Category Archive: 大阪

2月 11

大阪自由大学で『大阪の映画文化史』をお話しします~(^_-)-☆

先日、大阪市立中央図書館で、『映画のはじまり、みな大阪』のテーマで講演したばかりですが、3月に一般社団法人(非営利型)大阪自由大学で『大阪の映画文化史』と題して3回にわたってお話しさせていただきます。

大阪自由大学は、地域・市民に開かれた学びの場です。

毎日新聞社の大先輩(池田知隆さん)が理事長を務めてはります。

映画黎明期、映画製作の撮影所、「大阪映画」の数々。

明治から大正、昭和を経て、平成にいたる大阪の映画文化史をわかりやすく解説するつもりです。

3回通しで聴講されると、大阪と映画の関わりの深さがわかっていただけると思っています。

ご興味のある方、お気軽に聴きに来てください~(^_-)-☆

2月 10

昨日の講演会『映画のはじまり、みな大阪』……、ちょっと愚痴を

昨日(9日)、大阪市立中央図書館(大阪市西区長堀)で、『映画のはじまり、みな大阪』と題して講演しました。

大阪市史編纂所セミナーです。

図書館5階にある300人収容の大会議室(ホールと言うたらあかんらしいです)がほぼ満席になるくらい大勢の方が来られ、実に気持ちよくお話しすることができました。

大阪は映画興行だけでなく、映画上映の発祥地でもあること、さらに活動弁士の第一号と日本初の大スターが大阪人といったように、映画黎明期に大阪の街と人が映画に大きく関わってきたことをわかりやすく解説させていただきました。

この話は、拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)を上梓した2016年10月以降、何度も公の場で喋ってきました。

そのつど、もっと行政や地域に関心を持ってもらいたいという願いがだんだん強まってきています。

映画興行発祥地のTOHOシネマズなんばの1階エレベーター乗り場の壁に、それを顕彰する碑文がはめ込まれています。

昭和28年、南街会館を建造したとき、時の東宝社長、小林一三さんが記したものです。

そのことを知っている人は、大阪人ですら少ない……。

哀しいです。残念です。

こんな貴重な文化遺産があるのに、もったいない!

だから、表の戎橋商店街に「ここが日本映画の発祥地」という立て札を設ければいいとぼくは声高に訴えているのですが、東宝、地元商店街、大阪市は全く動こうとしません。

何でなんですか!?

立て札を作るだけでいいのに……。

そんなに費用はかからないと思うのですが。

日本で最初に映画(荒木和一のヴァイタスコープ)が上映された「なんばパークス」角の難波中交差点についてもそうです。

その顕彰碑を建てればいいのに、土地所有者の南海電鉄は一時、関連イベントを催してくれましたが、それ以降は沈静化……。

何でなんですか!?

いっそのこと、ぼくが自腹を切って立て札、顕彰碑を作ろうかなとすら思っています。

こうしたこと1つ取ってみても、哀しいかな、大阪は文化度が低いと言わざるを得ません。

これ、よその街なら、「地元のPRになる」と喜んで動いてくれるでしょう。

あゝ、そんな大阪に生を授かり、暮らしているのです。

そろそろ、「文化不毛の地」から脱出しようかな。

12月 23

講演会『映画のはじまり、みな大阪』のお知らせです~(^_-)-☆

『映画のはじまり、みな大阪』

こんな演題で来年2月9日(土)午後2時~、大阪市立中央図書館で講演します。

映画上映、興行、活動弁士、大スター、映画本……。

みな大阪が発祥地で、大阪人が絡んでいます。

そんな大阪と映画との深~い関わりをたっぷりお話しします。

先着順。

何と無料ですよ~!!

ご興味があれば、お気軽にどうぞ~(^_-)-☆

12月 05

Otomo!「大阪ストーリー」のエッセー、『「昭和」の大阪へタイム・トラベル』

今回は身内話で申し訳ないのですが……。

13年前、85歳で黄泉の客人となった父親は、ぼくの生家でもある大阪市東区(現在の中央区)龍造寺町の長屋で印刷業を1人で営みながら、一時期、アマチュア・カメラマンとして大阪の街と人を活写していました。

