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筆者の詳細

登録日時: 2012年3月19日

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武部好伸(タケベ・ヨシノブ) 1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。

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4月 29

慰安婦問題にメスを~! ドキュメンタリー映画『主戦場』

「慰安婦問題」―――。

今や口に出すのがタブー視されているような風潮ですが、決して風化させてはいけない問題だと思います。

全く異なる2つの見解。

はて、どちらが正しいのか?

そういう場合、両者の意見にじっくり耳を傾けるしかありませんね。

「ネトウヨ」の脅しにも屈せず、日系アメリカ人のミキ・デザキ監督が3年がかりで撮ったドキュメンタリー映画『主戦場』はそれを愚直なまでに実践しています。

水田水脈、櫻井よしこ、ケント・ギルバート……。

十分なデータに基づく客観的な検証を前にすると、思い込みで都合のいいように主張する彼ら歴史修正主義者たちの論拠がいかに薄っぺらいものかがわかります。

これは人権問題に他なりません。

よくぞこのテーマに斬り込んでくれはりました~👍

非常に刺激的で骨太な作品です。

大阪では十三の第七藝術劇場、京都では京都シネマで、名古屋は名古屋シネマテークで公開中。

その後、各地で順次上映されます。

これは観ておく方がええと思います。

http://www.shusenjo.jp/

4月 24

法善寺の〈ヒロイン〉、お福さん

インバウンド(訪日外国人)や国内観光客、もちろん大阪の人たちも含めて連日、賑っているミナミの街中で凛とした雰囲気をかもし出している、そんな異空間が法善寺横丁だと思っています。浪花情緒とでも言いましょうか、レトロ感あふれる独特な風情がたまりません。路地(ろうじ)なのに、東京風に「横丁」としているのがなんとも面白い。

レトロ感が漂う法善寺横丁

Osaka Metroのなんば駅と日本橋駅のちょうど真ん中に位置しています。長さ80メートル、幅3メートルの小径が南北に2つ伸びているだけの狭いエリアに、居酒屋、小料理店、焼き鳥屋、串カツ屋、バーなどがひしめき合っています。古くからの暖簾を守っている老舗がまだ少なからずあるのがうれしいですね。明治時代には「紅梅亭」と「金沢亭」という2つの寄席小屋があったのだから驚きです。

ここに来ると、何はさておき法善寺の水掛不動さん(西向不動明王)にお詣りします。びっしり苔むしたお不動さんの顔、どんな表情だったのか、すっかり忘れてしまいました。その不動明王に水をかけ、縁結びと商売繁盛を祈願する人が絶えません。観光客の中には柏手を打ってはる人がいますが、ここはお宮さんとちゃいまっせ(笑)。

絵になる境内の入り口

参拝者が絶えない法善寺の境内

顔が判別できない苔むした水掛不動さん

法善寺横丁といえば、ちょっと古いですが、オダサクの愛称で知られる大阪生まれの大衆作家、織田作之助(1913~47)の代表小説『夫婦善哉』に登場するぜんざい屋を思い浮かべます。昭和30(1955)年に封切られた映画でもお店が出てきます。といっても、それは東京・砧の東宝撮影所のセットでしたが……。

同じ名前のその店は今、法善寺境内の南側にあります。しかし明治、大正を経て太平洋戦争で強制疎開するまで、北側の法善寺横丁と道頓堀に通じる、当時は極楽小路と名づけられた浮世小路の角に店がありました。

初代「めをとぜんざい」が店を構えていたところ

そこの飾り窓に大きなお多福人形が鎮座していたのです。大阪人はお多福のことを「おたやん」と言います。この店では親しみを込めて「お福さん」と呼ばれていました。まさに〈法善寺のシンボル〉。オダサクさんの随筆にもそう表現されています。今の小振りの「お福さん」は3代目です。

