Category Archive: 日記

6月 27

今日、誕生日です~(^_-)-☆

知らぬ間に63歳になりました。

この世に生を授かってから、63年間も生きてきたとは驚きです。

高校時代、「オレの寿命はせいぜい60歳くらいやろ」と思っていましたから、随分、長生きしています~(笑)

しかし、まぁ、これからですわ。

やらねばならないことではなく、やりたいことがぎょうさんありますので、一つ一つじっくり押さえていきます。

別に押さえやんでもええんですがね~(^_-)-☆

で、この1年、どう生きていくか!?

ぼちぼちと、ええ塩梅に、そしてイチビって~をモットーにやっていきますわ。

そして、2年前、還暦の思い出にと放浪してきた南インドで心に決めたことを実行していきたいと思っています。

それは……、毎日、可能な限り、「酔い一日」にしよう~ということ。

つまり……。

新たな出会いに酔い、心地よい語らいに酔い、やりがいのある仕事に酔い、歌とギターに酔い、心染み入る芸術(映画、小説、絵画、演劇…)に酔い、旅で訪れる見知らぬ土地に酔い、軽やかなランニングに酔い、阪神タイガースの勝利に酔い、クリエイティブなことを考えることに酔い、そして正真正銘、楽しく美味しいお酒に酔い……などなど。

酔い尽くしです~(^_-)-☆

だれか酔い止めの薬、くださいな~(^o^;)

これからもよろしくお願いします~!(^^)!

イェーツ~(^.^)/~~~

6月 18

展示会『柳原良平 アンクル船長の夢』

トリスウイスキーをこよなく愛した鼻の尖がった二頭身のジェントルマン。

 

ご存知、「アンクルトリス」~!

 

そのイラストを手がけたデザイナー・画家、柳原良平さん(1931~2015)の作品を集めた展示会『柳原良平 アンクル船長の夢』を鑑賞してきました~(^_-)-☆

 

北新地の馴染みのバーテンダー、Aさんから招待券をいただき、仕事の合間の夕方、会場の尼崎市総合文化センターに駆けつけました。

 

ありがとうございました!

 

 

トリスの広告デザインもさることながら、船の超オタクで、味のある船舶の絵画を数多く創作されておられます。

 

まさに「好きの力」を見事に具現化してはりました!!

 

想定外に見ごたえある展示会でした~!(^^)!

6月 10

マリオネットの音楽にどっぷり浸りました~♪♪

昨夜、久しぶりにマリオネットのサウンドに酔いしれました~🎵🎵

 

湯浅隆さん(ポルトガルギター)と吉田剛士さん(マンドリン、リュート)の超技巧派アコギ・ユニット。

 

ポルトガルのファドをはじめ、オリジナル曲を数多く手がけておられ、アルバムは15枚出してはります。

 

テレビのCM曲にも使われています。

 

 

大阪・天満のライブバー「♭フラミンゴ」でのライブは大盛況。

 

ここはマリオネットの拠点になっています。

 

ありがたいことに、湯浅さんからご招待されました~(^.^)/~~~

 

感謝感激!😁

 

湯浅さんと知り合ったのはかれこれ四半世紀前、天満のバーででした。

 

あの時、古巣新聞社の科学部記者で、ポルトガルもファドもまったく縁のない世界でした。

 

それが湯浅さんの影響でグッと近い存在になり、知らぬ間に魅了させていったのです。

 

もちろんポルトガルを訪れ、リスボンとコインブラでファドを堪能しました。

 

これまでポルトガルには、「ケルト」の取材をふくめ3度、足を運びました。

 

庶民的で、おっとりとした国民性が肌に合います。

 

初めてポルトガルを訪れた1996年の夏、リスボンでお会いしたな~。

 

あれから21年か……、懐かしい。

 

もちろん、マリオネットのアルバムもぎょうさん買いましたよ(笑)

 

数えたら、10枚持っていました。

 

湯浅さんと吉田さんとの息がぴったり。

 

演奏はさることながら、トークもオモロイ~(^_-)-☆

 

お2人とも酒呑みです~(笑)

 

ボーカルなしで、インストゥルメンタルだけでライブを引っ張るのだからすごい。

 

さすがホンマもん、めちゃめちゃ巧い~❗

 

ちょかBandとえらい違いや~! 当たり前や(笑)

ライブ終了後、女性マンドリン奏者の江藤ようこさんを囲んで記念写真。

 

ビッグな存在になってきたのに、東京へ移らず、大阪を拠点に活動してはります。

 

そこが一番、好きなところ。

 

これからも大阪から素晴らしい音楽文化を発信していってください~(^_-)-☆

 

応援しています~!!

