Category Archive: その他

11月 02

「ラグビーの聖地」花園が、ラグビーワールドカップでアピールできず……( ノД`)シクシク…

ラグビーワールドカップ(W杯)、南アフリカがイングランドを「トライゼロ」で下して3度目の優勝~

おめでとうさんです~

今回のワールドカップ、今日の決勝戦に象徴されるようにビッグ・ゲームは大半が横浜国立総合競技場。

「ラグビーの聖地」と言われる東大阪の花園ラグビー場は収容人員の関係で、日本戦以外の数試合だけでした~

日本で初のラグビーW杯なのだから、そして数年前に日本開催がわかっていたのだから、「ラグビーの街」を標榜している東大阪市大阪府がラグビー場を一気に拡張し、「花園」で決勝戦を開催してほしかった~

世界に「花園」を知ってもらえる絶好の機会やったのに……。すべて「横浜」に奪われてしまった~

それがほんまに無念で、情けないです~

8月 18

戦前・戦中の歴史を伝える貴重な「資(史)料」をゲットしました!

今日は心ときめく日になりました~😁

堺のとあるバーで出会い、Facebookの友達になったOさんから、戦前の貴重な「資料」の数々を譲り受けました。

大阪で古本商を営んでおられたOさんの奥さんのおじいさんが所蔵していたものです。

売り物もあれば、個人のコレクションも。

紙袋3つにびっしり詰め込んで持って帰りました。

点数を数えられないほど膨大な量~😅

パッと目についたのが以下のものです。

満州国皇帝溥儀の訪日記念絵ハガキ(昭和10=1935年)。

第一次大戦後のベルサイユ会議(パリ講話会議)の記念絵ハガキ(大正8年=1919年)。

日英同盟の記念絵ハガキ(明治35年=1902年)。

その他、連合艦隊の軍艦進水式、満州のスケッチ、国防関係の絵ハガキなどなど。

ロシア革命後のシベリア出兵(大正7年~11年)のこんな写真は見たことがないです~😲

昭和2年当時の連合艦隊の保有艦数を示す絵ハガキはえらいカラフル!

シンガポール陥落(昭和17年2月)の記念絵ハガキもめちゃめちゃレアだと思います~❗

どれも見た目は勇ましいけれど、非常にややこしい時代でした~😵

広告媒体として効果を発揮したマッチのラベルと煙草のパッケージのコレクションにはびっくり😲

見ているだけで、「歴史の躍動と息吹」がビンビン伝わってきました~❗

これらは何らかの形で生かしていきます。

Oさん、ありがとうございました❗

8月 15

敗戦記念日……、亡き父親の写真の数々

台風10号が迫り来る敗戦記念日。

満州(中国東北部)へ出征した亡きオヤジさんの写真がいろいろ出てきました。

ソ連国境の守備隊(満州第287部隊)に配属され、銃を構えるソ連兵の顔がよく見えたと言うてました。

後ろから2列目の左から2人目

写真の裏

外出日にはスイカを食べていたんですね(昭和18年夏)。

左から2人目

「隊長許可」の印を押された写真が多いです。

昭和20年7月、米軍上陸地と見なされていた宮崎県の日南海岸へ移動し、玉音放送は都城で聴いたらしいです。

涙が出ず、「これで大阪へ帰れる」と安堵し、帰阪すると、街は空襲で廃墟と化していた……。

満州と宮崎で何があったんやろ?

戦友の方々はどうされたのでしょうかね。

詳しいことはあまり聞いていません。

前列の左端

写真の裏

「何があっても戦争は絶対、アカン」と言うてたオヤジさんの言葉はいまだに忘れられません。

7月 17

旧友を訪ねて飛騨高山へ~(^_-)-☆

15日の「海の日」に山へ向かいました~💨

といっても、山登りとちゃいます。

大学時代の旧友を訪ねて飛騨高山へ~🍀

大阪駅からJRの在来線特急「ひだ25号」でのんびりと列車の旅を満喫しました~🙆

ディーゼルの特急に乗るのはほんま、久しぶり。

ルンルン気分でしたよ~😆🎶✨

彼とは卒業以来、会っていないので、41年ぶりの再会になります。

無性に顔を見たくなり、半ば衝動的な行動でした~😅(笑)

いつもこんな感じです。

そして高山駅前で、旧友と再会できました❗

赤いマイカーで出迎えてくれた彼は元気でした。

同じ文学部とはいえ、彼の専攻はぼく(美学科)とは違ってフランス文学でしたが、妙にウマが合い、進学塾でのアルバイトも一緒でした。

学生時代はブルースバンドを組み、ベースを担当していましたな~。

大学卒業後は高校の教師。

目下、再任用で教壇に立っています。

車で白川郷⇒温泉⇒高山の郷土料理店とエスコートしてくれました。

飛騨で生まれ育っただけに、自分の庭のように軽やかに移動~(笑)

白川郷は初めてだったので、合掌造りの家屋を目の当たりにした瞬間、ときめいてしまった~!

