Category Archive: 大阪

6月 14

Osaka Metroのアプリ『Otomo!』にぼくのエッセイ「〈映画のふるさと……難波!〉が掲載中

Osaka Metro(旧大阪市営地下鉄)のアプリ「Otomo!」に掲載中のぼくのエッセイです。

タイトルは、『〈映画のふるさと〉……難波!』

これ、拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)を上梓した2年前から訴えていることです。

  ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

大阪見物をしたいと先日、東京から知人が来阪しました。

ありきたりな観光スポットでは芸がない、どこか穴場がないものかとあれこれ思案していると、この人が大の映画好きで、歴史にも興味を持っていることを思い出し、ならば、ここしかないと連れて行ったところが難波でした。

夕方、待ち合わせ場所の梅田で再会し、難波へ行くと告げると、「何度も行ったことありますよ」と怪訝な顔を。

ぼくはニタニタ笑い、「あっと驚く知らない難波ですよ」。

なんば駅に向かうOsaka Metro御堂筋線の車中でのやり取り。

「今や映画と映像が世の中にあふれ返ってますが、そもそも日本で最初に映画の興行が行われたのはどこか知ってはりますか」

彼は即座に「京都でしょう」

ブーッ、ハズレ。

「ちゃいますよ。大阪です。それも難波」

「えっ!」

なんば駅の南改札口から地上に上がったところに「TOHOシネマズなんば」や「なんばマルイ」などが入る複合商業ビルの東宝南街ビルが建っています。

向かい側は荘厳な外観を呈する髙島屋大阪店です。

東宝南街ビル

「かつてここにあった南地演舞場で、映画が初めて一般公開されました。入場料を取って観せたので、日本における映画興行の始まり。今から121年前のことです」

このあとぼくはかいつまんでこんなふうに説明しました――。

時は明治30(1897)年2月15日。その映画とはフランスの映写機シネマトグラフによる映像。

南地演舞場は「南地五花街」の綺麗どころの技芸向上を目的に造られた豪勢な木造家屋でした。

長らく存続していたのですが、戦時中の建物疎開で撤去されました。

南地演舞場(『近代大阪の建築』大阪府建築士会1984年)

シネマトグラフは、リヨンのリュミエール兄弟が発明した世界最初のスクリーン投影式映画です。

商用でフランスを訪れていた京都の実業家、稲畑勝太郎さん(稲畑産業の創業者)がその装置とフィルムを持ち帰り、ここで一般上映したのです。

稲畑勝太郎さん(『稲畑八十八年史』 稲畑産業1978年)

シネマトグラフの装置(左)、右は投光器(リヨンのリュミエール研究所で筆者が撮影)

当時、ドラマなんてものはなく、風景や人物の実写だけ。

それも上映時間が1分~3分と短い。それでも写真が動いたので、みなびっくり。

2週間にわたって公開され、連日、押すな押すなの大盛況でした。

「ここに映画興行発祥地の碑文がありますよ」

戎橋商店街から東宝南街ビルのエレベーター乗り場に知人を導き、奥の左手の壁にはめ込まれた銅板プレートを指さしました。

これは昭和28(1953)年、以前あった南街劇場が完工された際、東宝社長の小林一三さんが歴史的事実を知って作ったものです。

髙島屋前から北に戎橋商店街を臨む

戎橋商店街から見たエレベーター乗り場

「映画興行発祥地」の碑文

「このモニュメントの存在を知らない人が多いでしょうね」

「そうなんです。表の商店街に『映画興行発祥地』の説明板を立てれば、観光客にもアピールできると思うんですが……」

さらにぼくは言葉を紡ぎました。

「ここは映画が一般公開されたところですが、最初に試写上映されたのは別の場所なんですよ」

碑文に目を通していた知人は反射的に振り向きました。

「えっ、試写ですか? シネマトグラフの?」

「ちゃいます。もうひとつ別の映写機があったんです。それはエジソン商会が販売したアメリカ製の映写機ヴァイタスコープ。エジソンというのはあの有名な発明王です」

東宝南街ビルを離れ、髙島屋西側のパークス通りを200メートルほど南下し、大きな換気塔がそびえる「難波中」交差点の北東角に来ました。

南側には複合施設のなんばパークス。

かつて南海ホークスの本拠地、大阪球場がありました。

あゝ、懐かしい……。

パークス通りを南に臨む

「難波中」交差点

「心斎橋の舶来品雑貨商、荒木和一さんという人が渡米中、シカゴでヴァイタスコープの映像を観て驚き、すぐにニューヨークへ向かい、エジソンと直談判の末、装置とフィルムを輸入しました。そして明治29(1896)年12月のある日、この場所にあった福岡鉄工所で試写を行ったんです」