撮影期間は昭和28年ごろから東京オリンピック開幕の昭和39年までの10余年間です。

現存する写真の中から30数点を、大阪市立中央図書館で『あゝ、懐かしの大阪~昭和30年代の息吹~』(9月21日~10月17日)と題して展示させていただきました。

その中でぼくのお気に入りの写真が3点あります。

そこに写された場所が現在、どうなっているのか。

それを知りたくて探訪してみました。

1つ目は、昭和28(1953)年に撮影された旧関西電力春日出第二発電所(此花区西九条)です。

安治川と六軒家川が交わるところに建っていた巨大な石油火力発電所。

天空に伸びる8本の煙突が際立っており、見ようによって本数が変わるので、「おばけ煙突」と呼ばれていました。

大正10(1922)年、大阪電灯会社が建設したこの発電所は昭和34(1959)年に運転停止となり、建物が撤去されました。

なので、ぼくの記憶にはありません。

写真は安治川をはさんで対岸の港区波除から撮影したものです。

発電所は圧倒的な存在感を見せていますね。

手前の船は安治川を運航していた「三丁目渡し(渡船)」です。

これは昭和64(1989)年に廃止されました。

撮影場所は写真の情報からすぐに特定できました。

Osaka Metro中央線の弁天町駅から国道43号線沿いに北上し、安治川大橋の手前を右折したところです。

撤去された発電所跡に新たな火力発電所が建造されたのですが、それも平成15(2003)年に取り壊され、今はホームセンターになっていました。

まさに隔世の感……。

かつての渡船乗り場が建設工事中だったのが残念でした。

2つ目は「おもちゃの町」として知られる松屋町(中央区)で、玩具と駄菓子を仕入れる人の様子をとらえた写真です。

「松屋町」を「まつやまち」と言う大阪人はいません。

「まっちゃまち」です!

撮影された昭和35(1960)年当時、駄菓子屋のおばちゃんは風呂敷包みを背負っていたんですね。

時代を感じさせられます。

コマ、塗り絵、スポンジ状のキングボール……、懐かしの品々に涙が出てきそうになります。


      

この場所がはっきりわかりません。

とりあえずOsaka Metro長堀鶴見緑地線の松屋町駅で下車し、松屋町筋の西側舗道を北へ向かいました。

人形、スポーツ用品、花火、玩具の店が軒を連ねています。

300メートルほど歩いたところにレトロな雰囲気の玩具・お菓子店があり、心がときめきました。

   
「まだこんな店があるんや!」

この辺り、ぼくの小学校時代のテリトリーでした。

あのころ松屋町筋はこんな店舗ばかり。

下校途中、しょっちゅう店頭を冷やかし、店員さんから「銀玉鉄砲の玉ぐらい買ってよ」と言われていました(笑)。

その店に吸い込まれるようにして入り、初老の店主に「これ、どこかわかりませんか?」と写真を見せました。

「当時、アーケードを付けてたんはうちの近所だけですねん。これ、うちの店ですわ! 2人のおばちゃんが喋っているのは店の前ですな」

えっ! あっけなく判明しました! 

