Category Archive: 日記

10月 16

大阪・新地のバーUKでのトークショー『銀幕に映えるウイスキー』(12月22日)、早くも予約で満席~!!

新著『ウイスキー アンド シネマ 2 心も酔わせる名優たち』(淡交社)が11月初旬に刊行されますが、それにちなんだイベントがいくつも企画されています。

その中のひとつが、大阪・北新地のバーUKでのトークショー。

https://www.facebook.com/arkwbaruk/

ぼくの長年の飲み友達、荒川英二さんがマスターを務めている素敵なウイスキー・バーです。

この人、同じ大学の同じ学部出身で、ぼくの古巣新聞社の最大のライバル、朝日新聞社の記者でした。

「好きの力」を活かし、こだわりのバーを開かれました。

12月22日(金)の夜、『銀幕に映えるウイスキー』と題するトークショーの開催がが14日にいきなり決まり、荒川さんがさっそくFacebookで告知し、ぼくがそれをシェアしました。

すると、あっという間に満席に~!

びっくりポンです~(^_-)-☆

ブログで呼びかける必要がなくなりました(笑)。

まさにウイスキー&シネマの力。

その凄まじさに驚いています~(笑)

ほんまにありがたいことです。

他のイベントにつきましては追ってお知らせします。

10月 16

乗車したタクシーが逆走~! 怖かった~((+_+))

14日の深夜(正確には15日未明)、めちゃめちゃスリリングな、というか怖い、怖い体験をしました。

天六(天神橋筋六丁目)界隈でちょかBandのリハーサルを終え、相方(疋田さん)+ゲストの方(Ritzさん)と飲み食いしたあと、帰宅すべくタクシーに乗車。

松屋町筋を南下し、中央大通りの高架を右折した直後、うとうとしていたぼくは運転手の声で頭が覚醒しました。

農人橋の交差点です。

「しもた! 間違うた!!!」

「どうしはったんですか?」

「手前の高架(東向きの対向車線)を曲がってしもうた」

「え~っ!」

完全に逆走~❗

100メートルほど高架を上ってきており、いまさらバックで引き返せない。

向こうから自動車が何台も迫ってくる!!

これは逃れられへん。

わ~っ!! えらいこっちゃ~❗  どうしよう!!

激突されるという〈恐怖〉で体が縮み上がってしまった~( ;∀;)

運転手はタクシーを停め、すばやくヘッドライトを点滅させ、対向車に「異変」を知らせました。

ラッキーなことにどの車も急停車してくれました。

猛スピードで迫ってきた軽トラックは急ブレーキをかけ、1メートル手前でストップ。

ギリギリ、セーフ。

やれやれ。ほんま、冷や汗をかいた~( ゚Д゚)

一瞬、「死」を意識しました。

その後、タクシーはUターンして事なきを得ました。

運転手は見たところ70代後半?

しきりに謝り、タクシー代を無料にしてくれましたが……。

いやはや、神経が昂り、帰宅しても朝方まで眠れなかったです~( ;∀;)

あの交差点、夜間は暗くて登り口を間違えそうになります。

でも、初心者ドライバーじゃあるまいし、プロのタクシー運転手なのだから、絶対に間違うたらあきまへん!

乗客を恐怖のどん底に陥れた責任は大きいと思います。

運転手は非常に気の良さそうな方でしたので、タクシー会社に一報を入れるかどうか逡巡していました。

しかし一つ間違えば、大事故につながりかねないケースです。

そこで翌日、思い切って連絡しました。

当然、会社側は平謝り。

高齢者ドライバーのトラブルが社会問題になっています。

タクシー会社でも高齢者は昼間だけの勤務に限定するなど何らかの対応を取る方がいいでしょうね。

「えらいこっちゃ!」はぼくの〈代名詞〉ですが、今回ばかりは、身の危険に直面しただけに、ホンマに「えらいこっちゃ!」でした。

それにしても、運がええなぁ~と改めて実感した次第です(笑)。

10月 09

昨夜は楽しいハシゴ酒~(^_-)-☆

昨夜は、大阪・塚本にある全国的に知られるモルトバー「婆娑羅」のオーナーで、NBA(日本バーテンダー協会)大阪北摂支部相談役の曽我和夫さんと飲んでいました~💡😁

20年末、客としてお店にお伺いしていましたが、こうして膝を突き合わせて一献傾けたのは初めて。

オモロい話をいろいろ聴け、めちゃめちゃ楽しかったです~💡😁

結局、4軒ハシゴしました。

塚本の寿司屋さん⇒十三のバー「CATEGORY」⇒淡路のバー「ZUMON」⇒塚本の焼き肉店。

結構、飲みました~!

