Category Archive: 大阪

8月 11

『あゝ、懐かしの大阪~昭和30年代の息吹~昭和の大阪写真展』のDMできました~(^_-)-☆

『あゝ、懐かしの大阪~昭和30年代の息吹~昭和の大阪写真展』

こんなタイトルで、亡き父親の写真が9月21日~10月17日、大阪市立中央図書館で展示されることになりました(自由に観られます!)。

以前、Facebookに投稿しました大阪の写真の数々です。

堺のウエブ・デザイナー樋口さんがレトロ感あふれる素晴らしいDMを作ってくれはりまして、それが今日、届きました!

追ってDMを郵送する人もいますが、重複したらごめんなさい。

これからもしつこく告知します~(笑)

7月 25

Osaka Metro アプリ「Otomo!」のエッセイ(大阪ストーリー)~大阪の夏祭り~心弾ける「いくたまさん」

7月は夏祭りのシーズンです。ウキウキします。このエッセイがアップされる25日は日本三大祭のひとつ天神祭本宮の日。大阪天満宮(大阪市北区)のお祭りですね。大川に100隻もの船が行き交う船渡御と夜空を華麗に彩る5000発の奉納花火が祭りのクライマックスを演出します。

「愛染さんに始まって、住吉さんで終わる」

大阪では親しみを込めて、祭りにも「さん」づけをします。昔からこう言われるように、大阪の夏祭りは毎年6月30日~7月2日の四天王別院・愛染堂勝鬘院(天王寺区)の愛染まつりでスタートし、7月30日~8月1日の住吉大社(住吉区)の住吉祭でエンディングを迎えます。「住吉さん」は「おはらい」とも呼ばれていますね。

今年の「愛染さん」は残念ながら、宝(ほ)恵(え)駕籠(かご)のパレード、露店、演芸がなくなりました。それでも境内は華やいだ雰囲気。宝恵駕籠をかつぐお兄さんにカメラを向けると、ポーズを取ってくれはりました。

「愛染さん」には宝恵駕籠がつきもの

愛染堂のご本尊は恋愛・縁結びの愛染明王。それにあやかり、この祭りに来たカップルが雨に打たれると、2人は結ばれると言われています。何せ梅雨時ですから、必ず一度は雨が降ります。高校時代、意中の彼女を誘って来たら、「雨は嫌い」と言われ、それっきりでした……。

 物心ついたころから、まずは「愛染さん」でウォーミングアップしてから大阪各地の夏祭りに出向いていました。市内に限っても20以上あり、そのほとんどを制覇。「ほんまに祭りが好きゃなぁ。おかしいんちゃう」と母親にバカにされてましたが、好きなもんは好きゃねんからしゃあない。

ぼくにとって一番身近な夏祭りが、7月11日、12日の生國魂神社(天王寺区)の「いくたまさん」です。天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭りのひとつ。なぜかと言うと、氏子だった幼少時代に子供太鼓を打ったことがあり、近年もちょくちょく参加させてもらっているからです。

生國魂神社は神武天皇の東征時に創建されたといわれる大阪最古のお宮さん。かつて上町台地北端に社殿が鎮座されていましたが、1598年、豊臣秀吉の大坂城築城に伴い、現在の地に移転されました。Osaka Metro谷町九丁目駅から南西へすぐのところ。

生國魂神社の参道

大鳥居

この神社の境内で連歌や俳文の数を競う矢数俳諧(やかずはいかい)を一昼夜に4000句もやってのけた江戸元禄期の文人「井原西鶴の像」、上方落語の始祖といわれる江戸中期の「米澤彦八の顕彰碑」、神社近くで生まれ育った大阪の大衆作家「織田作之助の像」があります。女性の守護神としても知られる淀君ゆかりの鴫(しぎ)野(の)神社、芸能上達の浄瑠璃神社など小さなお社もいくつかあり、境内を散策するだけでも楽しいですよ。

井原西鶴像

米澤彦八の碑

織田作之助像

子供太鼓は、病欠した小学校の同級生のピンチヒッターとして出ました。2人が向かい合い、満身の力を込めて連打し続けるのはほんまにしんどかった。たった1回だけのこの濃厚な体験が忘れられず、いつかまた祭りに出たいと思っていたら、4年前、50年ぶりに実現できました。