6月 05

心地よい講演会+昼食会でした~(^_-)-☆

大阪日仏協会(事務局・稲畑産業)主催の講演会+昼食会に招待されました。

会場は、大阪城を望むホテルニューオータニ大阪。

フランスに造詣が深い古巣新聞社の編集委員(後輩の森恭彦さん)を誘い、在京都フランス総領事、ジャン・マチュー・ボネル氏の講演『関西における日仏文化交流』を興味深く拝聴させていただきました。

次回(9月25日)、ぼくが映画の渡来についてお話しすることになっています~
演題は、ちょっと長いですが……。
『シネマが日本にやって来た!~120年前、フランス・シネマトグラフVSアメリカ・ヴァイタスコープの〈攻防〉』
同席の方々と話が盛り上がりました。
美術評論家、大学の先生とその教え子、阪大に留学する2人のフランス人学生……。
とりわけぼくの隣に座られた美術評論家のジェントルマン、すごく話題が豊富で、会話の運び方がうまく、惚れ惚れするくらいでした。
少しは見習いたいと実感~(^^;)
美味なワイン&フランス料理を堪能でき、ほんまに素敵なランチになりました~💡😁
昨日は、Whisky Festival 2017 in OSAKAでウイスキーを痛飲し、2日続けて「昼飲み」になってしまった~😅

 

5月 27

生まれ育った龍造寺町へ

何を思ったか、夕方、阪神の勝利を確信し、ランニングで生まれ育った龍造寺町(大阪市中央区)へ足を向けました。

 

これまで何度も来ています。

 

 

年齢を重ねるごとに、この町がどんどん小さくなってきているのを実感。

 

今日はとくにそう思いました。

 

この狭い路地でキャッチボールや「てんちょう」(天下町人)というボール遊びに興じていたなんて、信じられません。

 

ぼくの生家は空き家になっており、今や廃屋寸前です。

 

長屋も歯抜け状態になっていますが、佇まいは概ね、保たれています。

 

こんな小さな長屋で、亡きオヤジさんが印刷機を入れて、カッシャン、カッシャンと毎晩、徹夜していました。

 

当然、家のなかはインクの匂いが充満。

 

友達をうちに招くのが、ほんとうに嫌で嫌でたまらなかったです。

 

というか、呼べなかったです。

 

うちの中が汚かったから……( ;∀;)

 

でも、あのオヤジの踏ん張りがあってこそ、今のぼくがあるんやと思うてます。

 

ほんまに感謝しています、オヤジさんには!

 

先日、オヤジさんが撮ったこんな写真を見つけました。

 

 

うちの前ですね。

 

何歳ころかな??

 

記憶にありません……( ;∀;)

 

 

オダサク(織田作之助)の原作を映画化した『夫婦善哉』(1955年)でちょこっと映っていた低い崖は往時のままです。

 

ぼくが町内の「大将」になって、年下の「ひろゆきちゃん」「いくぞうくん」「けいぞうちゃん」「たっちゃん」「まことちゃん」らを率いて、その崖に陣取って、今日、何をして遊ぶのかを〈謀議〉していました(笑)

 

下校すると、いつもみんなと一緒でした。

 

ほんまに仲がよかった。

 

今、思えば、小学校時代、学校の友達よりも町内の縦社会によるつき合いの方がはるかに絆が強かったように思います。

 

「いくぞうくん」は亡くなったと聞いています。

 

いっぺん、彼らと同窓会をやりたいなぁ~(^_-)-☆

 

銭湯の「いろは湯」は健在です。

 

10歳のころ、風呂屋の奥にある池で泳いでいた鯉を湯船に入れて、めちゃめちゃ叱られたのを鮮明に覚えています。

 

冷たい水で泳いでいる鯉が、熱い湯の中で体の色がどんなふうに変わるのか知りたかっただけなんですがね~。

 

動物虐待ではありません。

 

単なる好奇心からなんですが……。

 

あの「鯉事件」のあと、しばらくの間、武部家は入湯禁止でした~(>_<)

 

まぁ、ヤンチャでしたわ。

 

今でも、「いろは湯」を見ると、茹蛸ように顔を真っ赤にして激怒していた番台のおっちゃんの顔が浮かんできます。

 

実は、あのころの龍造寺町を舞台にした諸々のことをモチーフにした小説を随分、以前に書き上げているんです。

 

ただ、あちこちの文学賞に公募しているんですが、今のところまったく陽の目が当たらず……。

 

原稿に目を通してくださった方は、みな高く評価してくれてはりますので、そのうちドカーンと当たるかもしれません。

 

乞うご期待を~(笑)

 

ということで、非常にノスタルジックな内容になりました。

5月 23

小学校時代の写真……

おとつい、南大江小学校の同窓会があったので、気分が小学校時代にシフトしてしまった……(笑)

あのころの写真を見たいと思い、あれこれと探し回ったんですが、意外なほど少なかった。

なんでやろ??