写真を見たら、単なる酔っ払いのおっさんコンビですね~(笑)

プライベートでのこういう飲み会もええもんですね~。

ほんま、ええお酒でした~(^_-)-☆

9月 29

新風書房の福山さん、イベント・プロデューサーの小川さんと楽しく会食~(^_-)-☆

昨夜は、新風書房(大阪市天王寺区)の代表、福山琢磨さん&イベント・プロデューサー小川秀人さんと会食しました。

さる8月、福山さんが企画された近鉄百貨店上本町店での『「モノ」が語る戦争展』の目玉展示で少しお役に立てたそうで、そのお礼にと息子さんがオーナーをしている谷町4丁目のスパニッシュ・レストランでご馳走になりました~ 💡 😁

ありがとうございました!

その展示とは、映画会社・日活の社員だった小川さんのお父さんが出征する時の寄せ書き。

そこには片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、月形龍之介、衣笠貞之助、志村喬、牧野正博らそうそうたる映画人の名前が記されていて、それをちょっと「監修」しただけなんですが…… 😅

寄せ書きの実物をとくと拝見させていただきました。

福山さんとは古巣新聞社の科学部記者の時にご縁ができました。

1984年のことですから、33年前ですね。

その後、福山さんは戦争の〈記憶〉を〈記録〉に書き留めている『孫たちへの証言』をシリーズ化されています。

「継続は力なり」を着々と実践しておられ、心からリスペクトしています。

2004年には、福山さんにお願いし、拙著『ボビーズ・バー 〈洋酒の精〉に乾杯!』を新風書房から出していただきました。

小川さんとは3年前、動物園前のカフェでちょかBandがライブをやった時に知り合いました~(^_-)-☆

この方、地域密着型の東大阪新聞社の記者も務めてはります。

その小川さんと福山さんがつながっていたとは……、びっくりポンでした。

人生って縁の積み重ねですね。

ほんま、素晴らしいひと時を過ごせました~ 💡

8月 27

〈旬〉のカニを満喫~!?

残暑厳しい中、季節外れの(?)のカニ三昧~(^_-)-☆

昨日、母校の高校(大阪府立清水谷高校)陸上部25、26、27期の集いが、大阪・ミナミのカニ料理網元別館でありました。

カニと言えば、冬場の食べ物とイメージしますね。

それは日本海で獲れるカニのことで、夏場はオホーツク海やベーリング海などで漁が行われているそうです。

タラバガニではなさそうですが、今がそのピーク。

てっきり冷凍モノかなと思っていただけに、すべて生鮮だったので、びっくり!!

旬の味を存分に楽しめました~(^_-)-☆

会話に花を咲かせるよりもカニの身を取るのに必死で……(笑)。

今年2月初旬、この会の1回目を開催。

半年に1回ほどのペースでゆるりゆるりとやっていければいいかなと。

二次会はベルギービールを満喫、三次会は阪町のディープな「昭和」バーで。

ほんま、楽しいひと時でした~( ^^) _旦~~

8月 20

亡き母親の四十九日&納骨……、写真の数々

亡き母親の四十九日(満中陰)の法要を昨日(8月19日)、岡山市内の兄夫婦宅で無事、執り行いました。

この日、大阪映画発祥地に関する講演会(南海電鉄主催)が予定されていまして、法事には行けないと諦めていたんです。

ところが、そのイベントが順延となり、岡山へ駆けつけることができました。

きっと母親が呼んでくれたんやと思います~(^_-)-☆

そして今日(8月20日)、奈良・生駒のお墓で納骨を済ませました。

「大阪へ帰りたい、帰りたい」

常々、そう口にしていた母親だっただけに、こちらに戻ってくることができ、きっと喜んでいるでしょう。

これでひと段落……。

7月4日に永眠してから、あっという間でした。

昨日、岡山の両親宅を整理していたら、亡きオヤジさんが撮影した写真がぎょうさん出てきました。

家族のスナップ写真だけでなく、風景や人物を活写した本格的な写真も……。

一番、笑ったのがこの2枚の写真。

生後9か月のわたしです。

端午の節句(昭和30年5月5日)。

機嫌よぉ写真に収まっていたら、その直後、兄貴に泣かされ……(笑)