初代のぜんざい屋は明治16(1883)年、竹本琴太夫の芸名を持つ文楽の太夫、木(き)文字(もんじ)重兵衛さんが内職で創業しました。店のマスコットにと古道具屋でお多福人形を買い求め、お福さんにちなんで、店名を「お福」としたのですが、夫婦連れが多かったのか、いつしか「めをとぜんざい」の名で知られるようになりました。漢字ではなく、ひらがなというのが時代を感じさせますね。

ここからお福さんは実にドラマチックな人生を歩みます。法善寺の千日参りや寄席見物の人たちでぜんざい店は繁盛しました。ところが前述したように太平洋戦争時、強制疎開を余儀なくされ、木文字家の実家がある藤井寺の古室山(こむろやま)へ引っ越しました。

戦後、戎橋南詰でぜんざい屋を開いた人に貸し与えられましたが、すぐに店がつぶれ、再び木文字家の蔵へ。その後、ミナミの阪町で再興された「めをとぜんざい」を経て、法善寺境内の料亭で落ち着くも、昭和33(1958)年、三度、古室山へ引きこもってしまったのです。

このままずっと隠居生活が続くとお福さんは覚悟を決めました。ところが金融業者の手に渡り、のちに古物商に商売替えしてから、長らく上本町六丁目の店に飾られていたのです。なかなか買い手がつかなかった。それがミナミのてっちり店の創業者、青柳政二さんに買われ、あろうことか大阪から遠く離れた、北アルプスが望める新潟県境の富山県朝日町にある百(いっ)河豚(ぷく)美術館に展示されることになりました。

この美術館は古美術品収集家の青柳さんが昭和58(1983)年、ご自身の故郷に私財を投じて建てられたものです。「百河豚」とはフグを愛したこの人の号。日本と東洋の優れた陶芸品を多数収蔵していることで、マニアの間ではよく知られています。

一連の変遷を突き止めたぼくは無性にお福さんに会いたくなり、富山へ駆けつけました。彼女はぼくの顔を見るなり、「よぉ探し当ててくれはりましたなぁ」と笑顔で声をかけてくれました。頬が黒ずみ、松竹梅の絵柄をあしらった十二単(ひとえ)のうちかけも黒光りしていましたが、まだまだ現役といったたたずまい。室町時代の作ということですから、随分、齢を重ねてはるんですね。

笑顔で迎えてくれたお福さん

実は以前、木文字さんのひ孫さんからお誘いを受け、当時のぜんざいをご馳走になったことがあります。淡い黄土色をした2つの小鉢。そこにはひょうきんなお福さんの顔が描かれていました。その小鉢は貴重品ということで、ふつうのお椀でいただきました。小豆がやたらと多く、汁が透き通っています。それに白玉ではなく、小さめの角餅が2つ。驚くほど淡白な味で、甘さも控えめでした。

かつて「めをとぜんざい」で使われていた小鉢

角餅入りのぜんざい

「えらい上品な味やなぁ」

辛党のぼくでもあと4杯くらいはいけそうでした。オダサクさんもこのぜんざいを味わっていたのかと思うと、感無量になりました。

先日、法善寺を訪れ、水掛不動さんにお詣りしたあと、今のぜんざい屋の前に足を向けると、三代目のお福さんの声が聞こえてきました。

三代目のお福さん

「初代のお姐さん、元気でやってはりますかね。あのお方こそ、法善寺の〈ヒロイン〉でした」

4月 22

関西経済連合会で講演~『映画のはじまり、みな関西』

スリランカの哀しみをグッと胸に収め、今日の昼、中之島のホテル「リーガロイヤルNCB」でかつてないほどビッグな講演に臨みました。

関西経済連合会の評議員会で、『映画のはじまり、みな関西』をテーマにお話したのです。

関経連なので、ちょっと忖度して(笑)、演題を『~、みな大阪』から『~、みな関西』に変えました😅

これでも全くノープロブレムです~😁

以前からぼくが発信してきた映画黎明期の〈新事実〉にいたく興味を持っておられたようで、全くツテがないのに、今回の講演依頼と相成りました。

非常に光栄なことで、ありがたいと思うています。

70余人の出席予定者名簿を見ると、大手企業の社長、副社長、会長、相談役らそうそうたるお方ばかり。

会長は、住友電気工業の松本正義会長。

お酒がお好きで、ケルト文化にも興味をお持ちで、話が弾みました。

皆さん、活力があります!