整理が悪いから、散逸してしまったのかな~(*’▽’)

以下、50年前の「かわいい頃」の姿です(笑)

やっぱり、イチビッてる写真がありましたわ!

 


5月 22

半世紀ぶり、初めての小学校の同窓会~!(^^)!

今日(5月21日)は、小学校の同窓会でした。

大阪のほぼ真ん中、谷町4丁目にあった大阪市立南大江小学校(現在は少し南西側に移っています)。

 

同窓会は1967年の卒業以来、初めて~(^_-)-☆

ということは、50年ぶりです!!

会場は、上本町6丁目の中華料理店「百楽」。

あのころ、都心部のドーナツ化現象で、3クラスだけでした。

1クラスが45人として135人。

そのうち40人が同窓会に出席してくれました。

 

半世紀ぶりに再会した人も少なくなかったです。

だれか判別できなかった人もいましたが、「今の方が武部君らしい」と言われ、びっくりポンでした~(^^;)

当時のぼくは、やんちゃでイチビリ、そして思いっきりちょかでした~(笑)

今でも直っていません……(*’▽’)

物心ついた時からの幼なじみ「けい子ちゃん」とも会え、うれしかったです。

同級生ともツーショット~(^_-)-☆

小学生時代となると、あまり鮮明に覚えていませんね。

何が一番の思い出かというと、学校の正門にちょくちょく来ていた行商のおっちゃんと妙に仲良くなれたことです。

針金を使ってピストルを作りはるんですよ。

「針金銃」!

弾は輪ゴムです。

下校時間を狙って、ぼくら小学生男子に「針金銃」を売ってはりました。

「絶対に買うたらアカンぞ!」という先生のきついお達しを無視し、ぼくは3丁ほど買っていました。

そのうち、ぼくにあれこれと喋ってくれはりまして、毎日、立ち寄っていました。

でも、10日も経たないうちに、そのおじさんの姿が消えていました……。

何かめちゃめちゃ哀しかったのを覚えています。

閑話休題――。

二次会は、同窓生のA君が経営するミナミのラウンジで。

このA君、小学生のころからエレキギターが上手で、今日もライブを楽しませてくれました~(^_-)-☆

二次会も盛り上がりました。

 

みんなで我を忘れて踊りまくったのが最高でした!

そんなこんなで、素晴らしい1日になりました~(^.^)/~~~

3月 07

21日、またまた『大阪「映画」事始め』の講演をします~(^_-)-☆

今夕、ABCの情報番組『キャスト』で特集「神戸・京都・大阪の映画発祥地論争(?)」が放映されました。

海外からの映画導入に貢献した稲畑勝太郎さんと荒木和一さんの名前が出てこなかったのは残念ですが、短い時間のニュース枠ならあんなものでしょうね。

その中で唯一ニュース姓のあるネタはぼくのコメントでした(笑)

拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)のハイライトとして取り上げた米エジソン社製ヴァイタスコープの難波での試写。

それ以外は旧知のことばかり。

映画の初上映も初興行も大阪の難波でした。

だから、映画は大阪で種がまかれ、京都で成長・熟成した。

ほんま、そう思っており、京都に対してすごくリスペクトしています。

大阪でのこの事実を軽んじることなく、謙虚に受け止めてほしいと思っています。

テレビで報じられなかった部分をお知りになりたい方、これまでの講演を聴き逃した方、21日に〈なにわ名物開発研究会〉の3月例会で『大阪「映画」事始め』と題してお話ししますので、ぜひ足をお運びください。

どなたでも参加できます。

会員以外は1000円。

2月 05

高校の陸上部、ミニ同窓会、楽しかった~(^_-)-☆

40年以上前の高校時代(大阪府立清水谷高校)、陸上部で一緒に汗を流していた面々と心斎橋で再会しました。

同期と1つ、2つ下の後輩たちとの合同の集い。

DSC_0553

ぼくはほんまに頼んなかったし、ええ加減なキャプテンでした(笑)。

まぁ、その絡みで今日、幹事の大役を担いました~(^o^;)

皆、還暦を超えていますが、こうして会うと、走りまくっていた青春時代の思い出がいろいろ甦ってきますね~。

陸上部同窓会(2)

 

各人、人生の歩みもわかり、非常に充実したひと時を過ごせました~⤴

一次会の「そばしゃぶ」、二次会と三次会のバー、すべて楽しかったです~

1月 29

京都で「反論」講演会、盛り上がりました!