ほかにも印象的な写真をアップしておきます。

小学校入学時、幼なじみの恵子ちゃんと。

オヤジさんの写真集を作成しないといけないかもしれません。

8月 15

72回目の敗戦の日……。

ソ連兵の顔が見えるソ満国境(中国東北部)で守備隊を務めてたんや。

向こうの兵士、まだ幼かった。

こっちも20代前半やったけど。

凍傷におびえながらその酷寒の地で2年ほど駐屯していたら、いきなり九州の宮崎へ移れと命じられて。

大陸から九州へは輸送船で向かったんやけど、2隻が米軍の潜水艦の魚雷で沈没したわ。

宮崎に着いたら、米軍の本土上陸に備え、日南海岸で連日、朝から晩まで塹壕掘りと土嚢積み。

ほんまにしんどかった。

あぁ、ここで死ぬんやなと覚悟を決めてた。

1か月ほど同じ作業の繰り返し。

半日、休暇をもろうて都城へ行ったとき、戦友たちと一緒に玉音放送を聞いた。

街のどこかの運動場やった。

天皇さんの声、ほとんど聞こえなかった。

何を言うてるのかチンプンカンプンやったけど、これで戦争が終わったことだけはわかった。

「一人も殺さずに済んで、ほんまによかった」

心底、ホッとした。

涙は一滴も流れへんかった。

せやけど、3か月後やったか、復員して大阪駅に降り立ち、空襲で焦土と化した街を目にした瞬間、泣き崩れてしもうた。

日本が敗れた日、大日本帝国陸軍の兵長だった亡きオヤジ(当時、25歳)から生前、よく聞かされた話です。

ふと今日が近鉄上本町店で開催中の『「モノ」が語る戦争展』の最終日と知り、あわてて会場へ。

千人針、焼夷弾の模型、慰問袋、疎開用の服、米軍の情報宣伝ビラ(降伏を促す!)……。

興味深い品々がいっぱい展示されていました。

なかでも目が留まったのは、映画製作会社・日活の社員が出征した時の寄せ書き。

嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、月形龍乃介、志村喬、マキノ雅弘、稲垣浩……。

往年の映画スターと監督の名前がびっしりと記されていました。

実は、それを「解読」したのがぼくでした。

映画評論家となっていますが、ぼくはそうではありません(評論をしてことがありません)。

エッセイストです。

主宰者の1人で、、『孫たちへの証言』の出版を続けている福山琢磨さんから調べてほしいと依頼されました。

会場はほとんど年配者。

若い人たちにもっと戦争の悲惨さと愚かしさを知ってほしいです。

戦争がどんどん風化しているだけに、今こそ戦争教育の「新機軸」を打ち立てるべきだと思っています。

8月 14

八尾の心合寺山古墳を訪れて……

昨日、衝動的に大阪・八尾の田園地帯へ足を運びました~💨

生駒山脈のすそ野にある心合寺山(しおんじやま)古墳を見たくなったから。

アクセスはこんな感じです。

自宅⇒(地下鉄)⇒難波⇒(近鉄)⇒山本⇒(近鉄バス)⇒大竹⇒(徒歩)⇒古墳

1時間足らずで到着できました。

大竹バス停から生駒山脈方面へ緩い坂道をてくてく登っていくと、のどかな光景が広がっていました。

八尾には何度も来たことがありますが、この辺り(最東部)は初めて。

5分も経たないうちに古墳にたどり着きました。

南北160メートル。

5世紀前半に造営された中河内最大の前方後円墳です。

前からずっと気になっていたのですが、なかなか行動に移すチャンスがなくて……( ;∀;)

以前は雑草が生い茂るありきたりな丘だったそうですが、数年前、整備・修復され、きれいな公園のようになっていました。

埋葬者は皇族ではなく、地元の豪族なので、古墳の上に登れます~💡😁

そこに遊歩道が敷かれていたのにはびっくり。

堺、羽曳野、藤井寺、柏原、八尾……、大阪の南東部はほんま、古墳の「宝庫」ですね。

池をはさんで古墳を眺めていると、ヨーロッパに点在する古代ケルトの城塞と何となく似ているような気がしました。

〈向こうは紀元前5世紀以前、こちらは紀元後の5世紀……。1000年もスパンがあるのに、面白いなぁ〉

そのうち、ムラムラと執筆意欲が高まってきました。

そうなんです、過去5年間に欧州各地で古代ケルト遺跡をつぶさに探査(取材)してきておりまして、それらをまとめて『ヨーロッパ古代『ケルト』紀行』という本にまとめようと思っています。

ところが、『ウイスキー アンド シネマ~琥珀色の名脇役たち』(淡交社)や『大阪「映画」事始め』(彩流社)などの本を出すことになったりして、なかなか執筆に取りかかる時間がなくて……。