ほんまにびっくりしました。

やっぱり現場を踏まなあきませんね。

古い写真の松屋町筋の方が広く感じられるのは、通り沿いの建物が低かったからそう見えたのでしょう。

何はともあれ、58年前に撮影された店が今も健在であるのがたまらなくうれしかったです。

気分よく、松屋町筋を南へと逆戻り。長堀通を通過し、さらに千日前通を越え、しばらく歩くと、左手(東側)に目的地がありました。

源聖寺坂(天王寺区)です。

上町台地の西側にある「天王寺七坂」の1つ。

坂の入り口に浄土宗の源聖寺があるので、その名が付けられています。

昭和35年に撮影されたこの写真、構図が大好きなんです。

カゴを背負う右手の男性と坂の傾斜が絶妙なアンサンブルをかもし出しています。

服装と日差しから察すると、夏に撮られたのでしょうね。

左手の「旅館」の看板が気になりますが……。

石畳の坂をゆるりゆるりと上っていくと、途中から石段に変わります。

あと少しで上り詰めるところで立ち止まりました。

そこが撮影ポイントです。

現在、旅館の場所には一戸建て住宅が並び、右側の木造家屋は取り壊されて墓地になり、電柱の位置も変わっていました。

しかし左へ緩く曲がる坂の風情は変わっていません。

たまたまカップルが横を通りすぎたので、許可を得て撮影させてもらいました。

右手の住宅へ入ろうとした買い物帰りの主婦に父親の写真を見せると、えらい懐かしんではりました。

「うちの家、昔は旅館やったんですね。知らなんだ。昔の方が風情がありますね」

もう一度、撮影ポイントに立ちました。

約60年の時の隔たりを経て、今、息子のぼくがおなじ場所でカメラのファインダーを覗いている。

そう思うと、急に感慨深くなり、目頭が熱くなってきました。

被写体の今昔……。

たしかに見た目は変わっていました。

しかし、どんな時代であっても大阪の空気は永遠に不滅なんや。

それを実感させてくれた「タイム・トラベル」でした。

11月 09

『写真アルバム 大阪市の昭和』、完成しました!

執筆陣の1人として関わった『写真アルバム 大阪市の昭和』(樹林舎)が完成し、先ほど贈呈本が届きました!

600枚の写真を盛り込んだ分厚い写真集です。

生まれ育った大阪の知らない風景がいっぱい載っています。

亡き父親の写真も確かにありました(笑)。

こういう形で故郷・大阪に「恩返し」ができてうれしいです。~(^_-)-☆

この写真集は明日、刊行されます。

すでに予約で完売かな~( ;∀;)

古巣・読売新聞の10日付夕刊社会面にドカーンと載りました~(^.^)/~~~

10月 22

隆祥館書店「作家と読者の集い」200回突破記念パーティー~(^_-)-☆

大阪市内の中心部、谷町六丁目にある町の本屋さん、隆祥館書店が8年前から1か月に2回のペースで「作家と読者の集い」を続けておられます。

このほど200回を突破したので、その記念パーティーが昨夜、中之島の対岸にあるカフェ・レストラン「LOVE CENTRAL」で開催されました。

店を仕切ってはる二村知子さん、お疲れさんでした&おめでとうございます~!!

この集い、ぼくは4回お声がかかりました。

『ウイスキー アンド シネマ 琥珀色の名脇役たち』(淡交社)、ウイスキー専門雑誌『Whisky World』(ゆめディア)の渡部社長とのジョイント・トーク、『大阪「映画」事始め』(彩流社)、『ウイスキー アンド シネマ 心を酔わせる名優たち』(淡交社)の出版記念トークイベントでした。

パーティーには、作家、出版社の編集者、マスコミ関係者、隆祥館書店のファンら約100人が参加。

『貧困大国アメリカ』で一躍、脚光を浴び、このほど最新刊『日本は売られている』(幻冬舎新書)を出された注目の国際ジャーナリスト、堤未果さんも来られていました。

堤さんの旦那さんは参議院議員の川田龍平さん(立憲民主党)です。

古巣新聞社の科学部時代、HIVの取材で一度、お会いしたことがあります。

昨日、堤さんから紹介されたときはそのことを失念しており、今朝、「川田さんに取材した!」と思い出しました~(笑)

そのご夫婦と関大で教鞭をとってはる森下先生をまじえて4人で記念撮影~📷

創業者のお父さんの遺志をちゃんと受け継いだ二村さんの「本の力」を信じるピュアな熱意にただただ頭が下がる思いです。

ほんまにエライ!

「継続は力なり」です。

しんどいとは思いますが、これからもぜひ続けてくださいね~👍

ぼくもまた集いに呼んでもらえるよう、本を書き続けていこうと改めて決意しました~💦✒💦

本への愛にあふれる素晴らしい会でした。

最後は全員で記念撮影~(^_-)-☆

10月 21

Otomo!の「大阪ストーリー」~『川面にそよぐ渡船巡り~飾り気のない大阪に触れる』

Osaka Metro(旧大阪市営地下鉄)のアプリ「Otomo!」で連載中のエッセー第4弾です。

テーマは「渡船」。

まだ暑かった8月末に書きました。

秋が深まりつつある今と季節感が異なりますが、ご了承くださいませ~(笑)

   ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

短パン、Tシャツ、サンダル履き、サングラス。こんなラフな身なりでママチャリに乗り、残暑の厳しい8月下旬、渡船巡りをしてきました。

年に一度、必ず渡船に乗りたくなる「病気」なんです。

時候がよければ、ランニングで行きますが、歩いていくのもなかなかええ塩梅。

今回は趣向を変え、自転車にしました。

どうして渡船なのか? 