映画が日本で最初に上映されたのは京都ではなく、大阪だった~!

拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)のトピックスに対する「反論」の講演会が昨日(28日)、京都・壬生のおもちゃ映画ミュージアムで開かれました。

(3)「反論」講演会

血まみれのバトルを期待していた人が多いかと思いますが、お互い大人、それなりに穏やかに事が収まりました~

(4)「反論」講演会

講演者の森恭彦さん(読売新聞大阪本社編集委員、後輩)が「いけず」的な発言をチクチク発していたようですが、鈍感なのか、あまり分かりませんでした(笑)

典型的な大阪人と京都人の対論、我ながらオモロかった~

(1)「反論」講演会(2017.1.28) (2)

講演のあと、雰囲気が一転、陽気なライブに~

(5)「反論」講演会

友人のシンガー、西川⭐ハニー⭐敦子も歌ってくれ、デュオを楽しみました~⤴

実に刺激的なひと時でした~❗

「反論」講演会、記念撮影(2017.1.28) (2)

以下、ミュージアムのブログに載せる原稿です。

これがぼくの本心です~(^_-)-☆

 

「大阪も京都も同じ関西、大らかにいきまひょ~!」

京都人、稲畑勝太郎さんのシネマトグラフ。

大阪人、荒木和一さんのヴァイタスコープ。

120年前、ほぼ同時期に片やフランスから、片やアメリカから2つの映画(スクリーン投影式上映機)が日本にもたらされました。

今回、拙著『大阪「映画」事始め』(彩流社)を上梓するに当たり、映画渡来に関する第1章については、「定説」をわかりやすくまとめるつもりでした。

つまり、シネマトグラフが京都電灯の中庭(現在、旧立誠小学校)で最初に試写(上映)が行われ、その後、大阪・難波の南地演舞場(現在、TOHOシネマズなんばが入るビル)で一般公開され、それが日本の映画興行の始まりとなった――ということ。

そこでいくたの文献・資料を調べていくうち、荒木さんがあまりにも映画史の中で埋没していることがわかってきました。

ほとんどシネマトグラフに関心が向けられ、ヴァイタスコープは添え物的。

かなりの温度差です。

気の毒やん。

何でこうなってしもたんや?

荒木さんは心斎橋の舶来品輸入業「荒木商店」の店主で、のちに加奈陀サン保険生命会社(本社・モントリオール)の関西支部長となり、第5回内国勧業博覧会や初代通天閣の建設にも関わり、第一級の英語通訳者でした。

大阪商業会議所(大阪商工会議所の前身)の議員にもなった大阪実業界の顔役。

こうした荒木さんの実績自体があまり知られていませんね。

本書の目的は大阪と映画との深い関わりを探ること。

ならばぼくと同じ大阪人である荒木さんを避けて通れないと思い、徹底的に掘り起こしました。

その結果、発明王エジソンとの直談判の末、個人輸入したヴァイタスコープの試写が大阪・難波の福岡鉄工所(現在、なんばパークス入り口)で行われ、その時期がシネマトグラフの試写よりも早かったことが浮かび上がってきたのです。

「もっと早う光を与えてほしかったなぁ」

調査・執筆しているとき、天国にいるそんな荒木さんの声が聞こえてきました、ほんまに(笑)。

森さんが指摘した、シネマトグラフの芸術的な優位性や映画史における重要性。

確かに仰せの通りです。

しかし同じように、世界の、そして日本の映画史に足跡を残しているヴァイタスコープのことを軽んじるのではなく、謙虚になって「同じ土俵」でしっかり見据えることが大切だと思います。

何もシネマトグラフだけが映画ではありませんから……。

試写を重視しすぎるということも森さんが言うてはりました。

それなら、旧立誠小学校前に「日本映画発祥の地」の説明板を立てる必要はありません。

試写の時期にこだわったからこそ、その説明板が設置されたわけです。

つくづく思います、「シネマトグラフの初上映地」と控えめに表現すべきだったと。

それなら全くノープロブレムやったのになぁ……。

誤解を避けるために言いますが、ぼくは「荒木ヴァイタスコープ原理主義者」ではありません(笑)。

稲畑さんのシネマトグラフにも同じようにリスペクトしています。

明治期に海外から最新の文化(映画)を導入した稲畑さんと荒木さん。

日本における映画の黎明に尽力しはったお2人、ほんまに凄いと思うています。

JRの新快速で30分弱の大阪と京都。

ともに関西。

映画は東京ではなく、こっちから始まった。

それは大阪で芽生え、京都で成長し、熟成した。

それでええやん~(笑)。

文化的な議論に加え、ライブもできて楽しかったです。

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