマデイラ・ワインの醸造所に足を向けました。

街中にあるサン・フランシスコ酒蔵。

一昔前のマデイラ・ワインの製造法を美人のガイドさんが解説してくれました。

現在は別のところで製造しているそうです。

島には数社、マデイラ・ワインの会社がありますが、全てイギリス資本です。

ブドウが発酵中にブランデーを入れて、発酵を止めるという製造法。

スペイン・アンダルシアのシェリー、ポルトガル北部のポート、そしてマデイラが世界三大酒精強化ワインです。

その中でもマデイラが一番、甘ったるく、まるでリキュールのようにも思えます。

正直、ふだんはあまり嗜みません。

日本では飲めるところもあまりないですし。

しかし原産地で味わうと、思いのほか美味しく感じられますね。

マデイラ・ワインのドライなんて初めてでした。

そんなわけで、見学ツアーのあとの試飲では、ついつい杯を重ねてしまって。

島内にはバナナの木とともにサトウキビもいっぱい生い茂っています。

なので、ラムも製造されています。

それを使ったカクテル、モヒートを街中のカフェで味わいました。

意外とさっぱりしています。

今、世界中でモヒートが大流行なんですね。

ポルトガルに来てからも、よく口にしました。

一杯の値段が500円ほど。

ビールはグラスで260円ほど。

お酒に関しても、ポルトガルは安く飲めます。

マデイラ島では、CORALビール一辺倒です。

沖縄のオリオンビールのような感じ。

バドワイザーと似ていなくはありませんね。

ライト感覚のビールです。

潮風に当たりながらのモヒート(飲んでばっかりや!)。

日本に帰るのがイヤになってきます。

老後はマデイラ島で暮らす欧米人が多いそうです。

ぼくも検討しようかな~。

8月 17

ポルトガル紀行(9)

旅の10日目。

ラーゴスからバスで3時間50分かけてリスボンへ。

リスボンが懐かしく思えました。

街の北東部にあるモダンな地区オリエンテのホテルに泊まりました。

近代的なショッピングモールが立ち並び、駅舎も超モダン、全くリスボンらしからぬところです。

この日はのんびりしました。

公園の噴水で愛犬と戯れる女の子を眺めたり、市立博物館を見学したり。

博物館の中にある公園に孔雀が何羽も放し飼いにされていました。

近づいても、逃げません。

イスラム様式の闘牛場へも足を伸ばしました。

その前で記念撮影。

日焼けして真っ黒な顔にサングラスをかけているものだから、絶対、日本人には見えませんねぇ(笑)

何か胡散くさそうなラテン系~!?

街を歩いていると、観光客からよく道を訊かれましたわ。

完全にポルトガルに溶け込んでいるといった感じです。

8月 17

ポルトガル紀行(8)

