Admin

筆者の詳細

登録日時: 2012年3月19日

バイオグラフィー

武部好伸(タケベ・ヨシノブ) 1954年、大阪生まれ。大阪大学文学部美学科卒。元読売新聞大阪本社記者。映画、ケルト文化、洋酒をテーマに執筆活動に励む。日本ペンクラブ会員。関西大学非常勤講師。

最新記事

  1. 時代劇大作『関ヶ原』……26日から公開 — 2017年8月17日
  2. 72回目の敗戦の日……。 — 2017年8月15日
  3. 八尾の心合寺山古墳を訪れて…… — 2017年8月14日
  4. フランスの大女優、ジャンヌ・モローさんが天国に召されました — 2017年7月31日
  5. 亡き母親に捧げる曲『温もりの日々』~♪♪ — 2017年7月29日

最多コメントの記事

  1. 『列車の到着』の映像、100余年の時を隔てて~ — 2 comments
  2. ポーランド紀行(7)~アンジェイ・ワイダ監督との奇跡的な出会い — 2 comments
  3. 大阪マラソン、完走できました~!! — 2 comments
  4. ポルトガル紀行(10) — 2 comments
  5. ちょかBand、『あの日、あの頃』をレコーディングしました~♪♪ — 2 comments

この筆者の投稿リスト

8月 17

時代劇大作『関ヶ原』……26日から公開

天下分け目の戦い、関ヶ原の合戦。

司馬遼太郎さんの原作を映画化した『関ヶ原』が26日から公開されます。

どちらかと言えば、地味な石田三成に光を当てています。

映画ファンのための感動サイト「シネルフレ(Cinereflet)」の『武部好伸のシネマエッセイ』で、この映画や関ヶ原について好き放題に書いています(笑)