荒木和一さん(同志社大学図書館『荒木英学文庫目録』 1978年)

ヴァイタスコープの装置
(『シネマの世紀 映画生誕100年博覧会』カタログ 川崎市市民ミュージアム1995年)

福岡鉄工所(『成功亀鑑』1907年)

ぼくが一気に説明すると、東京のジェントルマンはいたく興味を示しました。

「どうして鉄工所で?」

「ヴァイタスコープは直流の電動式やったんですが、大阪の電気は交流。そのままだと動かないので、電気変換器が必要になり、あちこち探し回ったところ、福岡鉄工所に変換器があるのがわかったんです」

「なるほど」

「京都で行われたシネマトグラフの試写はこれよりもずっと後のこと。つまり、日本で初めて映画がスクリーンに映されたのはこの場所に間違いないと思いますよ」

荒木さんは試写上映をいち早く成功させながら、一般公開はシネマトグラフに先を越され、1週間後の2月22日から3日間、難波の北西1.4キロ離れた西区の新町演舞場でヴァイタスコープの興行を打ちました。

「フランスのシネマトグラフとアメリカのヴァイタスコープ。映画の渡来をめぐり、こんなドラマチックな攻防があったとは全く知らなかった。それも大阪が舞台だったんですね」

東京の客人はやや興奮気味。

「はい、大阪の中でも難波です。映画の初上映と初興行の地なので、難波が日本における〈映画のふるさと〉と言ってもいいでしょう。このことをもっとアピールせなあきませんね」

気がつくと、薄暮になっていました。

阿吽の呼吸で2人して近くの居酒屋へ直行。

想定外の大阪見物を体験した知人は「確かにあっと驚く知らない難波でした」と満足そう。

ぼくの方もひと味違った〈おもてなし〉ができ、うれしかったです。

そして乾杯! 

ビールが美味かった。 

6月 05

学生たちの手応え十分!!~関西大学社会学部の講義『メディア史』

インドから帰って来て2日後の5月31日、関西大学社会学部メディア専攻の講座「メディア史」(2限)に登壇しました。

『日本の初期映画史~大阪と映画』

こんな演題で、映画がいかにして日本に入ってきたのか、そこに大阪がどう絡んだのかを分かりやすく解説しました。

拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)の第1章を要約したもので、これまであちこちでお話ししてきましたが、大学の正規講座では初めて。

本講座を担当する松山先生に「ぜひ、お話しください」とお声がけいただきました。

感謝感激です!!

ありがとうございます!

250人もの受講生が聴講する久しぶりの大教室。

ぼくの日焼けした顔を見入る学生たちを前に、インド旅行の話を「枕」(つかみ)にしたら、えらい興味を持ったので、そのまま延々と喋ってしまいそうでしたわ(笑)