29日、朝のバスでラーゴスの北東にあるシルヴェスという町へ向かいました。

もちろん、「タルテシアンの石碑」を見るためです。

途中、最近、注目されているリゾート地ポルティマンで乗り換え。

旅ではよくバスを利用します。

バスは列車よりずっと料金が安いし、町の中心部まで運んでくれます。

鉄道駅は町外れにある場合が存外に多いです。

乗り慣れれば、本当にバスは便利。

とりわけ田舎のバスは現地の人たちの素顔を垣間見ることができますし。

シルヴェスは丘の上に城がある中世の町。

旧市街が素晴らしい。

古びた煙突、鉄塔などの上にコウノトリが巣を作っています。

これもポルトガルの田舎の風景です。

町の博物館で、今日も石碑に対面できました。

これが何枚見たことか。

ちょっと麻痺しそうなくらいです。

そして、「タルテシアンの石碑」の実物を目にするのはこれで終わりとなりました。

ぼくが思うには、ケルト人が関与していたかもしれませんが、限りなく南欧系の先住民、海の民フェニキア人、ギリシア人との関わりの方が強かったのではないでしょうか。

あるいは複合的な文化の賜物。

ケルト人だけを特化するのは無理。

そんなふうに思えてなりません。

真相は依然として闇の中とはいえ、本物を見ることができたことは何にも増して価値があると思います。

その意味で、ポルトガルに来てほんまによかったです。

多分、ケルトを専門にしている日本の学者で「タルテシアンの石碑」を実際に見た人は極めて少ないのではないでしょうか。

シルヴェスからラーゴスに戻り、こんどはバスでサグレス岬に足を伸ばしました。

かつてエンリケ航海王子が航海学校を造ったところです。

その残滓がいくつも見られます。

ユーラシア大陸の最南西端、サン・ヴィンテンセ岬がはっきり望めます。

強烈な西風。

晴天なのに寒く感じられます。

風で髪の毛がビリケンさんのようになってます(^o^)v

近くのカフェで、岬と同じネーミングのサグレスビールを~(*^^*)

17年前にもこの店でこのビールを飲んだことを思い出しました。

夜は、ラーゴスのレストランで超新鮮なイワシの塩焼きを食し、大満足~(*^^*)

これまでポルトガルで何度もイワシを口にしましたが、かくもしっかりした味のイワシを食べたことがなかったです。

日本のイワシに比肩できうる骨太なイワシでした。

夜風が気持ちいい。

ええなぁ、ポルトガルの夏は……。

ぞっこん惚れてしまいました。

8月 15

ポルトガル紀行(7)

28日は珍しく曇り空。

夜中に小雨が降ったらしい。

どことなく湿気が感じられます。

ポルトガルに来て、初めて鉄道を使いました。

ファーロから西方のラーゴス行きの普通列車。

いかにもローカル線丸出しのディーゼル車でした。

リゾート地が点在する大西洋岸を走るので、乗客のほとんどが外国人観光客。

英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、ポルトガル語……といろんな言葉が飛び交っています。

国際色が豊かですねぇ。

1時間15分でラーゴスに到着。

17年前に来た時に比べ、驚くほどあか抜けしていました。

レトロな駅舎が廃墟と化し、モダンな建物に生まれ変わっていました。

それに、数え切れないほどのヨットが停泊するマリーナ、それに付随する高級ホテルができており、完全にリゾート地といった感じ。

以前からある旧市街周辺の街並みもきれいになっていました。

城壁の門も健在。

かつての奴隷市場の建物も懐かしい。

いつの間にか青空が広がっており、眼前には紺碧の大西洋~!!

ちょっと感動しました(^o^)v

17年前はそのビーチで泳ぎましたが、今回は水着を持ってきていないので、パス。

それに大西洋の水は存外に冷たいのです。

前回、海に飛び込むや、あまりの冷たさにすぐ浜辺に上がったのを覚えています。

旧市街にある博物館で、「タルテシアンの石碑」を目にすることができたのですが、あいにく撮影禁止。

この日はこれで取材を止め、夕方から街を散策するだけにしました。

午後8時ごろに日が傾くと、得もいわれぬ涼風が身体を突き抜けます。

夏のポルトガルは最高!

ほんまにそれを実感できます。

夕食は、安ホテルのベランダでスーパーで買ってきた物をいただきました。

もちろんワイン付きで。

毎晩、必ず1本空けています。

とくにお気に入りが、アレンテージョ地方のMonte Velho

ワインなくしてポルトガルの夜は更けません~(^_-)-☆

8月 14

ポルトガル紀行(6)

27日の朝、アルガルヴェ地方の中心地ファーロからバスで北西の町ローレイへ。

ここもイギリス人観光客が異常に目立ちました。

ざっと見たところ、外国人観光客=イギリス人、そんな感じです。

総じてポルトガルに来る外国人観光客で一番多いのは、やはりイギリス人だと思います。

あとお隣のスペイン人、ドイツ人、フランス人といった具合。

ちなみに日本人は、今回の旅では皆目、会わなかったです。

唯一、目にしたのは最終日、ユーラシア大陸の最西端、ロカ岬で日本人団体客が乗っているバスを目撃したことです。

ローレイの博物館で、「タルテシアンの石碑」を3枚見ることができました。

撮影は禁止でしたが、受付の女性がぼくの必死さを見抜いてくれ、知らんぷりを通してくれました。

これぞ大人の対応ですね(^o^)v

土曜日とあって、町の市場は大盛況。

なんとウツボが売られていました!!