和風のランチをご一緒してから1時間、講演しました。

これまで何度も話してきた内容です。

「ぼくは谷町6丁目生まれの生粋の大阪人で、JR環状線の外に出ると、ジンマシンが出るんです」

この冒頭の言葉でガッツリつかみました(笑)。

やっぱり、笑いが大事です。

講演の最後で、「映画の遺産」をもっと活かしてほしいと訴えました。

それにしても、背広とネクタイ、着慣れていないので、全く似合うてませんわ~😅

4月 22

スリランカの悲劇……、許せません!!

「心の洗濯」をしてきたスリランカで昨日、キリスト教会と高級ホテルの8か所を狙った同時多発爆破テロがありました。

現在(22日正午現在)、290人の死亡が確認されています。

日本人も1人、犠牲になりました。

教会ではイースター(復活祭)を祝っていた最中に実行されたのが許せません。

あんなのどかな風土やのに……。

多様性を尊重して和やかに暮らしているのに……。

かつての内戦では、シンハラ人(主に仏教徒)VSタミル人(主にヒンドゥー教徒)という対立構図でした。

今回、少数派のキリスト教徒と外国人観光客がターゲットになりました。

キリスト教徒の大半はカトリックですが、これまで宗教的な対立の中に巻き込まれたことはなかったはずです。

背景がよくわからない。

罪もないごく普通の人が不条理な暴力で尊い命を失うなんて……。

ほんまに腹が立つ~😡⚡

許せません!!!

犯行グループを憎んでます!!!

旅行中、列車の中で知り合ったオランダ人女性のエヴァさんから無事の報が入り、安堵しました。

犠牲者の方々に哀悼の意を表します。

黙祷……。

4月 15

弁護士の坂和章平さんの新刊『“法廷モノ”名作映画から学ぶ生きた法律と裁判』

映画配給会社の試写室にはいろんな人が来はります。

新聞社の映画担当記者、浜村淳さんに象徴されるタレント、放送、雑誌、ネット系の映画担当者、映画ライター、その他映画業界の関係者……。

そんな中で異色な人がいてはるんです。

坂和章平さん。

この方、弁護士さんです。

本業のかたわら、頻繁に試写室に通い、映画評論を行ってはります。

愛媛県松山生まれの70歳。

大阪大学法学部を出られて、1974年から弁護士活動を続けてはります。

ぼくの兄貴分的なお方です。

これまで約3000本の映画評論を『SHOWHEY シネマルーム』(自費出版)という本にまとめ、なんと42冊も上梓してはるのです!

ほんまにすごいと思います。

その坂和さんが、プロ意識を存分に生かし、このほど『“法廷モノ”名作映画から学ぶ生きた法律と裁判』(定価:本体2000円、発行所:ブイツーソリューション、発売元:星雲社)を出版されました。

『グリーンマイル』『インサイダー』『リンカーン弁護士』『ハンナ・アーレント』『判決、ふたつの希望』『事件』『それでもボクはやっていない』『三度目の殺人』……。

洋画、邦画の法廷モノ映画の中から、“独断”で84本をピックアップ。

それらについて、陪審員、法廷闘争、死刑制度、裁判員制度、弁護士、裁判官、検察官、共謀共同正犯、軍事法廷、有事法制、冤罪、死刑囚国情の違い、アウシュビッツ(ナチス)裁判など大所高所から切り込んでいます。

どれも非常に詳しく説明されています。

さすがプロフェッショナルです!