思いのほか観光客が少なくて安堵した次第。

そこでツーショットを何枚か撮りました。

一緒に温泉に浸かれたのもうれしかったな~。

夜は割烹でこだわりの郷土料理の数々を堪能。

どれも美味かった。

最後は飛騨牛で締めました~✨

友の温かいおもてなしに感謝、感激~❗❗

1970年代の青春時代に戻りながらも、昨日会ったみたいな感じで、現状報告やこれからのこと、映画、ケルト文化、文学、イギリスのEU離脱などの時事問題、彼の好きな釣り、高山と大阪、あの頃の恋愛話、その他諸々について会話が途絶えることなく、語り合えました。

大学生のころ、こんなにガチで話したことがなかったのに……、これも年の功ですね~🙆

高山にやって来て、ほんま、よかった❗

2日目は1人で高山市内を散策。

古い街並みはやはり風情がありますね。

その中でも吉島家は別格。

古巣新聞社の先輩のご実家……、すごい!

洋館建ての市立図書館の外観が素晴らしかった。

旧役場も時代を感じさせてくれました。

白人観光客のお好みの世界です。

お昼は中華そば。

和そばより、中華そばの方が目に着きました~🍜🍥

「山の国」なのに、魚介類で取った醤油味の出汁がすごくあっさりしていて、具はチャーシューとメンマだけ。

シンプル・イズ・ベストですね~✌

おいしゅうございました~😃

このあと、昭和30~40年代を再現した飛騨高山レトロミュージアムを見学。

懐かしの世界へどっぷり浸りました。

午後2時のバスで高山を去り、名古屋へゴー。

夜、金山にあるANAクラウンプラザホテルで、関大武部ゼミ1期生、さっくんの夫婦➕同世代のご両親との会食を楽しみました~🙆

彼が大学を卒業して15年。

こんなふうに教え子のファミリーを巻き込んで(笑)、交流が続いているのがすごくうれしいです~🙆

話が弾みすぎて、理屈抜きに素敵な時を過ごせました✨

そして3日目。

朝の近鉄特急で難波へ帰ってきました。

こんなふうにすごく充実した旅でした。

人との出会いは理屈抜きに素敵ですね。

思い立ったら吉日、それを実行に移して大正解でした。

何はともあれ、めちゃめちゃ英気を養うことができました~(^_-)-☆

6月 30

高校陸上部のミニ同窓会~(^_-)-☆

昨夜は、大阪・寺田町の割烹で母校、大阪府立清水谷高校陸上部のミニ同窓会でした。

ぼくが1年生の時の2年生と3年生、つまり、「愛情」を込めてめちゃめちゃシゴいてくれはった先輩諸氏との会です(笑)。

あれから半世紀……。

3年生の送別会。ぼくは1年生でした

高校2年生の時の合宿(紀伊田辺)

懐かしさの渦に飲み込まれ、思い出話➕今の話➕将来の話でえらい盛り上がりました~😁

キャプテン3代。ぼくが一番、ええ加減でした~(^_-)-☆

たまには過去に浸るのもええ塩梅ですね~🙆

6月 12

亡き父親の写真が『大阪早稲田倶楽部100年史』に掲載されました~(^_-)-☆

亡き父親が若かりし頃に撮影した写真の数々。

すべて昭和30年代の大阪を活写したものです。

あろうことか、それらが『大阪早稲田倶楽部100年史』に掲載されました!!

「ああ懐かしの大阪」と題し、特選の14枚が4ページにわたって~😁

昨年秋、大阪市立中央図書館で開催した父親の写真展が発端となり、こういうことになりましたが、あの世にいるオヤジさん、「何で、早稲田やねん」と苦笑いしてるでしょうね~(笑)

お声がけしてくれはりましたKさん、ありがとうございます~❗

6月 11

田辺聖子さん、天国へ召されました

大阪の作家、田辺聖子さんが6日に亡くなりはりました。

享年、91。

女性、それも大阪女の心の襞を描かせれば、この人の右に出る作家はいないでしょうね。

女性の心理を知る上でどれだけ彼女の作品が参考になったことか~(笑)