午前中は70年ぶりに復活した陸(おか)渡御(とぎょ)、つまり渡御(おわ)巡幸(たり)に加わりました。ご神体を乗せた鳳輦(ほうれん)を神社から元宮のあった北約3キロの大阪城まで運ぶ一大行列。鳳輦は重さ500キロの金色の鳳凰を乗せた漆塗りのお神輿です。戦前には2000人の大行列でしたが、今はざっと700人です。

戦前の陸渡御

大鳥居を出て渡御巡幸の始まり

ぼくは神さんへの供物を入れた「神饌(しんせん)唐(から)櫃(ひつ)」という木箱を担ぐ役でした。ピンクがかった狩(かり)衣(ぎぬ)に烏帽子をかぶり、何だか平安朝の貴族になったような気分。鳥居をくぐり、露店が立ち並ぶ参道をゆっくり歩き、谷町筋を一路、北上しました。

渡御巡幸のひとコマ。後方で担いでいるのが筆者

夕方、神社に戻ると、境内と参道は人、人、人……。すごい熱気です!

祭りの賑わいは半端ない!

日が暮れると、法被姿に変身して枕太鼓のお練りに挑みます。枕太鼓は子供太鼓よりもかなり大振りで、3人が向き合います。渡御巡幸のおっとりした空気を一掃させ、躍動感あふれる祭りのハイライトです。

ドン、ドン、ドン。社殿前で、腹にズシリと響く太鼓のリズムに合わせ、枕太鼓を猛スピードで突進させ、急停止させたかと思うと、いきなり横倒しに。さらにシーソーのように前後に揺さぶる。これを繰り返します。打ち手はどんな態勢になっても太鼓を打ち続けなあきません。ほんま、大変ですわ。

勇壮な枕太鼓のお練り

お練りの最中に何度も「いくたま締め(打ち)」。これ、「大阪締め」の元祖なんです。「大阪締め」は「祝うて三度」でおしまいですが、「いくたま締め」はそのあとも続きます。

打~ちましょ(パンパン)、 もひとつせぇ(パンパン)、祝うて三度(パンパンパン)、めでたいな(パンパン)、本決まり(パンパン)

今年は枕太鼓のお練りにだけ参加しましたが、めちゃ燃えた! 大阪で生まれ育ってほんまによかった。そんな郷土愛を強く再認識させられました。心が弾み、まさに「本決まり」、パンパン~。あゝ、大阪の夏祭りはええもんですなぁ。

7月 24

落語好きの新聞記者&噺家との珍道中記~『笑福亭純瓶と行く 上方噺三十六景 落語散策そぞろ歩き』

古巣新聞社の社会部記者、彦坂真一郎さんのもう一つの顔が上方噺研究家。

狐狸窟彦兵衛(こりくつ・ひこべい)という雅号を持ってはります。

確か大学時代、落語研究会に入ってはったと思います。

「遊び心」をみなぎらせ、新作落語も創作しているなかなかの風流人~(笑)

そんな彦坂さんが『笑福亭純瓶と行く 上方噺三十六景 落語散策そぞろ歩き』(レベル、定価:本体1,500円+税)という本を上梓され、一冊、謹呈してくれはりました。

喜六清八よろしく、「兄弟の契り」を結んだ(笑)純瓶さんと一緒にわいわいガヤガヤ言いながら、上方落語の舞台の地を巡る道中記です。

うんちくが散りばめられており、大阪の知らないことがてんこ盛りで、楽しくページを繰っています。

現役の新聞記者がこんなイチビった本を出したのが何よりも素晴らしい。

彦兵衛はん、おめでとさんです~(^_-)-☆

6月 14

Osaka Metroのアプリ『Otomo!』にぼくのエッセイ「〈映画のふるさと……難波!〉が掲載中

Osaka Metro(旧大阪市営地下鉄)のアプリ「Otomo!」に掲載中のぼくのエッセイです。

タイトルは、『〈映画のふるさと〉……難波!』

これ、拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)を上梓した2年前から訴えていることです。

  ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

大阪見物をしたいと先日、東京から知人が来阪しました。

ありきたりな観光スポットでは芸がない、どこか穴場がないものかとあれこれ思案していると、この人が大の映画好きで、歴史にも興味を持っていることを思い出し、ならば、ここしかないと連れて行ったところが難波でした。