映画の中で法廷の場面が出ると、グッと引き締まりますよね。

そのエッセンスを坂和さんが見事にすくい上げ、法律と裁判とはなんぞやと踏み込んではるのです。

これは知的好奇心がくすぐられます~(^_-)-☆

4月 14

スリランカ紀行(追記)~津波の被害

大事なことを書き忘れていました。

みなさん、覚えてはりますか?

2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震と津波。

犠牲者総数が約22万人。

スリランカの南部海岸も軒並み津波に襲われ、約3万4000人の命が奪われました。

そのとき国土非常事態宣言が発令されたそうです。

あれから15年……。

今回、南部に足を向けたのは、被災地の今を知りたかったこともあったのです。

街並みは完全に戻っており、かつて大惨事が起きたことが信じられないほどです。

でも、まだまだ心の清算ができていません。

何人かに訊きました。

ゴールのゲストハウスの主人は「城壁を越えて海水がどんどん迫ってきて、あっという間に2階まで浸水。親戚が数人、行方不明になりました」。

マータラの海岸で出会った男子学生は「幼いころの楽しい思い出をすべて消し去るほどの強烈な体験でした。多くの友達を亡くしました」。

昨年の南インドの旅でもよく似た声を聞きました。

先日、サファリ・ツアーで訪れたヤラ野生動物国立公園に、犠牲者追悼のモニュメントがありました。

そこには、サファリ・ツアーに参加した観光客とドライバー47人が波に呑まれたことが記されていました。

日本人も含まれていたんですね。

知らなかった。

津波によって、向こうの小高い丘が海水に呑み込まれたそうです

日本で起きた大災害ともども、絶対に風化させたらあきませんね。

4月 13

スリランカ紀行(10)最終回 10日目~4月10日

4月10日夕方、香港経由で関空へ無事に到着しました。

リュックを背負って関空から南海電車に乗って難波に着き、帰宅すべく地下鉄に乗ろうととぼとぼ歩いていたら、30代くらいの日本人男性から英語で声をかけられました。

訳すと、「お宿、探してはるんやったら、ええとこありますよ」。

日焼けで顔が浅黒いし、何かややこしい格好してるし、日本人に見えなかったんかな~😅

3年前、南インドを旅していた時、現地の人から「インドのどこから来はったんですか?」と言われたことがあったしな~(笑)

ここで、「何言うてまんねん。日本人ですがな」と本性を露にしたら、オモロいもへったくれもない。

とっさに片言の日本語で、「トモダチ ノ イエ 二 トマリマス」。

その男性、怪訝な顔をしてました。

バレたかな~😅(笑)

☆ ☆   ☆   ☆   ☆

帰国した今、スリランカでの出来事がすべてが夢のように思え、何だか不思議な感じです。

歩きまくったので、両足の底に複数の、しかも重度の「サンダル擦れ」~😣

バンドエイドを貼りまくってますが、それでも歩くと痛い、痛い~😞💥

それに、メガネがぐらぐらすると思ったら、鼻に付着する部分(名称、知りません)の右側がなくなっていました~😲

向こうではサングラスばかりかけていたのに、おかしいな~??

ショルダーバッグの中に入れていたので、熱さで溶けたんやろか……、ハハハ(笑)。

まぁ、これも旅の記念品(笑)

「何かを得るには、その代償が必要」(「鋼の錬金術師」の理念?)

