Category Archive: 大阪

6月 03

大阪、映画はじめて物語~!! ムック『大人の大阪本』に掲載

 

『大人の大阪本』(京阪神エルマガジン社)

 

こんなムックが5日、書店に並びます。

 

落語&お酒、美術、映画、建築、古地図、絵葉書、寿司、昆布だし、割烹。

 

こんな切り口で大阪を斬った読み物です。

 

その中の映画の章をぼくが執筆しました。

 

題して、『大阪、映画はじまり物語。』。

 

拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)をベースに、6ページにわたって、大阪と映画との関わりをまとめました。

 

「大阪の街を歩きたくなる映画ガイド。」も付けています。

 

ぜひ、お手に取ってお読みください~(^_-)-☆

 

定価は本体880円+税

 

5月 27

生まれ育った龍造寺町へ

何を思ったか、夕方、阪神の勝利を確信し、ランニングで生まれ育った龍造寺町(大阪市中央区)へ足を向けました。

 

これまで何度も来ています。

 

 

年齢を重ねるごとに、この町がどんどん小さくなってきているのを実感。

 

今日はとくにそう思いました。

 

この狭い路地でキャッチボールや「てんちょう」(天下町人)というボール遊びに興じていたなんて、信じられません。

 

ぼくの生家は空き家になっており、今や廃屋寸前です。

 

長屋も歯抜け状態になっていますが、佇まいは概ね、保たれています。

 

こんな小さな長屋で、亡きオヤジさんが印刷機を入れて、カッシャン、カッシャンと毎晩、徹夜していました。

 

当然、家のなかはインクの匂いが充満。

 

友達をうちに招くのが、ほんとうに嫌で嫌でたまらなかったです。

 

というか、呼べなかったです。

 

うちの中が汚かったから……( ;∀;)

 

でも、あのオヤジの踏ん張りがあってこそ、今のぼくがあるんやと思うてます。

 

ほんまに感謝しています、オヤジさんには!

 

先日、オヤジさんが撮ったこんな写真を見つけました。

 

 

うちの前ですね。

 

何歳ころかな??

 

記憶にありません……( ;∀;)

 

 

オダサク(織田作之助)の原作を映画化した『夫婦善哉』(1955年)でちょこっと映っていた低い崖は往時のままです。

 

ぼくが町内の「大将」になって、年下の「ひろゆきちゃん」「いくぞうくん」「けいぞうちゃん」「たっちゃん」「まことちゃん」らを率いて、その崖に陣取って、今日、何をして遊ぶのかを〈謀議〉していました(笑)

 

下校すると、いつもみんなと一緒でした。

 

ほんまに仲がよかった。

 

今、思えば、小学校時代、学校の友達よりも町内の縦社会によるつき合いの方がはるかに絆が強かったように思います。

 

「いくぞうくん」は亡くなったと聞いています。

 

いっぺん、彼らと同窓会をやりたいなぁ~(^_-)-☆

 

銭湯の「いろは湯」は健在です。

 

10歳のころ、風呂屋の奥にある池で泳いでいた鯉を湯船に入れて、めちゃめちゃ叱られたのを鮮明に覚えています。

 

冷たい水で泳いでいる鯉が、熱い湯の中で体の色がどんなふうに変わるのか知りたかっただけなんですがね~。

 

動物虐待ではありません。

 

単なる好奇心からなんですが……。

 

あの「鯉事件」のあと、しばらくの間、武部家は入湯禁止でした~(>_<)

 

まぁ、ヤンチャでしたわ。

 

今でも、「いろは湯」を見ると、茹蛸ように顔を真っ赤にして激怒していた番台のおっちゃんの顔が浮かんできます。

 

実は、あのころの龍造寺町を舞台にした諸々のことをモチーフにした小説を随分、以前に書き上げているんです。

 

ただ、あちこちの文学賞に公募しているんですが、今のところまったく陽の目が当たらず……。

 

原稿に目を通してくださった方は、みな高く評価してくれてはりますので、そのうちドカーンと当たるかもしれません。

 

乞うご期待を~(笑)

 

ということで、非常にノスタルジックな内容になりました。

4月 04

日本初の映画上映地はなんばだった! 南海電鉄の情報紙に大きく掲載されました~(^.^)/~~~

南海電鉄の情報紙『NATTS(ナッツ)』4月号にドカーンと出ました!