ウツボを食べるとは驚きです~(*_*)

缶詰がいい塩梅です。

こんなレトロなラベルなんですよ。

ファーロに戻り、レストランで間手貝のリゾットをいただきました。

おじやは美味いです。

お米に飢えていただけに、なおさらででした。

アルガルヴェはほんまに魚介類が最高です~(^-^)/

食べるのに夢中で、写真を撮るのを忘れてしまいました。

ごめんなさい!

8月 13

ポルトガル紀行(5)

26日の朝、アルモドバルの町を散策。

町外れに中世の石橋がありました。

枯れた川に架かる古風な橋。

なかなか風情があります~(*^^*)

そこで記念撮影。

次の訪問地は大西洋に面するアルガルヴェ地方のファーロです。

しかしアルモドバルからのバスの便がありません。

この際、出費を覚悟でタクシーを使うしかない手はない。

泊まった安ホテルでタクシーを呼んでもらい、まずは近郊にあるサンタ・クララ・ノヴァ村にあるマサス・ド・カステリーニョ遺跡に寄ってもらいました。

そこは鉄器時代からイスラム支配まで人が暮らしていたところです

「タルテシアンの石碑」も見つかっています。

中でもローマ時代のものが多く出土しているらしいです。

遺跡に足を踏み入れると、発掘調査が行われていました。

炎天下、その作業を興味深く眺めていると、肥満気味の中年男性が笑みを浮かべて近づいてきました。

リスボン大学考古学教室のカルロス・ファビン教授。

発掘作業と同時に遺跡を修復し、将来、博物館を建造することを先生は熱く語ってくれました。

「『タルテシアンの石碑』については、まだまだわからないことだらけで、ケルト人が造った可能性もありますが、そうでない可能性も高いです」

ともあれ、ラッキーな出会いに感謝、感謝~(*^^*)

「今度、来られる時には立派な博物館ができていますよ」

先生の言葉をしかと受け止め、遺跡を後にして、タクシーは一路、海辺の町ファーロへ。

ここは3度目です。

「OSAKA」という名の日本料理店がありました。

従業員は中国人でしたが……。

ロンドンから飛行機の直行便があるので、イギリス人観光客が目立ちます。

駅裏の古ぼけたホテルに投宿後、ファーロの東方にあるオリャンの町にバスで向かいました。

そこの博物館に展示されているはずの「タルテシアンの石碑」が見られなかった…(;o;)

代わりにローマ時代の石碑が展示されていました。

「毎月、交互に陳列しているんです。せっかく日本から来られたのに……」

学芸員が申し訳なさそうに説明してくれました。

残念。

しゃーないです。

ファーロに戻り、旧市街にある博物館に入ると、「タルテシアンの石碑」が2枚展示してありました。

よかった。

何だか疲れがドッと出てきて、夕食はスーパー買ったものをホテルの自室で取りました。

食後、夜の街を散歩。

オレンジ色の街灯が独特な風情をかもし出していました。

この日もあっという間に過ぎ去った感じ(^-^)

8月 12

ポルトガル紀行(4)

25日。

どうしようもなく快晴です。

朝は爽やか~。

元気をもらえます(^-^)v

ベージャから次の目的地アルモドバル行きのバスが夕方しかありません。

はて、どうしよう~?

こういう場合、裏技を使うしかない。

アルモドバルへの途中にあるカストロ・ヴェルデまでバスで行き、そこからタクシーを利用しました。

これならタクシー代がかなり押さえられますから(笑)

アルモドバルには午後3時すぎに到着。

人口7500人の典型的な田舎町です。

強烈な日差しが容赦なく照りつける気だるい午後。

この町も完全に死んでいました。

そんなアルモドバルにタルテシアン碑文博物館があるのです。

1、2階の展示室には「タルテシアンの石碑」がズラリと並んでいました。

その数、ざっと20枚ほど。

壮観です。

女性スタッフに訪れた理由を告げると、英語の堪能な女性学芸員を呼んでくれました。

アンドゥレア・ゲレイオさん。

メガネをかけたチャーミングな女性でした。

彼女は石碑のひとつひとつを丁寧に解説してくれはりました。

感謝、感激~(*^^*)