それを実感しています~🙆

十分すぎるほど「心の洗濯」ができたので、エネルギーは満タン~❗

さぁ、やりまっせ~💨💨

4月 13

スリランカ紀行(9)9日目~4月9日

今日が実質的に最後の日。

午前中、コロンボ最大の仏教寺院、ガンガラーマ寺院を参詣しました。

ここに来たのは初めて。

都会の喧騒から隔絶された聖域です。

バラエティーに富んだ仏像の数々、さらにヒンドゥー教、大乗仏教、古来の民間信仰を採り入れた寛容さに何よりも驚かされました。

クラシック・カーや骨とう品も展示されてあるんです~👀

ちょっとけったいな感じです(笑)。

このあと、コロンボ国立博物館と自然史博物館を見学。

国立博物館は存外に充実していました。

この建物は、大英帝国植民地時代のセイロン総督府でした。

社会見学する児童と生徒がほんとうに多かった。

このあと、気温34度の炎天下、歩いたり、三輪タクシー(トゥクトゥク)に乗ったりして、コロンボの街を散策。

独立記念ホールは、1948年、150年にもおよぶイギリス支配から独立した証しともいうべき建造物です。

庶民的なペター地区は人、人、人で沸き立っており、猛烈に「昭和」の息吹を発散させていました。

これぞアジアの活力ですね!

歩き疲れたので、インド洋(アラビア海)に面した海岸沿いの高級リゾートホテルでビール・タイム。

リゾートホテルは大嫌いと言いながら、こういう時だけ用するんです~😉

何せ、お酒事情が悪いですからね~😣

このホテル、イギリス人ばかりで、ユニオン・ジャックがこれ見よがしに玄関前に翻っていました(笑)

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

スリランカを初めて訪れたのは1989年の初冬でした。

古巣新聞社の科学部記者の時で、翌年に大阪で開催される「花と緑の博覧会」(花博)の連載のための取材でした。

スリランカ内戦の真っ最中。

北部では激戦が行われていました。

山間部へ野生植物保護活動の取材をしに行った時、政府軍兵士が護衛してくれたのを覚えています。

とにかく不穏な空気が漂い、物騒でしたが、民間レベルでは穏やかな日常が営まれているのがよくわかりました。

このとき、波長が合うなとピンときました。

2回目はその3年後、内戦が下火になってきた1992年の夏、プライベートでシギリア・ロックや各地の仏教遺跡を巡りました。

完全にスリランカにハマり、同時に、この国に多大なる影響を与えたインドにもいつの日か絶対に行こうと決意。

2009年、内戦終結宣言が出され、以降、スリランカは元の平和な国に戻りました。

そんなわけで、今回、27年ぶりの再訪となったわけですが、何よりも国の発展ぶりに驚きました。

ひたひたと活力を感じ、すべてにおいて一皮剥けたといった印象です。

国土が美しくなっていました。

都会、田舎を問わず、ゴミをあまり目にしないのです。

コロンボやゴールといった都会は、日本の都会とあまり変わりません。

みなスマホを手にして、若者は最新ファッションに身を包んでいます。

ごちゃごちゃしている地域はインドと同じ空気感を発していますが、それでもどこか垢抜けしているんです。

この国は伸びていくと思います。

今回の旅で、タミル人が暮らす北部と北東部以外はすべて「制覇」できました~(笑)。

北部と北東部は基本、2回訪れている南インド・タミルナドゥ州と民族、文化、宗教(ヒンドゥー教)、言語、風習が同じなので、パスします(笑)。

シンハラ人、タミル人、ムスリム(イスラム教徒)、バーガー(白人との混血)と民族、宗教問わず、多くの人とご縁ができました。

最南端デウンダラ岬で「イェーッ~❗」と絶叫するのが主目的の旅だったとはいえ、信じられないくらい素晴らしい付加価値がつき、ぼくの人生に大きな彩りが添えられました。

気取った「よそ行き」の旅よりも、とことん「地べた志向」の旅。

そこに旅の醍醐味があるように思います。

それを実践すると、プラスの人脈ができることも改めて実感しました。

ぼくは訪れた国はどこも好きになってしまいます~😁

スリランカは3回目なので、超好きになりました~❤(笑)