昨年、一昨年に担当した元教え子たちも聴講しに来てくれました~😁

・フランス(リュミエール商会)のシネマトグラフとアメリカ(エジソン商会)のヴァイタスコープの攻防。

・121年前、大阪・難波でシネマトグラフによる日本で最初に催された映画興行。

・心斎橋の舶来品雑貨商、荒木和一がヴァイタスコープを個人輸入し、難波の福岡鉄工所で試写上映したこと。

・それがおそらく日本で最初のスクリーン投影式映画の上映になったこと。

・さらに、京都で行われたシネマトグラフの試写よりも早かったこと。

・映画の初上映と初興行の地、難波が日本における「映画のふるさと」。

上記のことを、パワーポイントの画像を使って時系列的に説明しました。

学生たちにとって、知らないことばかりなので、みな真剣に聴いていました。

昨日、彼らのコメントが自宅にどっさり送られてきました。

ほぼ全員、ぼくの講義に感銘を受けてくれ、すごくうれしかったです。

コメントはだいたい以下のような感じです。

「非常に興味深い内容だった」

「定説を鵜呑みにしてはいけないことがわかった」

「荒木和一をもっとクローズアップすべき」

「関西、それも大阪の難波から映画が始まったとは……、びっくりした」

「ずっと京都が映画発祥地と思っていたので、衝撃を受けました」

「日本の初期映画史で、こんなスリリングな攻防があったとは知らなかった」

一昨年秋に拙著を上梓後、「大阪・難波が〈映画のふるさと〉」であることを懸命にアピールしてきましたが、まだまだ浸透していません。

お膝元の南海電鉄、地元商店会、その他、映画関係者がバックアップしてくれてているにもかかわらずです。

学生の誰一人としてぼくの新説を知っている者がいなかったからです。

今回、少しは彼らを意識改革できたのではないかと思っています。

これからも地道に訴えていきます~(^.^)/~~~

5月 18

昨夜、「TOHOシネマズなんば」でトークショー~(^_-)-☆

昨夜は大阪・ミナミの「TOHOシネマズなんば」のSELECTルームでトークショーをしました。

戎橋筋商店街主催「春の体験博」映画特別上映会のプレ・イベントで、招待された方々を前にして、短い時間でしたが、喋くり倒しました~!(^^)!

お題は『日本の映画初上映地は難波?』。

121年前、南地演舞場があったこの場所で日本最初の映画興行が行われ、その前年に南へ約200メートルの地で初上映が行われました。

ご当地でこういう話ができたのがすごくうれしかったです~😁

トークの前に「ミズえびすばし三姉妹」と記念撮影~😁

3人ともめちゃ愛想がよかった❗

1人は同志社大学の4年生です。

ちなみに上映作品は櫻井翔くん主演の『ラプラスの魔女』でした。

4月 14

27日、中之島のリーガロイヤルホテルで講演~『大阪「映画」事始め』

大阪・中之島にあるリーガロイヤルホテルの会員制クラブ「リーガクラブ」

その文化講座で今月27日(金)13:30~15:00、『大阪「映画」事始め』と題してお話しします。

「大阪検定」協力事業です。

2016年秋、演題と同じタイトルの本を彩流社から出版後、大阪が〈映画のふるさと〉であることを各地でアピールしてきましたが、まさかリーガロイヤルホテルから講演依頼があるとは思ってもいませんでした。

ゴージャスな会場ですので、会費が少々お高いです~(^^;)

それでも、大阪の知らない歴史に触れることができると思います。

ぼくの講演をまだ聴いておられない方で、かつ時間とお金にゆとりのある方は、どうぞ中之島に足を運んでくださいませ~(^_-)-☆

3月 28

大阪地下鉄アプリ「Otomo!」に1回目のエッセイがアップされました~(^_-)-☆

大阪地下鉄アプリ「Otomo!」に寄稿したぼくのエッセイVol.1が今日、アップされました。

アプリを開き、「ギュッと大阪」のところを押さえると、エッセイが掲載された「大阪ストーリー」が出てきます。

タイトルは『路地は大阪の原風景、ええ塩梅や』。

路地を「ろじ」と言う大阪人はいません。

「ろぉじ」か「ろおじ」です~(笑)

生まれ育った中央区龍造寺町のことをたっぷり書かせてもらいました。

ぼくの原点です!

原則、奇数月の第4水曜日に新しいエッセイが掲載されます。

乞うご期待くださいませ~(^_-)-☆

3月 17

大阪出身の藤元明緒監督、長編デビュー作『僕の帰る場所』を大阪アジアン映画祭で観ました!

大阪で開催中の第13回大阪アジアン映画祭。

初春のイベントとしてすっかり定着してきた感があります。

今年は何かと忙しく、1本しか観れていません。

その1本が昨夜、シネ・リーブル梅田で上映された日本・ミャンマー合作映画『僕の帰る場所』(2017年)。

映画祭の特別招待作品。

ⒸE.x.N K.K.

政情不安から祖国ミャンマーを離れ、日本に移住したミャンマー人の家族に焦点を当てたヒューマンドラマです。

幼い2人の男の子は日本語しか解せず、習慣から感性まですべてが日本人になっています。

父親は居酒屋で、母親はクリーニング店で必死に働いています。

生活は苦しけれども、愛情に満ちあふれた素晴らしい家族です。

ⒸE.x.N K.K.