ユーモアとイチビリ。

典型的な大阪人気質を発散させた田辺さんの作品は、独特のエスプリが効いていて、『大阪弁ちゃらんぽらん』などのエッセイはどれも笑いの「玉手箱」でした。

ほんまにこなれた、生き生きとした大阪言葉(関西弁とちゃいまっせ~❗ 一緒くたにせんといて~!)を見事に活字にされてはりました。

そういえば、映画化されたのは『ジョゼと虎と魚たち』だけやったかも。

田辺さんが残したアフォリズム(箴言、金言)の数々……、どれも納得できます~😁

よぉ、人間を見てはりますわ。

『苦味(ビター)を少々』(集英社)からちょっと抜粋。

☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

「女は、やさしい男が好きなくせに、男がやさしいと見くびるものである」

「大きな嘘をつくときは、人は、ふつうよりも、いっそうまじめになる」

「一緒に笑うことが恋のはじまりなら、弁解(いいわけ)は恋の終わりの暗示」

「食べ物が安いというのも文化程度の高いことである」

「本音というのは黙ってるから、本音。しゃべると、タテマエになってしまう」

「人生をうまく生きる人というのは、楽しい口実をたくさん考えつく人である」

そうそう、ちょかBandの「ちょか」もちゃんと説明してはりました。

「チョカは、とくに大阪の下町っ子に多かった気ィがする。

注意力散漫、消しゴムを床に転がしたり、墨を隣の席の子の服にこぼしたり、先生の言うことを半分聞いて、いつも早とちりで失敗するような子。

大物ではないと、ひと目で分かる子。

ガサの方は、少し粗暴という意味が加わる」

うまいこと表現してはります。

ぼくと相方のキャラクター、そのもの!

☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

『源氏物語』の現代訳など古典にはついぞ親しめませんでしたが、めちゃめちゃ楽しませくれはりまして、ありがとうございました。

天国でカモカのおっちゃんと丁々発止の会話を楽しんでください。

ご冥福をお祈り申し上げます。

合掌。

5月 02

東大阪新聞チャンネルでちょこっと出演~『スリランカは今』

今夜からYouTubeで配信されている「東大阪新聞チャンネル」でぼくの出演している30分番組がアップされました。

テーマは『スリランカは今』。

別にスリランカの専門家でも何でもないんですが、たまたま現地へ放浪の旅に出て、帰国してから10日後にあの連続爆破テロが起きたので、急きょお呼びがかかった次第です。

ごく普通に喋っています。

お笑いを求めている人はご覧にならない方がええかもしれませんね~(笑)

ちなみに、この番組に出たとき、インタビュアーから素敵なプレゼントをもらいました。

銭湯の下駄札!!

番号は「66」!

すでに廃業している東大阪市小阪にあった「喜楽温泉」の〈遺品〉らしいです。

生まれ育って以来、長らく銭湯派だったので、涙が出るくらいうれしい!。

宝物にしています。

3月 30

13年間続けてきた日経新聞の「シネマ万華鏡」……終焉と相成りました

昨日、アップした日経新聞の「シネマ万華鏡」の拙稿。

金曜日夕刊の文化面で月に2度、映画の原稿を寄稿していましたが、昨日をもって「上がり」となりました。

2006年からなので、13年間も続けてきたことになります。

トータルで305本の映画~!

毎回、エッセイ風に好き放題に書かせていただき、編集の方には感謝しています。

何よりも、ほとんど接点のなかった日経新聞とご縁を作ってくださった元デスクのCさんにはほんまにありがたく思うています。

ジャーナリズムの本質に迫った骨太な社会派映画『記者たち~衝撃と畏怖の真実』で締めくくれたのがほんまによかったです。

どうして「上がり」かと言うと、4月以降、東京の原稿を流用することになったからです。

以前から他の全国紙ではそうなっており、日経の大阪本社が最後の牙城でした。

時代の流れですね……。

よくぞここまで踏ん張ってきたものです。

すべて東京中心。

メディアの世界も東京一極集中の趨勢に逆らえなくなってきました。

海外ではちょっと考えられないことです。

先進諸国の中で一極集中を続けているのは日本だけ。

全くよろしくない事態だとぼくは受け止めています。

かつて全国紙の大阪本社はどこもこちらの書き手に原稿を依頼し、独自に映画のページを作っていたのですが……。

うだうだ言っても仕方がありません。

残念ですが、現実をきちんと受け止め、これからも映画を観続けていこうと思っています。

そして、大阪に踏み留まり、執筆テーマ(映画、ケルト文化、洋酒、大阪)をあれこれと表現・発信していくつもりです~(^_-)-☆

3月 08

小学校のプチ同窓会(飲み会?)

昨夜、大阪・上本町3丁目の割烹➕寿司屋さんで、母校・大阪市立南大江小学校のミニ同窓会がありました~😁

いや、同窓会というより、単なる飲み会でした~(笑)。

年に一度の同窓会企画の立案~という名目で、同期生が3か月に一度くらいの割合で会っているようです。

今回、ぼくは「特別ゲスト」としてお声がけされた次第。

昨年の夏以来なので、まぁ、それなりに久しぶりとあって、旧交を温めることができました。

みな思いのほか元気で、お酒もよぉ飲んではったので、うれしかったです。

でも、こういう集いはしょっちゅうあると、やはり新鮮味が薄れ、メンバーも固定されてしまいますね。

気がつくと、仲良しクラブといった感じに。

次回は、時期を見計らって参加しようと思っています。

何はともあれ、オモロかった~🙆

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