カラーでこんなに大きく写真が載ったのは初めて。

121年前の明治29年(1896)12月、大阪・難波の福岡鉄工所で、心斎橋の舶来品輸入業、荒木和一さんが輸入した米国エジソン社製の映写機ヴァイタスコープによって日本初の映画上映が行われました。

この歴史的事実をメインにした拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)の紹介と、「難波が日本の映画のふるさと」であることを周知する記事です。

南海電鉄のお膝元である難波が映画興行と映画上映の発祥地。

1人でも多くの人にこのことを知ってもらいたいと切に願っています。

この情報紙はフリーペーパーで、南海の各駅や関連施設に置いてあるそうです。

3月 07

21日、またまた『大阪「映画」事始め』の講演をします~(^_-)-☆

今夕、ABCの情報番組『キャスト』で特集「神戸・京都・大阪の映画発祥地論争(?)」が放映されました。

海外からの映画導入に貢献した稲畑勝太郎さんと荒木和一さんの名前が出てこなかったのは残念ですが、短い時間のニュース枠ならあんなものでしょうね。

その中で唯一ニュース姓のあるネタはぼくのコメントでした(笑)

拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)のハイライトとして取り上げた米エジソン社製ヴァイタスコープの難波での試写。

それ以外は旧知のことばかり。

映画の初上映も初興行も大阪の難波でした。

だから、映画は大阪で種がまかれ、京都で成長・熟成した。

ほんま、そう思っており、京都に対してすごくリスペクトしています。

大阪でのこの事実を軽んじることなく、謙虚に受け止めてほしいと思っています。

テレビで報じられなかった部分をお知りになりたい方、これまでの講演を聴き逃した方、21日に〈なにわ名物開発研究会〉の3月例会で『大阪「映画」事始め』と題してお話ししますので、ぜひ足をお運びください。

どなたでも参加できます。

会員以外は1000円。

3月 05

おおさかシネマフェスティバルでサイン会~(^_-)-☆

今日は、映画ファンのための映画まつり~『おおさかシネマフェスティバル 2017』でした。

 

会場は堂島・エルセーランホテル大阪の綺麗なホール。

 

開演の直後、ステージで拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)についてスピーチさせていただきました。

短時間でしたが、ベラベラ喋ってしまった~(笑)

 

「大阪ならではの映画祭で、大阪と映画の深い関係を探った本を販売できるのがうれしいです!」

 

こう締めくくりました。

 

あとはフロアでサイン会。

きっと飛ぶように売れるぞと期待したのですが、思いのほか皆さん、買うてくれはりません~((+_+))

 

ゲストの俳優目当ての人が多かったからでしょうかね。

 

映画祭であっても、必ずしも映画の本が売れない、そのことがよくわかりました。

 

まぁ、こういうかたちでサイン会をしたのは初めてだったので、ええ経験になりました~(^_-)-☆

懇親会では、元モデルのイケメン俳優・東出昌大さん、期待度200%の新人・毎熊克哉さん、『64-ロクヨンー』の瀬々敬久監督らもおられ、非常に華やいだ雰囲気。

司会の浜村淳さん、本を販売してくれはりました隆祥館書店の二村さんの3人で記念写真を撮って、映画祭を締めました~(^_-)-☆

2月 28

映画興行120年目の記念日に素敵なショット~(^_-)-☆

先日、アップしましたが、大阪・ミナミのトリイホールで開催された精華千日前キネマ映画祭の最終日(15日)が、120年前(明治30年、1897年)、大阪・難波の南地演舞場で日本初の映画興行が催された記念日でした。

 

その演舞場は現在、髙島屋大阪店の真向かい、「なんばマルイ」が入る東宝南街ビルです。

 

当日、開演前に4人が並んで記念写真を撮りました。

 

シネマトグラフをフランスから持ち込んだ稲畑勝太郎氏のひ孫さん、現在の稲畑産業社長の稲畑勝太郎さん(曾祖父と同名!)。

 

南地演舞場での興行にひと役買った奥田弁次郎氏の5代目、奥田幸治郎さん。

 

トリイホールの経営者、鳥居学さん(真言宗山階派千日山護法院弘昌寺の住職もされておられます)。

 

そして小生。

 

この写真は大事にしとかないとあきまへん~(^_-)-☆

2月 21

びっくりポン~! 京都新聞に大きく載りました~(^_-)-☆

今朝の京都新聞朝刊に拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)の記事が掲載されました。

昨年12月4日、京都のおもちゃ映画ミュージアムでの講演時に京都新聞の映画担当記者に取材された分です。

京都にとっては「不都合な事実」なので(笑)、掲載は無理かなと思っていただけに、ほんまにびっくりポンです~(*’▽‘)

よくぞ載っけてくれはりました!