それはちょっぴりレトロ感があり、普段着の大阪と触れ合えるからです。

「水の都」の異名を取る大阪には古くから渡し舟が各地にありました。

明治40(1907)年、29カ所の公的な渡船場が設けられ、戦後は昭和23(1948)年、15カ所で再開しました。

現在は8カ所。

いずれも大阪市南西部の港湾エリアにあります。

1カ所だけ民間に業務委託していますが、すべて大阪市が管理。

公道と同じ位置づけなので、乗船料は不要です。

ただし、乗れるのは歩行者と自転車だけ。

自宅(西区新町)からペダルをこいで木津川沿いを南下し、千鳥公園(大正区)の東にある落合上渡船場へ到着しました。

待合所から眺める木津川は意外と川幅が狭い。

東側にある対岸の渡船場(西成区)が目の前に見えます。

乗船はぼくだけかなと思っていたら、運行時間の直前になってぞくぞくと利用者がやって来ました。

みな近所の人たちで、渡船の時間をちゃんと把握してはるんですね。

大半は自転車の人。

落合上渡船場。スロープを上がると、その下に桟橋があります

「こんにちは」

「今日も暑いですね」

船を操舵するおじさんに口々に挨拶し、みなさん船に乗り込みます。

運航時間は2分ほど。

その間、潮の香りをかすかに含んだ川風がそよぎ、得も言われぬ心地よさに酔いしれました。

立ったまま。揺れがあると危険なので、船上での写真は御法度です。

対岸の渡船場に着くと、「ありがとうございます」、「おおきに」と必ずお礼を言い、「お気をつけて」の言葉を背中に受けて下船。

こういう言葉のキャッチボールは理屈抜きに心が和みますね。

渡船は対岸に接岸して利用者を乗せると、すぐにUターンします

500メートルほど下流の落合下渡船場から今度は木津川を西側へ渡り、さらに自転車で南へ。

この辺り、大きな工場が建ち並んでいます。

日曜日なので閑散としていましたが、平日ならトラックが頻繁に行き交っていることでしょう。

モダンな落合下渡船場の待合場

流麗なループ橋の千本松大橋を仰ぎ見る千本松渡船場。

そこでサイクリングの一団と出会いました。

中年男の5人組。

訊くと、豊中から堺の浜寺をめざしているそうで、「渡船を乗るのが楽しみですわ」とリーダー格の男性が日焼け顔で答えてくれました。

所どころ渡船場の案内板が設置されています

千本松大橋の下を航行する渡船

このあとOsaka Metro四つ橋線の北加賀屋駅(住之江区)近くでランチを取り、南港通を西へ進み、木津川渡船場へ。

数えると、木津川に4か所も渡船場があります。

対岸には中山製鋼所。

でっかい! 