ただ、就労ビザが切れており、いつ入国管理官がやって来るのかわからず、ビクビクしています。

とりわけ母親の精神的なストレスが激しい。

そんな家族が分断されます。

母親は子供を連れてミャンマーの実家へ里帰り、父親は金を稼ぐため日本に留まるのです。

ここから目が離せなくなります。

祖国へ渡った子供たちの言動がドラマをぐいぐい引っ張っていきます。

ミャンマー人でありながら、祖国になじめず、ひたすら日本を恋しがる子供……。

これは実際のミャンマー人家族をモデルにした実話です。

予備知識を持たずに銀幕と対峙しました。

映画が始まって10分ほどまで、ぼくはてっきりドミュメンタリー映画だとばかり思っていました。

カメラの手振れはないものの、やたらクローズアップが多く、やや粗い画像と全体の雰囲気からしてそう思ってしまったのです。

この作品はしかし、まぎれもなくドラマです。

家族の4人がすべて素人ということもあり、ドキュメンタリー映画っぽく見えたのでしょう。

兄役に扮した男の子の演技には目を見張らされました!

ⒸE.x.N K.K.

難民問題に翻弄される子供たち。

彼らのアイデンティティーはどうなっていくのか……。

社会性のあるテーマで、どんどん引き込まれていきました。

監督、脚本、編集を手がけたのは大阪・豊中出身の藤元明緒さん。

大阪にあるビジュアルアーツ専門学校卒の30歳で、これが長編デビュー作です。

真ん中が藤元監督

ミャンマーでのロケ撮影では検閲が厳しく、いろいろ困難を強いられたそうですが、堂々たる作品に仕上がっていました。

この映画のプロデューサーを務める吉田文人さんは、ぼくの母校(大阪大学)の経済学部出身で、先輩に当たります。

面識はなかったのですが、ひょんなことから吉田さんとご縁ができ、「阪大つながりで、ぜひ観てください!!」と熱いラブコールを寄せられ、昨夜、シネ・リーブル梅田に駆けつけた次第です。

藤元監督、吉田さん(右端)との記念撮影

昨年の東京国際映画祭では「アジアの未来部門」で受賞しており、海外でも評価が高いと聞いています。

一般公開されんことを切に願っています。

3月 05

豪華ゲストがズラリと……、おおさかシネマフェスティバル2018

春の訪れを告げる『おおさかシネマフェスティバル2018』が昨日(4日)、堂島のホテルエルセーラン大阪で開催されました。

1976年から始まった映画ファンのための映画まつりです。

当初は人集めで大変でしたが、今回はチケット発売後、あっという間に完売になったになったそうです。

もちろん超満員。

時代が変わってきましたねぇ。

ぼくは申し込みを忘れていたんですが、スタッフのKさん、Eさんのお計らいで、後方で立ったまま観させてもらいました。

ほんまにありがとうございます!

受賞作品と受賞者はフェスティバルのHPでご覧ください。

https://www.oocf.net/prize

授賞式では、各賞を受賞した菅田将暉、桐谷健太、蒼井優、田中麗奈、ユースケ・サンタマリア、白石和彌監督、石井裕也監督……と豪華ゲストが次々に登壇~(^_-)-☆

「おおさかシネマフェスティバル」のFB写真から

菅田君は仕事の都合で出席できないと聞いていたんですが、地元大阪での映画祭とあって、何とか時間を作って駆けつけてくれました。

まさにサプライズ登場でした!!

こういう心意気、大好き~(^_-)-☆

外国映画作品賞を取った『ラ・ラ・ランド』で配給・宣伝GAGAを代表して、下高原さんがトロフィーを受け取ったのにはびっくりポンでした~(笑)。

浜村淳さんの名調子の司会で終始、会場は笑いに包まれ、大いに盛り上がりました~⤴⤴

こんなざっくばらんな和んだ映画祭は世界広しといえども、ここだけですわ~(笑)

根っからの浪花っ子、桐谷健太君のイチビリぶりがとりわけオモロかった~!(^^)!

浜村さんと丁々発止のやり取りで、完全に場の空気を支配してはりました。

さすが天六の桐谷健太!!