夕方、待ち合わせ場所の梅田で再会し、難波へ行くと告げると、「何度も行ったことありますよ」と怪訝な顔を。

ぼくはニタニタ笑い、「あっと驚く知らない難波ですよ」。

なんば駅に向かうOsaka Metro御堂筋線の車中でのやり取り。

「今や映画と映像が世の中にあふれ返ってますが、そもそも日本で最初に映画の興行が行われたのはどこか知ってはりますか」

彼は即座に「京都でしょう」

ブーッ、ハズレ。

「ちゃいますよ。大阪です。それも難波」

「えっ!」

なんば駅の南改札口から地上に上がったところに「TOHOシネマズなんば」や「なんばマルイ」などが入る複合商業ビルの東宝南街ビルが建っています。

向かい側は荘厳な外観を呈する髙島屋大阪店です。

東宝南街ビル

「かつてここにあった南地演舞場で、映画が初めて一般公開されました。入場料を取って観せたので、日本における映画興行の始まり。今から121年前のことです」

このあとぼくはかいつまんでこんなふうに説明しました――。

時は明治30(1897)年2月15日。その映画とはフランスの映写機シネマトグラフによる映像。

南地演舞場は「南地五花街」の綺麗どころの技芸向上を目的に造られた豪勢な木造家屋でした。

長らく存続していたのですが、戦時中の建物疎開で撤去されました。

南地演舞場(『近代大阪の建築』大阪府建築士会1984年)

シネマトグラフは、リヨンのリュミエール兄弟が発明した世界最初のスクリーン投影式映画です。

商用でフランスを訪れていた京都の実業家、稲畑勝太郎さん(稲畑産業の創業者)がその装置とフィルムを持ち帰り、ここで一般上映したのです。

稲畑勝太郎さん(『稲畑八十八年史』 稲畑産業1978年)

シネマトグラフの装置(左)、右は投光器(リヨンのリュミエール研究所で筆者が撮影)

当時、ドラマなんてものはなく、風景や人物の実写だけ。

それも上映時間が1分~3分と短い。それでも写真が動いたので、みなびっくり。

2週間にわたって公開され、連日、押すな押すなの大盛況でした。

「ここに映画興行発祥地の碑文がありますよ」

戎橋商店街から東宝南街ビルのエレベーター乗り場に知人を導き、奥の左手の壁にはめ込まれた銅板プレートを指さしました。

これは昭和28(1953)年、以前あった南街劇場が完工された際、東宝社長の小林一三さんが歴史的事実を知って作ったものです。

髙島屋前から北に戎橋商店街を臨む

戎橋商店街から見たエレベーター乗り場

「映画興行発祥地」の碑文

「このモニュメントの存在を知らない人が多いでしょうね」

「そうなんです。表の商店街に『映画興行発祥地』の説明板を立てれば、観光客にもアピールできると思うんですが……」

さらにぼくは言葉を紡ぎました。

「ここは映画が一般公開されたところですが、最初に試写上映されたのは別の場所なんですよ」

碑文に目を通していた知人は反射的に振り向きました。

「えっ、試写ですか? シネマトグラフの?」

「ちゃいます。もうひとつ別の映写機があったんです。それはエジソン商会が販売したアメリカ製の映写機ヴァイタスコープ。エジソンというのはあの有名な発明王です」

東宝南街ビルを離れ、髙島屋西側のパークス通りを200メートルほど南下し、大きな換気塔がそびえる「難波中」交差点の北東角に来ました。

南側には複合施設のなんばパークス。

かつて南海ホークスの本拠地、大阪球場がありました。

あゝ、懐かしい……。

パークス通りを南に臨む

「難波中」交差点

「心斎橋の舶来品雑貨商、荒木和一さんという人が渡米中、シカゴでヴァイタスコープの映像を観て驚き、すぐにニューヨークへ向かい、エジソンと直談判の末、装置とフィルムを輸入しました。そして明治29(1896)年12月のある日、この場所にあった福岡鉄工所で試写を行ったんです」