阪神工業地帯の一翼を担っているのを肌身で感じられました。

木津川運河の向こうにデンと構える中山製鋼所

渡船で木津川を北へ渡り、工場街の船町(大正区)を縦断して先端にある船町渡船場へ来ると、「早く、早く!」と職員さんの声。

「わっ、すんません!」

あわてて乗船したら、すぐに動き出しました。

間一髪セーフ。

船町渡船場では間一髪、乗船できました

木津川運河を渡ったところが鶴町(大正区)です。

整然と団地が建ち並ぶ中を北上し、アーチが美しい千歳橋の下にある千歳渡船場へ来ました。

ここは大正内港の付け根に当たります。

多くの貨物船が停泊しており、向こうに緑豊かな千鳥公園が望めます。

視線を左へ移すと、弁天町(港区)の高層ビル群。

素晴らしい景観にうっとりさせられました。

穏やかな情景を見せる大正内港

弁天町の高層ビル群を望む

台湾から大阪観光に来た家族連れがいました。

「こんな渡船、国(台湾)にはないです。タダというのが嬉しい」

小柄なご主人が片言の日本語で話してくれました。

今や渡船はちょっとした観光の目玉になっており、外国人だけでなく、国内の観光客も渡船を乗りに来ています。

千歳渡船は一番距離があり、対岸の北恩加島(大正区)まで約4分かかりました。

途中、悠然と航行する貨物船のそばを水上オートバイが水しぶきを上げて突っ走っていきました。

なかなか刺激的な光景でした。

ちょっとした旅情を味わえる千歳渡船

7つ目は尻無川の甚兵衛渡船場です。

大正区泉尾と港区福崎を結んでいます。

この付近、学校が点在しており、平日の朝晩は通学する生徒で混み合い、二隻の渡船がフル稼働します。

船内に電車の車内と同じ吊り革がありました。

利用者が最も多い渡船です。

この日はしかし、夏休みの日曜日、いたってのどかな風情でした。

利用者が一番多い甚平衛渡船場

「毎日、利用してはるんですか」

「ええ、買い物に行くときは便利やしね。生まれたときから渡船に乗ってますよ。ハハハ」

同船した年配の主婦の言葉から、渡船が日常に欠かせない〈市民の足〉になっているのがよくわかりました。

港区側の甚兵衛渡船場から見た尻無川水門

甚兵衛渡船場から北西へ約2.5キロに位置するのが残る1つの天保山渡船場です。

海遊館のある港区築港とUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)のある此花区桜島を結んでいます。

安治川をはさんでの二大観光スポット。

そのため近隣住民に加え、観光客がめっぽう多く、USJのアメリカ人従業員の姿もよく目にします。

暑さでいささかバテ気味となり、今回は天保山渡船をパス。

甚平衛渡船場から自宅へ直帰しました。

飾り気のない庶民的な空気をたっぷり吸え、思いのほか心の洗濯ができました。

9月 20

明日(21日)から亡き父親の写真展『あゝ、懐かしの大阪~昭和30年代の息吹~』が開催

今朝、雨の中、休館日の大阪市立中央図書館(西区北堀江)に写真を搬入し、展示ケースに飾り付けをしてきました。

結構、時間がかかりました。

手作り感いっぱいです~❗(笑)

展示ケースはエレベーターで3階に上ったところ。

自由にご覧いただけます。

もちろん無料~❗

10月17日まで。

自宅マンションのロビーにも告知DMを置いてもらいました~👍

それにしても、南フランスからちゃんと帰国できて、ほんまよかった❗

このことが一番、気がかりでした~(^^;)

8月 11

『あゝ、懐かしの大阪~昭和30年代の息吹~昭和の大阪写真展』のDMできました~(^_-)-☆

『あゝ、懐かしの大阪~昭和30年代の息吹~昭和の大阪写真展』

こんなタイトルで、亡き父親の写真が9月21日~10月17日、大阪市立中央図書館で展示されることになりました(自由に観られます!)。

以前、Facebookに投稿しました大阪の写真の数々です。

堺のウエブ・デザイナー樋口さんがレトロ感あふれる素晴らしいDMを作ってくれはりまして、それが今日、届きました!

追ってDMを郵送する人もいますが、重複したらごめんなさい。

これからもしつこく告知します~(笑)

7月 25

Osaka Metro アプリ「Otomo!」のエッセイ(大阪ストーリー)~大阪の夏祭り~心弾ける「いくたまさん」

7月は夏祭りのシーズンです。ウキウキします。このエッセイがアップされる25日は日本三大祭のひとつ天神祭本宮の日。大阪天満宮(大阪市北区)のお祭りですね。大川に100隻もの船が行き交う船渡御と夜空を華麗に彩る5000発の奉納花火が祭りのクライマックスを演出します。

「愛染さんに始まって、住吉さんで終わる」

大阪では親しみを込めて、祭りにも「さん」づけをします。昔からこう言われるように、大阪の夏祭りは毎年6月30日~7月2日の四天王別院・愛染堂勝鬘院(天王寺区)の愛染まつりでスタートし、7月30日~8月1日の住吉大社(住吉区)の住吉祭でエンディングを迎えます。「住吉さん」は「おはらい」とも呼ばれていますね。

今年の「愛染さん」は残念ながら、宝(ほ)恵(え)駕籠(かご)のパレード、露店、演芸がなくなりました。それでも境内は華やいだ雰囲気。宝恵駕籠をかつぐお兄さんにカメラを向けると、ポーズを取ってくれはりました。

「愛染さん」には宝恵駕籠がつきもの

愛染堂のご本尊は恋愛・縁結びの愛染明王。それにあやかり、この祭りに来たカップルが雨に打たれると、2人は結ばれると言われています。何せ梅雨時ですから、必ず一度は雨が降ります。高校時代、意中の彼女を誘って来たら、「雨は嫌い」と言われ、それっきりでした……。