毎回、思うがままに綴ったスリランカ・リポート。

ガイドブックやテレビでは紹介されていないスリランカの今の「素顔」をアップしたつもりです。

「スリランカってこんな国なんや~❗」

「いっぺん行ってみたいな」

「思っていたのと全然、ちゃうやん」

「気になる国やな~」……。

そう思っていただければ、幸いです。

ほんまに居心地のええ国やと思います。

国民が穏やかで、治安もめちゃええです。

そろそろアラビア海に夕陽が沈みます。

いつ見ても、感動ものです❗

モヒートを味わってから、そろそろ空港へ向かいます。

ええ塩梅ですな~🙆

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

夜半、コロンボ市内から空港までエアポート・バスで行くつもりだったのに、どういうわけか、運休していました(何でやねん~❗)。

三輪タクシー(トゥクトゥク)を利用するしかしゃあないと思っていたら、1人旅をしているオーストラリア在住の香港人女性(銀行員)とバッタリ会ったのです。

料金を折半することで、彼女と同行しました。

安ついた~❗(笑)

シャキシャキの彼女、Fairyという名前なんです。

ほんま、妖精に思えましたわ~😉

日本のラーメンの話でえらい盛り上がりました~⤴⤴

あっという間に、旅が終わりました。

「えらいこっちゃ!」はいろいろあったけれど、大きなトラブルもなく、つつがなく旅を終えることができそうです(まだ帰国していませんから)。

4月 13

スリランカ紀行(8)8日目~4月8日

旅の8日目、そろそろコロンボに戻らなあきません。

田舎町ウェッラワーヤからコロンボ直通のバスがあるんですが、何となく味気ない。

そこで、お世話になっている三輪タクシー(トゥクトゥク)のドライバー、モハメッドさんに相談すると、「エッラ(Ella)から列車で帰りなはれ」。

エッラは標高1500メートルの避暑地です。

エッラ行きのバス便が極めて少ないので、早朝、ゲストハウスをチェックアウト後、彼がトゥクトゥクでそこまで乗せて行ってくれました。

ありがたい❗

途中、昨日訪れたのとは別の大滝、バンバラガマ滝を見ることもでき、付加価値が付いた~(笑)。

もちろん、到着後、しかるべき運賃をお支払いしましたよ。

この避暑地は白人観光客だらけ。

何だかスイスにいるような錯覚に……😅

スイスの高山鉄道のようなエッラ駅

午前9時23分発のコロンボ行きの列車。

駅のプラットホームは観光客でびっしり。

標高1500~1800メートルの風光明媚な山岳地帯を走るため、人気があるのでしょう。

比較的新しいディーゼル機関車に牽引された列車が到着。

座れるかなと心配したけれど、停車した時、客車の乗り口がピタリとぼくの目の前に。

「アフター・ミー」と言わずに楽々、座れました~~👍

立っている人もいてはります。

何でこんなに運がええんやろ~、ちょっと不気味。

列車はスリランカ屈指の観光スポット、キャンディを経由し、コロンボへ向かいます。

到着時間を調べると、何と~~、午後6時57分~❗❗

つまり9時間半もかかるんです。

コロンボまでの距離が271キロなので……、う~ん、平均時速が30キロ~😣

確かにノロノロ、チンタラ運転ですわ。

ちなみに、2等の運賃は350ルピー(約210円)。

標高1774メートルの駅

今日は移動で1日潰れるけど、まぁ、しゃあない。

こうなったら腹を括って、列車の旅を存分に満喫しますわ~🙆

車窓からの情景は紅茶のプランテーション。

紅茶のプランテーション

大英帝国の遺産が今でも連綿と受け継がれています。

☆   ☆   ☆   ☆   ☆

その列車での出来事。

トイレに入って用を済ませてから、フック式のカギを上にあげようとするも、全く動かない❗

とことん固定してしまったみたい。

フックを下ろしたとき、強く押しすぎたのかな。

何度もフックを持ち上げようとしても、ピクリともしない。

完全にトイレに閉じ込められた~😣

えらいこっちゃ❗ えらいこっちゃ❗

ドンドン叩くと、外からドンドンと返ってきました。

でも、どうしようもできない。

この状況、わかりますか?