全文を掲載します。

2月 16

映画興行120年目(2月15日)、刺激的な1日になりました~(^_-)-☆

昨日、2月15日は、日本で初めて映画興行が催されてちょうど120年目でした。

 

明治30(1897)年2月15日~28日、南地演舞場(現在のTOHOシネマズなんばが入る東宝南街ビル、なんばマルイ)で、フランス・リヨンのリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフが一般公開されました。

 

その装置を導入したのが稲畑勝太郎さん。

 

稲畑産業の創業者で、大阪商業会議所(大阪商工会議所の前身)第10代会頭に就任し、関西実業界の重鎮になった御仁です。

 

そのミナミはトリイホールで開催されていた『精華千日前キネマ映画祭2017』の最終日の昨日、稲畑さんのひ孫に当たられる現在の稲畑勝太郎社長(同じ名前!)がスピーチされました。

 

登壇前に挨拶させていただきました。

 

非常に物腰の柔らかいジェントルマンでした。

 

拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)をお読みになっておられたようで、「大阪の映画を書きました武部と申します」と言うと、「あゝ、武部さんですか」と。

 

「本を書くうえで、京都での試写が日本初の映画上映ではないことがわかり、ひいお祖父さんの業績にちょっと水を差してしまいました」

 

ぼくが恐縮しながらそう言うと、稲畑社長は笑いながら、

 

「いえいえ、こういう事実がわかったのはいいことです。よく調べられましたね」

 

何だかうれしかったです。

 

拙著には稲畑さんのシネマトグラフにも、荒木和一さんのヴァイタスコープと同じくらいリスペクトの気持ちが込められています。

 

改めて社長に一冊、謹呈させていただきました。

 


登壇された稲畑社長は、「映画の歴史にお詳しい武部さんを前に私が説明するのも何ですが……」と前置きし、シネマトグラフに関する曾祖父の足跡をわかりやすく解説されました。

 

その中で、「荒木和一という人が京都のシネマトグラフの試写の前、1896年12月、ヴァイタスコープの試写を難波の福岡鉄工所というところで行っていたそうです。まず間違いないと思います」と仰ってくださいました。

 

続いて、活動弁士付きでリュミエール作品の数々とドイツ・ムルナウ監督『サンライズ』を楽しみました。

 

このあと、『難波が日本映画のふるさと 街歩きツアー』。

 

「ミナミまち育てネットワーク」の会員と南海電鉄の社員向けのイベントで、参加者は10数人。

 

ぼくがガイドを務め、法善寺⇒南地演舞場跡(東宝南街ビル)⇒福岡鉄工所跡(なんばパークス入り口、「難波中」交差点)を巡り、「ミナミの大阪映画」、「日本初の映画興行」、「日本初の映画上映」について説明しました。

 

NHKも取材に来ていました!

 

福岡鉄工所跡で記念撮影

夜は、そのNHKの担当者、映画渡来120年を撮り続けているフリーの映像ディレクターH氏の3人でミナミを飲み歩きました。

 

実に刺激的な1日でした~(^_-)-☆

2月 14

拙著『大阪「映画」事始め』、『大阪の歴史』で紹介されました!

このほど刊行された大阪市史料調査会の紀要『大阪の歴史』(編集:大阪市史編纂所)第85号の「新刊図書紹介」に、拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)が載りました。

調査員の古川武志さんが過分な評価をしていただき、恐縮しまくっています。

ありがとうございます。

全文を掲載します。

12月 28

新年1月にこんな講演会が京都で! 『反論!…日本「映画」事始め~』

拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)に絡み、さる12月4日、京都のおもちゃ映画ミュージアムで、『映画の渡来、120年目の真相~日本の映画発祥地は京都ではなく、大阪だった~!?』という演題でお話しさせていただきました。

 

これに対し、「やっぱり京都でないと……」と反論する人が現れました。

 

な、な、何と、古巣の新聞社で映画記者として一緒に仕事をした後輩の森恭彦さん(読売新聞大阪本社編集委員)。

 

びっくりポンです~(^^;)

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その講演会が1か月先の新年1月28日(土)13:30~、同ミュージアムで開催されます。

 

彼は生粋の京男。

 

どんな反論をするんやろ……、ちゃんと反論できるんかな~(笑)

 

こんな文化的な「バトル」は大歓迎、ウキウキしています。

 

なお、講演終了後、余興でぼくがソロライブをやることになりました(何でやねん!?)

 

あっと驚くゲスト出演(ボーカル)もありますよ~(^_-)-☆

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