 物心ついたころから、まずは「愛染さん」でウォーミングアップしてから大阪各地の夏祭りに出向いていました。市内に限っても20以上あり、そのほとんどを制覇。「ほんまに祭りが好きゃなぁ。おかしいんちゃう」と母親にバカにされてましたが、好きなもんは好きゃねんからしゃあない。

ぼくにとって一番身近な夏祭りが、7月11日、12日の生國魂神社(天王寺区)の「いくたまさん」です。天神祭、住吉祭と並ぶ大阪三大夏祭りのひとつ。なぜかと言うと、氏子だった幼少時代に子供太鼓を打ったことがあり、近年もちょくちょく参加させてもらっているからです。

生國魂神社は神武天皇の東征時に創建されたといわれる大阪最古のお宮さん。かつて上町台地北端に社殿が鎮座されていましたが、1598年、豊臣秀吉の大坂城築城に伴い、現在の地に移転されました。Osaka Metro谷町九丁目駅から南西へすぐのところ。

生國魂神社の参道

大鳥居

この神社の境内で連歌や俳文の数を競う矢数俳諧(やかずはいかい)を一昼夜に4000句もやってのけた江戸元禄期の文人「井原西鶴の像」、上方落語の始祖といわれる江戸中期の「米澤彦八の顕彰碑」、神社近くで生まれ育った大阪の大衆作家「織田作之助の像」があります。女性の守護神としても知られる淀君ゆかりの鴫(しぎ)野(の)神社、芸能上達の浄瑠璃神社など小さなお社もいくつかあり、境内を散策するだけでも楽しいですよ。

井原西鶴像

米澤彦八の碑

織田作之助像

子供太鼓は、病欠した小学校の同級生のピンチヒッターとして出ました。2人が向かい合い、満身の力を込めて連打し続けるのはほんまにしんどかった。たった1回だけのこの濃厚な体験が忘れられず、いつかまた祭りに出たいと思っていたら、4年前、50年ぶりに実現できました。

午前中は70年ぶりに復活した陸(おか)渡御(とぎょ)、つまり渡御(おわ)巡幸(たり)に加わりました。ご神体を乗せた鳳輦(ほうれん)を神社から元宮のあった北約3キロの大阪城まで運ぶ一大行列。鳳輦は重さ500キロの金色の鳳凰を乗せた漆塗りのお神輿です。戦前には2000人の大行列でしたが、今はざっと700人です。

戦前の陸渡御

大鳥居を出て渡御巡幸の始まり

ぼくは神さんへの供物を入れた「神饌(しんせん)唐(から)櫃(ひつ)」という木箱を担ぐ役でした。ピンクがかった狩(かり)衣(ぎぬ)に烏帽子をかぶり、何だか平安朝の貴族になったような気分。鳥居をくぐり、露店が立ち並ぶ参道をゆっくり歩き、谷町筋を一路、北上しました。

渡御巡幸のひとコマ。後方で担いでいるのが筆者

夕方、神社に戻ると、境内と参道は人、人、人……。すごい熱気です!

祭りの賑わいは半端ない!

日が暮れると、法被姿に変身して枕太鼓のお練りに挑みます。枕太鼓は子供太鼓よりもかなり大振りで、3人が向き合います。渡御巡幸のおっとりした空気を一掃させ、躍動感あふれる祭りのハイライトです。

ドン、ドン、ドン。社殿前で、腹にズシリと響く太鼓のリズムに合わせ、枕太鼓を猛スピードで突進させ、急停止させたかと思うと、いきなり横倒しに。さらにシーソーのように前後に揺さぶる。これを繰り返します。打ち手はどんな態勢になっても太鼓を打ち続けなあきません。ほんま、大変ですわ。

勇壮な枕太鼓のお練り

お練りの最中に何度も「いくたま締め(打ち)」。これ、「大阪締め」の元祖なんです。「大阪締め」は「祝うて三度」でおしまいですが、「いくたま締め」はそのあとも続きます。

打~ちましょ(パンパン)、 もひとつせぇ(パンパン)、祝うて三度(パンパンパン)、めでたいな(パンパン)、本決まり(パンパン)

今年は枕太鼓のお練りにだけ参加しましたが、めちゃ燃えた! 大阪で生まれ育ってほんまによかった。そんな郷土愛を強く再認識させられました。心が弾み、まさに「本決まり」、パンパン~。あゝ、大阪の夏祭りはええもんですなぁ。

古い記事へ «