荒木和一さん(同志社大学図書館『荒木英学文庫目録』 1978年)

ヴァイタスコープの装置
(『シネマの世紀 映画生誕100年博覧会』カタログ 川崎市市民ミュージアム1995年)

福岡鉄工所(『成功亀鑑』1907年)

ぼくが一気に説明すると、東京のジェントルマンはいたく興味を示しました。

「どうして鉄工所で?」

「ヴァイタスコープは直流の電動式やったんですが、大阪の電気は交流。そのままだと動かないので、電気変換器が必要になり、あちこち探し回ったところ、福岡鉄工所に変換器があるのがわかったんです」

「なるほど」

「京都で行われたシネマトグラフの試写はこれよりもずっと後のこと。つまり、日本で初めて映画がスクリーンに映されたのはこの場所に間違いないと思いますよ」

荒木さんは試写上映をいち早く成功させながら、一般公開はシネマトグラフに先を越され、1週間後の2月22日から3日間、難波の北西1.4キロ離れた西区の新町演舞場でヴァイタスコープの興行を打ちました。

「フランスのシネマトグラフとアメリカのヴァイタスコープ。映画の渡来をめぐり、こんなドラマチックな攻防があったとは全く知らなかった。それも大阪が舞台だったんですね」

東京の客人はやや興奮気味。

「はい、大阪の中でも難波です。映画の初上映と初興行の地なので、難波が日本における〈映画のふるさと〉と言ってもいいでしょう。このことをもっとアピールせなあきませんね」

気がつくと、薄暮になっていました。

阿吽の呼吸で2人して近くの居酒屋へ直行。

想定外の大阪見物を体験した知人は「確かにあっと驚く知らない難波でした」と満足そう。

ぼくの方もひと味違った〈おもてなし〉ができ、うれしかったです。

そして乾杯! 

ビールが美味かった。 

6月 05

学生たちの手応え十分!!~関西大学社会学部の講義『メディア史』

インドから帰って来て2日後の5月31日、関西大学社会学部メディア専攻の講座「メディア史」(2限)に登壇しました。

『日本の初期映画史~大阪と映画』

こんな演題で、映画がいかにして日本に入ってきたのか、そこに大阪がどう絡んだのかを分かりやすく解説しました。

拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)の第1章を要約したもので、これまであちこちでお話ししてきましたが、大学の正規講座では初めて。

本講座を担当する松山先生に「ぜひ、お話しください」とお声がけいただきました。

感謝感激です!!

ありがとうございます!

250人もの受講生が聴講する久しぶりの大教室。

ぼくの日焼けした顔を見入る学生たちを前に、インド旅行の話を「枕」(つかみ)にしたら、えらい興味を持ったので、そのまま延々と喋ってしまいそうでしたわ(笑)