めちゃめちゃ焦りますよ。

このまま閉じ込められた格好でコロンボまで行かなアカンのか……。

パスポートや財布を入れたバッグを座席に置いたままやし~😨

ついに運に見放されたか……。

外から叩かれるドンドン、ドンドンの音が心臓にビンビン響き、額から脂汗。

半泣きになりながら、10分ほど「監禁」されていたら、列車がとある駅に停車。

そして発進した拍子にガタンと大きな音を立て、車両が揺れました。

機関車の場合、客車を牽引しているので、そうなります。

その直後、恐る恐るフック式カギを上げると、難なく解除できました~❗

まさに振動さまさまです~🙆

やれやれ。

額に汗を浮かべトイレから出ると、乗客が群がっていました。

一応、事情を説明したら、皆さん、納得してくれはりました。

もちろん、「カギは緩めにかけるように」とアドバイスして。

この悪夢のような体験で、列車のトイレがトラウマになりそう~😅(笑)

☆ ☆   ☆   ☆   ☆

9時間半におよぶ列車の旅を終え、コロンボに到着後、中心部のビジネスホテルに投宿。

列車の中でスマホを操り(トイレ監禁事件のあと)、ホテル検索アプリ「booking.com」で予約しました。

大都会の宿探しはこれに限りますね~😁

スリランカ最後の晩。

目の前にヒルトン・ホテルがそびえていました。

ヒルトンのオシャレなレストランで食事&バーでお酒をと思ったけれど、そんなん日本で体験できるし、梅田にもヒルトンがあるし、全然、オモロない~と即座にその計画を破棄。

そこで、ちょっと下町へ足を伸ばし、スリランカの居酒屋さんに入りました。

激辛のチキンと魚のフライをアテ(ツマミ、肴)にライオン・ビールをグビリ~🍻

こういう庶民的な雰囲気に浸ると、無性に「紅しょうがの天ぷら」と「タコぶつ」が食べたくなるんですが、そこはグッと我慢。

スリランカの人はよぉ喋りかけてきはります。

店の人もお客さんも~😁

サラリーマンが結構、多かったです。

日本人と知ると、皆さん、ほんまに愛想よくなりますわ。

かなりの親日派。

「日本で働いてましてん」

「日本の会社とビジネスしてますねん」

「日本人、好きゃわ~」

「こちらにある日本企業で働いてますねん」などなど。

こんな声を聞くと、うれしくなってきますね。

ほんま、素敵な夜になりました~🙆

4月 13

スリランカ紀行(7)7日目~4月7日

今朝、ウェッラワーヤという北部の田舎町へ行くため、バス・ターミナルで午前8時20分発のバスを待っていたら、ターミナルの所長さんとおぼしき恰幅のいい中年男性が英語で話しかけてきました。

ぼくが日本人と知ると、温顔になり、いろいろ日本のことを質問。

ほんまに喋り好きなお方でした。

そのうち18歳の息子が日本の大学へ留学したがっていることを喋り始めたのです。

「うちの息子、勉強が大好きで、経済学を専攻したがってるんですが、どの大学がええでしょうかね」

そして、日本の大学名を次々に挙げていきはりました。

よぉ知ってはりました~🙆

ぼくはその道の専門家でも何でもありませんが、客観的に経済学に強い大学を教えると、真剣にメモ取りを~✒

愛するわが子のためなら必死なんや~(笑)