3月 02

大阪市交通局の公式アプリ「Otomo!」をスマホに取り込んでください~(^_-)-☆

4月から民営化される大阪市交通局の公式アプリ「Otomo!」。

その1つのコンテンツ、「大阪ストーリー」でエッセイを書かせてもらうのですが、ぼくの相方さんが何と芥川賞作家の津村記久子さん~(^_-)-☆

めちゃ光栄です!!

彼女が偶数月、ぼくが奇数月と交互に。

すでに津村さんの素敵なエッセイがアップされています。

ぼくの分は3月後半に載ります。

イラチなので、とっくに原稿を送っています~(^_-)-☆

内容は……、ヒミツ、ヒミツ(笑)

まずはスマホにアプリを取り込んでくださいね。

「ギュッと大阪」の項目をプッシュすると、「大阪ストーリー」が見られます。

よろしゅうお願い申し上げます~!!

2月 28

『ミナミまち物語 シネマ・ヒストリー』が完成~!!

大阪・ミナミの活性化を目指し、地元企業が中心になって組織された「ミナミまち育てネットワーク」。

そのホームページに、ぼくが執筆した『ミナミまち物語 シネマ・ヒストリー』が新設されました。

〈日本映画のふるさとミナミ〉と題し、「1.日本初の映画上映地」「2.日本初の映画興行地」「3.映画黎明期、ミナミの撮影地」「4.大阪の映画製作発祥地、千日前」の4つの物語が載っています。

拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)を基にして、分かりやすくひも解いて書かせてもらいました。

こういう取り組みを通じて、映画と切っても切り離せないミナミの歴史を知ってもらいたいと切望しています。

2月 09

大阪舞台のアクション大作~『マンハント』が今日から公開~(^_-)-☆

39年前、中国でメガヒットした犯罪映画『君よ憤怒の河を渉れ』(1974年)。

主演の亡き高倉健へのオマージュとしてジョン・ウー監督がオール日本ロケで再映画化した。

© 2017 Media Asia Film Production Limited All Rights Reserved.

大阪に本社を置く製薬会社の顧問弁護士ドゥ・チウ(チャン・ハンユー)が殺人の濡れ衣を着せられる。

何者かにハメられたのだ。

© 2017 Media Asia Film Production Limited All Rights Reserved.

オリジナルを大胆にアレンジし、主役を検事から弁護士に変えた。

変装して巧みに逃げるこの中国人男性を大阪府警の敏腕刑事、矢村(福山雅治)が執拗に追う。

© 2017 Media Asia Film Production Limited All Rights Reserved.

そこに女性の殺し屋コンビが絡み、鮮烈な追走劇が始まる。

監督の得意芸ともいえるスローモーション撮影は健在だ。

多彩なアングルのカット割り、クローズアップとロングの入れ替えも随所に挿入され、メリハリのある映像のオンパレードとなった。

© 2017 Media Asia Film Production Limited All Rights Reserved.

お決まりの白い鳩も登場する。

「逃げる者」と「追う者」という2人の関係に友情が芽生える象徴的な場面に使われていた。

白鳩を目にした瞬間、なぜか安堵。

川面を爆走する水上ジェットスキーの追尾、バイクによる牧場の襲撃……。

日本では起こり得ない銃撃シーンを波状的に見せつける。

全編を包み込むミステリー色が存外に効いていたと思う。

© 2017 Media Asia Film Production Limited All Rights Reserved.

あべのハルカス、道頓堀、大阪城、中之島など大阪の名所が次々と出てくる。

映像のマジックによって妙に垢抜けした大都会が映し出された。

残念なのは大阪弁が聞けなかったこと。

ハンユーは高倉健を多分に意識していたと思うが、自分のカラーを出そうと大健闘。

福山は少し肩に力が入りすぎていた感じ。

製薬会社社長役の國村準、さすが存在感を際立たせていた。

© 2017 Media Asia Film Production Limited All Rights Reserved.

大阪を舞台にした海外のアクション大作では、リドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(1989年)に次いで2作目。

活力ある「大阪映画」が誕生した。

1時間50分

★★★★(見逃せない)

☆2月9日からTOHOシネマズ梅田ほか全国ロードショー

☆配給:GAGA

(日本経済新聞夕刊に2018年2月9日に掲載。許可のない転載は禁じます)

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