昨年、一昨年に担当した元教え子たちも聴講しに来てくれました~😁

・フランス(リュミエール商会)のシネマトグラフとアメリカ(エジソン商会)のヴァイタスコープの攻防。

・121年前、大阪・難波でシネマトグラフによる日本で最初に催された映画興行。

・心斎橋の舶来品雑貨商、荒木和一がヴァイタスコープを個人輸入し、難波の福岡鉄工所で試写上映したこと。

・それがおそらく日本で最初のスクリーン投影式映画の上映になったこと。

・さらに、京都で行われたシネマトグラフの試写よりも早かったこと。

・映画の初上映と初興行の地、難波が日本における「映画のふるさと」。

上記のことを、パワーポイントの画像を使って時系列的に説明しました。

学生たちにとって、知らないことばかりなので、みな真剣に聴いていました。

昨日、彼らのコメントが自宅にどっさり送られてきました。

ほぼ全員、ぼくの講義に感銘を受けてくれ、すごくうれしかったです。

コメントはだいたい以下のような感じです。

「非常に興味深い内容だった」

「定説を鵜呑みにしてはいけないことがわかった」

「荒木和一をもっとクローズアップすべき」

「関西、それも大阪の難波から映画が始まったとは……、びっくりした」

「ずっと京都が映画発祥地と思っていたので、衝撃を受けました」

「日本の初期映画史で、こんなスリリングな攻防があったとは知らなかった」

一昨年秋に拙著を上梓後、「大阪・難波が〈映画のふるさと〉」であることを懸命にアピールしてきましたが、まだまだ浸透していません。

お膝元の南海電鉄、地元商店会、その他、映画関係者がバックアップしてくれてているにもかかわらずです。

学生の誰一人としてぼくの新説を知っている者がいなかったからです。

今回、少しは彼らを意識改革できたのではないかと思っています。

これからも地道に訴えていきます~(^.^)/~~~

5月 18

昨夜、「TOHOシネマズなんば」でトークショー~(^_-)-☆

昨夜は大阪・ミナミの「TOHOシネマズなんば」のSELECTルームでトークショーをしました。

戎橋筋商店街主催「春の体験博」映画特別上映会のプレ・イベントで、招待された方々を前にして、短い時間でしたが、喋くり倒しました~!(^^)!

お題は『日本の映画初上映地は難波?』。

121年前、南地演舞場があったこの場所で日本最初の映画興行が行われ、その前年に南へ約200メートルの地で初上映が行われました。

ご当地でこういう話ができたのがすごくうれしかったです~😁

トークの前に「ミズえびすばし三姉妹」と記念撮影~😁

3人ともめちゃ愛想がよかった❗

1人は同志社大学の4年生です。

ちなみに上映作品は櫻井翔くん主演の『ラプラスの魔女』でした。

4月 14

27日、中之島のリーガロイヤルホテルで講演~『大阪「映画」事始め』

大阪・中之島にあるリーガロイヤルホテルの会員制クラブ「リーガクラブ」

その文化講座で今月27日(金)13:30~15:00、『大阪「映画」事始め』と題してお話しします。

「大阪検定」協力事業です。

2016年秋、演題と同じタイトルの本を彩流社から出版後、大阪が〈映画のふるさと〉であることを各地でアピールしてきましたが、まさかリーガロイヤルホテルから講演依頼があるとは思ってもいませんでした。

ゴージャスな会場ですので、会費が少々お高いです~(^^;)

それでも、大阪の知らない歴史に触れることができると思います。

ぼくの講演をまだ聴いておられない方で、かつ時間とお金にゆとりのある方は、どうぞ中之島に足を運んでくださいませ~(^_-)-☆

3月 28

大阪地下鉄アプリ「Otomo!」に1回目のエッセイがアップされました~(^_-)-☆

大阪地下鉄アプリ「Otomo!」に寄稿したぼくのエッセイVol.1が今日、アップされました。

アプリを開き、「ギュッと大阪」のところを押さえると、エッセイが掲載された「大阪ストーリー」が出てきます。

タイトルは『路地は大阪の原風景、ええ塩梅や』。

路地を「ろじ」と言う大阪人はいません。

「ろぉじ」か「ろおじ」です~(笑)

生まれ育った中央区龍造寺町のことをたっぷり書かせてもらいました。

ぼくの原点です!

原則、奇数月の第4水曜日に新しいエッセイが掲載されます。

乞うご期待くださいませ~(^_-)-☆

3月 17

大阪出身の藤元明緒監督、長編デビュー作『僕の帰る場所』を大阪アジアン映画祭で観ました!

大阪で開催中の第13回大阪アジアン映画祭。

初春のイベントとしてすっかり定着してきた感があります。

今年は何かと忙しく、1本しか観れていません。

その1本が昨夜、シネ・リーブル梅田で上映された日本・ミャンマー合作映画『僕の帰る場所』(2017年)。

映画祭の特別招待作品。

ⒸE.x.N K.K.

政情不安から祖国ミャンマーを離れ、日本に移住したミャンマー人の家族に焦点を当てたヒューマンドラマです。

幼い2人の男の子は日本語しか解せず、習慣から感性まですべてが日本人になっています。

父親は居酒屋で、母親はクリーニング店で必死に働いています。

生活は苦しけれども、愛情に満ちあふれた素晴らしい家族です。

ⒸE.x.N K.K.