しばらくすると、その所長さん、ふいに腕時計を見て、あわてて部下のスタッフに何やら聞くと、顔をしかめてシンハラ語でぶつぶつ言葉を出しはりました。

ぼくには「えらいこっちゃ~❗」に聞こえました。

案の定、その直後、非常に申し訳なさそうな顔をして……。

「あんたが乗るべきバス、出ちゃいました」

「えっ、そら、えらいこっちゃ~❗」

今度はこっちの方から日本語が飛び出ました。

腕時計を見ると、8時半~😣

お互い、喋りやから、どんならんですわ~😅

「次のバスは何時ですか?」

「明日のこの時間まで便がありませんねん」

「えっ❗」

「もう一泊、この町で泊まっていきはりますか?」

「そんなアホな~」

時間的にゆとりがありまへんがな。

「よっしゃ、ええ手を思いついた。トゥクトゥク(三輪タクシー)で行きなはれ。知り合いのドライバーがいますよって」

次の町はここから60キロも離れている。

料金、高いやろな~😅

「知り合いやさかい、負けてもらうよう言いますわ」

で、白髪のおじいちゃん運転の三輪タクシーに乗り込み、目的地に向かってゴー~💨💨

このおじいちゃん、めちゃめちゃ親切なお方で、英語でいろいろガイドしてくれはるんですが、90%分かりまへん~(笑)

途中、乗り遅れたバスが何らかの故障で立ち往生していました。

それを見て、おじいちゃんが叫んだ。

「ユー・アー・ラッキーマン~❗」

この時の英語は完璧に分かりました(笑)。

災い転じて福となす。

今朝の「えらいこっちゃ~❗」は、最終的に素敵な1時間のドライブになりました~~👍

☆  ☆   ☆   ☆   ☆

昨日、地域の考古学博物館で教えてもらった「大乗仏教」の素晴らしい遺跡と対峙できました。

それはウェッラワーヤという田舎町の外れ、ジャングルの中にありました。

地名はブドゥルワーガラ。

巨岩に彫られた3対の仏像に圧倒されました~❗

見事な磨崖仏です。

真ん中に高さ約15メートルの釈迦立像。

その両脇に、ちょっと小振りの3体の仏が刻まれています。

共に中央が普賢菩薩で、脇侍が名前不詳の菩薩。

言わずもがな、菩薩信仰は大乗仏教です。

だから、ここは紛れもなく大乗仏教の聖地。

かつてスリランカで自分の悟りだけを求める上座部(小乗仏教)から、他者を救済する大乗仏教への転換が図られた時期があったそうです。

だいたい7世紀ごろ。

しかし、12世紀に国王の名の下で弾圧されたと言われています。

目の前の石仏は9世紀の作です。

言葉で言い尽くせぬ独特な〈オーラ〉を放っています。

近くに仏教寺院の大伽藍跡があったので、当時、相当栄えていたのでしょう。

石仏のそばの岩に腰を下ろし、座禅を組んでしばし瞑想。

心が澄みわたってきました~🙆

☆    ☆   ☆   ☆   ☆

ウェッラワーヤの町で、これまた偶然、出会ったのが三輪タクシー(トゥクトゥク)の運転手で、公認ガイドのモハメッド・シーハンさん。

名前からして、ムスリム(イスラム教徒)。

この人のトゥクトゥクに乗って、素晴らしい磨崖仏と国内2番目のディヤルマの大滝を見に行きました。

非常に礼儀正しく、愛想が良く、英語による説明も分かりやすかったです。

で、あろうことか午前と午後、自宅に2度も招いてくれ、奥さんの手料理の朝食と昼食でおもてなしをしてくれはりました。

朝食はスリランカ風おにぎり&お漬物

昼食は数種類のカレー

娘さんが可愛かった

スリランカ人の家庭に呼ばれたのは初めて~👍

5歳の娘さんとも仲良くなれ、すごく楽しかったです。

昨年も南インドの漁師さんの自宅で家族一緒に昼食を取ることができました。

こんな経験をすると、ますます気まま旅にハマっていきますね(笑)。

夜はゲストハウスでスリランカ料理をいただきました。

ここのオーナーも気遣いがあり、ほんとうに優しかった。

スリランカに来て、ええ人ばかりに会っています。

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