というより、なかなかモチベーションが高まらなくて~という方が正解です。

11月出版予定の『ウイスキー アンド シネマ 2』が一段落したので、頭の中を映画とお酒から「ケルト」へシフトし、そろそろ『ヨーロッパ古代『ケルト』紀行』に向けてアクセルを踏み込もうと思った次第。

ベネルクス三国(ベルギー、ルクセンブルク、オランダ)、ポルトガル南部、フランス南部と西部、ドイツ南部と西部、スペイン中部……。

地域が多岐にわたっており、情報量もやたら多く、まとめるのが大変だと思います。

でも、ちゃんと記録として残しておきたいので、始動します!!!

まさか日本の古墳を見て、遠く離れた欧州「ケルト」の執筆の動機付けになろうとは思わなかった……(笑)

八尾にやってきてよかった、つくづくそう思いました。

7月 31

フランスの大女優、ジャンヌ・モローさんが天国に召されました

フランスの世界的な大女優、ジャンヌ・モローさんが永眠されました。

享年、89。

大好きな女優さんのひとりでした。

『死刑台のエレベーター』、『突然、炎のごとく』、『黒衣の花嫁』……。

知的で洗練された演技が忘れられません。

ぼくが古巣新聞社の文化部(映画担当)記者だった1997年9月26日の夜、京都のホテルでモローさんと単独インタビューしました。

このとき、66歳。まだまだお若かった。

京都国際映画祭(東京国際映画祭の京都バージョン)の審査委員として来日されたので、映画祭事務局に何とかお願いして取材させてもらったんです。

非常にインテリジェンスの高い人で、ぼくの質問に対し、間髪入れず回答していただきました。

日本映画に関心を持っておられ、「日本では年間、何本の映画が製作されているのですか?」と逆取材されました(笑)

お母さんが英国人とあって、英語もべらべら。この時はフランス語でしたが……(もちろん通訳付き)。

翌日の夕刊一面に掲載されました。原稿最後の「(好)」はぼくのことです。

その日行われた映画祭の記者会見で、モローさんがぼくを見つけ、満面の笑みで手を振ってくれはりました。

めちゃめちゃうれしかった!!

最高の思い出です~(^^)/

安らかにお休みください。合掌……。

7月 29

亡き母親に捧げる曲『温もりの日々』~♪♪

母親が亡くなって、25日が経ちました。

喪中の間、何かと自粛するのが常ですが、うちの「お母ちゃん」は気楽な、かつ明るい人でしたので、そんなことしていたら、「何を陰気なことやってるのん」と叱られてしまいます。

なので、悲しむよりも、甲子園観戦、ちょかBandのライブ、ランニング、飲み会……と、いつも通りアクティブに動いてきました。

それが供養になっていると思うています。

40代(?)の「お母ちゃん」

もう1つ、供養しました。

「お母ちゃん」の歌を創作したんです!

12年前に他界した父親を追悼した曲『あの日、あの頃』を母親が知り、ちょっとやっかみはりまして~(笑)。

「うちの曲も作ってな」

「わかった、わかった。死んだら、作ったるわ」

軽い気持ちでこんな約束をしたんです。

永眠してから、それが「遺言」のように思えてきまして……。

さる5月22日、近くにある靭公園のバラ園を見に行った時、ふと母親のことを思い浮かべました。

この時は、体調を崩し、すでに入院していました。

「お母ちゃん、どうしてるんやろ。そろそろ見舞いに行かなあかんなぁ」

心配しながら、香しい匂いを放つ色とりどりのバラの花を眺めていると、軽やかな明るいメロディーが頭に浮かびました。

音楽の神サンからのプレゼント!

まさにそんな感じでした。

このメロディーにしかるべき歌詞をつければ、母親に贈る曲ができると思い、幼いころの記憶の糸をたぐり寄せていきました。

そして、ついに完成しました!

『温もりの日々』という曲。

稚拙な歌詞ですが、飾り気のないぼくの素なる気持ちです。

湿っぽくなく、全く追悼曲らしくありません(笑)。

「お母ちゃん」がめちゃ喜びそうな歌やと思うています。

悔やまれるのは、この曲を元気な時に聴かせてあげたかったということ。

まぁ、今さら言うても、詮のないことです。

ちょかBandのライブでお披露目します。

お楽しみに~♪♪

以下、歌詞を公開します。

オヤジさんへの追悼曲『あの日、あの頃』の歌詞も添えておきます。

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