ただ、就労ビザが切れており、いつ入国管理官がやって来るのかわからず、ビクビクしています。

とりわけ母親の精神的なストレスが激しい。

そんな家族が分断されます。

母親は子供を連れてミャンマーの実家へ里帰り、父親は金を稼ぐため日本に留まるのです。

ここから目が離せなくなります。

祖国へ渡った子供たちの言動がドラマをぐいぐい引っ張っていきます。

ミャンマー人でありながら、祖国になじめず、ひたすら日本を恋しがる子供……。

これは実際のミャンマー人家族をモデルにした実話です。

予備知識を持たずに銀幕と対峙しました。

映画が始まって10分ほどまで、ぼくはてっきりドミュメンタリー映画だとばかり思っていました。

カメラの手振れはないものの、やたらクローズアップが多く、やや粗い画像と全体の雰囲気からしてそう思ってしまったのです。

この作品はしかし、まぎれもなくドラマです。

家族の4人がすべて素人ということもあり、ドキュメンタリー映画っぽく見えたのでしょう。

兄役に扮した男の子の演技には目を見張らされました!

ⒸE.x.N K.K.

難民問題に翻弄される子供たち。

彼らのアイデンティティーはどうなっていくのか……。

社会性のあるテーマで、どんどん引き込まれていきました。

監督、脚本、編集を手がけたのは大阪・豊中出身の藤元明緒さん。

大阪にあるビジュアルアーツ専門学校卒の30歳で、これが長編デビュー作です。

真ん中が藤元監督

ミャンマーでのロケ撮影では検閲が厳しく、いろいろ困難を強いられたそうですが、堂々たる作品に仕上がっていました。

この映画のプロデューサーを務める吉田文人さんは、ぼくの母校(大阪大学)の経済学部出身で、先輩に当たります。

面識はなかったのですが、ひょんなことから吉田さんとご縁ができ、「阪大つながりで、ぜひ観てください!!」と熱いラブコールを寄せられ、昨夜、シネ・リーブル梅田に駆けつけた次第です。

藤元監督、吉田さん(右端)との記念撮影

昨年の東京国際映画祭では「アジアの未来部門」で受賞しており、海外でも評価が高いと聞いています。

一般公開されんことを切に願っています。

3月 05

豪華ゲストがズラリと……、おおさかシネマフェスティバル2018

春の訪れを告げる『おおさかシネマフェスティバル2018』が昨日(4日)、堂島のホテルエルセーラン大阪で開催されました。

1976年から始まった映画ファンのための映画まつりです。

当初は人集めで大変でしたが、今回はチケット発売後、あっという間に完売になったになったそうです。

もちろん超満員。

時代が変わってきましたねぇ。

ぼくは申し込みを忘れていたんですが、スタッフのKさん、Eさんのお計らいで、後方で立ったまま観させてもらいました。

ほんまにありがとうございます!

受賞作品と受賞者はフェスティバルのHPでご覧ください。

https://www.oocf.net/prize

授賞式では、各賞を受賞した菅田将暉、桐谷健太、蒼井優、田中麗奈、ユースケ・サンタマリア、白石和彌監督、石井裕也監督……と豪華ゲストが次々に登壇~(^_-)-☆

「おおさかシネマフェスティバル」のFB写真から

菅田君は仕事の都合で出席できないと聞いていたんですが、地元大阪での映画祭とあって、何とか時間を作って駆けつけてくれました。

まさにサプライズ登場でした!!

こういう心意気、大好き~(^_-)-☆

外国映画作品賞を取った『ラ・ラ・ランド』で配給・宣伝GAGAを代表して、下高原さんがトロフィーを受け取ったのにはびっくりポンでした~(笑)。

浜村淳さんの名調子の司会で終始、会場は笑いに包まれ、大いに盛り上がりました~⤴⤴

こんなざっくばらんな和んだ映画祭は世界広しといえども、ここだけですわ~(笑)

根っからの浪花っ子、桐谷健太君のイチビリぶりがとりわけオモロかった~!(^^)!

浜村さんと丁々発止のやり取りで、完全に場の空気を支配してはりました。

さすが天六の桐谷健太!!

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