ただ、写真撮影ができなかったのが残念でした。

はるばる日本から来たという情けで、知らんぷりして、撮らせてくれたらよかったのに……。

腹が立ったけれど、ここで感情を露にしたらアキマヘン。

「ええですよ、ええですよ」

顔で笑って、心の中で泣きました(笑)

それとレプリカがやたら多かったですね。

昨日、ベージャの博物館で見たあの人物像の石碑もありましたが、もちろんレプリカでした(ToT)

ケルト人との関わりについて問うと、「可能性はありますが、これといった決め手がありません」とアンドゥレアさん。

彼女が言うには、フェニキア人かギリシア人が碑文を刻んだ公算が強いとのこと。

イギリスの学者があれだけアピールしているのに。

うーん、ますますわからなくなってきた~(*_*)

いつかイギリスの研究者に取材に行く必要がありそうだ。

博物館を出ると、あまりの強烈な日差しに頭がクラクラしました。

気温は40度以上あるのでは!?

急にノドが乾いてきて、広場のカフェで冷たい白ワイン。

体が冷えるどころか、逆に火照りが高まり、夢遊状態に~。

ええ塩梅ですわ~(*^^*)

ほろ酔い気分で村の近郊を散策しました~♪

ランニングしている女性がいたり、馬を調教している人がいたりといたってのどか。

おそらく東洋人を目の当たりにするのは初めてなのでしょう、住民の好奇の視線がぐさりと突き刺さります。

でも、すぐに温顔になり、「オラ!」と気軽に挨拶してくれました。

ポルトガルの人は総じてシャイですね。

夜は町のレストランで、アレンテージョの郷土料理、ボークとアサリの炒めものをいただきました。

アレンテージョ産の赤ワインと絶妙のマッチングでした~\(^o^)/

非常に濃厚な1日になりました。

8月 11

ポルトガル紀行(3)

24日、今日も快晴。

夏場、ポルトガルは雨とは無縁です。

リスボンのセッテ・リオス・バスターミナルから長距離バスでベーシャへ向かいました。

リスボンの南東140キロにあるバイシャ・アレンテージョ地方の中心地です。

バスがリスボンを離れると、すぐに景色が一変します。

乾いた台地にオリーブの木とコルク樫が累々と広がっています。

それがアレンテージョ地方の典型的な風景です。

ベージャは標高277㍍の小高い丘に市街地が密集しています。

人口は約3万5000人。

ここは17年前に訪れました。

内陸地なので、猛烈に暑い~f(^_^;

気温は36度ほど。

強い紫外線が肌を突き刺します。

街には人通りがなく、完全に死んでいました。

かつて女子修道院だった市立博物館に入ると、あった、あった、「タルテシアンの石碑」が~\(^o^)/

それも真ん中に兵士らしい人物を描いた、一番見たかったものが!!!

感動のあまり、体が震えました~(*^^*)

昨日、リスボンで碑文をお目にかかれなかっただけに、なおさらうれしい~(*^^*)

「タルテシアンの石碑」との初対面です。

他にも数点、展示してありました。

すべて実物です。

うーん、人物像はケルトらしい図柄なのだけれど、はて、ケルト人の手によるものか~?

文字はアルファベットのようにも見えるし、そうでもないようにも見えるし。

紀元前700年ごろのもの。

なかなか面白い。

他にもっと見てみたいという欲望が募ってきました。

満足感に浸り、博物館を出ると、さらに気温がヒートアップ~(*_*)

しかし夜半には涼しげな風がそよぎ、Tシャツでは寒いほど。

寒暖の差が激しい。

ブーゲンビリアが壁面に咲き誇る小綺麗なホテルの前の広場で、ダンスパーティが催されていました。

オーソドックスな音楽ではなく、乗りのいいヒップポップ系~♪♪♪

老若男女、実に楽しく踊ってはりました。

ぼくも参加したかったのですが、ワインの酔いに足をとられ、やむなく断念~(((^^;)

ともあれ、べージャに来て、ほんまによかったと実感した次第です。

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