戦国モノは、いろんな意味で面白いですね~(^_-)-☆

URLは以下です。

http://cineref.com/review/2017/07/post-816.html

8月 15

72回目の敗戦の日……。

ソ連兵の顔が見えるソ満国境(中国東北部)で守備隊を務めてたんや。

向こうの兵士、まだ幼かった。

こっちも20代前半やったけど。

凍傷におびえながらその酷寒の地で2年ほど駐屯していたら、いきなり九州の宮崎へ移れと命じられて。

大陸から九州へは輸送船で向かったんやけど、2隻が米軍の潜水艦の魚雷で沈没したわ。

宮崎に着いたら、米軍の本土上陸に備え、日南海岸で連日、朝から晩まで塹壕掘りと土嚢積み。

ほんまにしんどかった。

あぁ、ここで死ぬんやなと覚悟を決めてた。

1か月ほど同じ作業の繰り返し。

半日、休暇をもろうて都城へ行ったとき、戦友たちと一緒に玉音放送を聞いた。

街のどこかの運動場やった。

天皇さんの声、ほとんど聞こえなかった。

何を言うてるのかチンプンカンプンやったけど、これで戦争が終わったことだけはわかった。

「一人も殺さずに済んで、ほんまによかった」

心底、ホッとした。

涙は一滴も流れへんかった。

せやけど、3か月後やったか、復員して大阪駅に降り立ち、空襲で焦土と化した街を目にした瞬間、泣き崩れてしもうた。

日本が敗れた日、大日本帝国陸軍の兵長だった亡きオヤジ(当時、25歳)から生前、よく聞かされた話です。

ふと今日が近鉄上本町店で開催中の『「モノ」が語る戦争展』の最終日と知り、あわてて会場へ。

千人針、焼夷弾の模型、慰問袋、疎開用の服、米軍の情報宣伝ビラ(降伏を促す!)……。

興味深い品々がいっぱい展示されていました。

なかでも目が留まったのは、映画製作会社・日活の社員が出征した時の寄せ書き。

嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、月形龍乃介、志村喬、マキノ雅弘、稲垣浩……。

往年の映画スターと監督の名前がびっしりと記されていました。

実は、それを「解読」したのがぼくでした。

映画評論家となっていますが、ぼくはそうではありません(評論をしてことがありません)。

エッセイストです。

主宰者の1人で、、『孫たちへの証言』の出版を続けている福山琢磨さんから調べてほしいと依頼されました。

会場はほとんど年配者。

若い人たちにもっと戦争の悲惨さと愚かしさを知ってほしいです。

戦争がどんどん風化しているだけに、今こそ戦争教育の「新機軸」を打ち立てるべきだと思っています。

8月 14

八尾の心合寺山古墳を訪れて……

昨日、衝動的に大阪・八尾の田園地帯へ足を運びました~💨

生駒山脈のすそ野にある心合寺山(しおんじやま)古墳を見たくなったから。

アクセスはこんな感じです。

自宅⇒(地下鉄)⇒難波⇒(近鉄)⇒山本⇒(近鉄バス)⇒大竹⇒(徒歩)⇒古墳

1時間足らずで到着できました。

大竹バス停から生駒山脈方面へ緩い坂道をてくてく登っていくと、のどかな光景が広がっていました。

八尾には何度も来たことがありますが、この辺り(最東部)は初めて。

5分も経たないうちに古墳にたどり着きました。

南北160メートル。

5世紀前半に造営された中河内最大の前方後円墳です。

前からずっと気になっていたのですが、なかなか行動に移すチャンスがなくて……( ;∀;)

以前は雑草が生い茂るありきたりな丘だったそうですが、数年前、整備・修復され、きれいな公園のようになっていました。

埋葬者は皇族ではなく、地元の豪族なので、古墳の上に登れます~💡😁

そこに遊歩道が敷かれていたのにはびっくり。

堺、羽曳野、藤井寺、柏原、八尾……、大阪の南東部はほんま、古墳の「宝庫」ですね。

池をはさんで古墳を眺めていると、ヨーロッパに点在する古代ケルトの城塞と何となく似ているような気がしました。

〈向こうは紀元前5世紀以前、こちらは紀元後の5世紀……。1000年もスパンがあるのに、面白いなぁ〉

そのうち、ムラムラと執筆意欲が高まってきました。

そうなんです、過去5年間に欧州各地で古代ケルト遺跡をつぶさに探査(取材)してきておりまして、それらをまとめて『ヨーロッパ古代『ケルト』紀行』という本にまとめようと思っています。

ところが、『ウイスキー アンド シネマ~琥珀色の名脇役たち』(淡交社)や『大阪「映画」事始め』(彩流社)などの本を出すことになったりして、なかなか執筆に取りかかる時間がなくて……。

というより、なかなかモチベーションが高まらなくて~という方が正解です。

11月出版予定の『ウイスキー アンド シネマ 2』が一段落したので、頭の中を映画とお酒から「ケルト」へシフトし、そろそろ『ヨーロッパ古代『ケルト』紀行』に向けてアクセルを踏み込もうと思った次第。

ベネルクス三国(ベルギー、ルクセンブルク、オランダ)、ポルトガル南部、フランス南部と西部、ドイツ南部と西部、スペイン中部……。

地域が多岐にわたっており、情報量もやたら多く、まとめるのが大変だと思います。

でも、ちゃんと記録として残しておきたいので、始動します!!!

まさか日本の古墳を見て、遠く離れた欧州「ケルト」の執筆の動機付けになろうとは思わなかった……(笑)

八尾にやってきてよかった、つくづくそう思いました。

7月 31

フランスの大女優、ジャンヌ・モローさんが天国に召されました

フランスの世界的な大女優、ジャンヌ・モローさんが永眠されました。

享年、89。

大好きな女優さんのひとりでした。

『死刑台のエレベーター』、『突然、炎のごとく』、『黒衣の花嫁』……。

知的で洗練された演技が忘れられません。

ぼくが古巣新聞社の文化部(映画担当)記者だった1997年9月26日の夜、京都のホテルでモローさんと単独インタビューしました。

このとき、66歳。まだまだお若かった。

京都国際映画祭(東京国際映画祭の京都バージョン)の審査委員として来日されたので、映画祭事務局に何とかお願いして取材させてもらったんです。

非常にインテリジェンスの高い人で、ぼくの質問に対し、間髪入れず回答していただきました。

日本映画に関心を持っておられ、「日本では年間、何本の映画が製作されているのですか?」と逆取材されました(笑)

お母さんが英国人とあって、英語もべらべら。この時はフランス語でしたが……(もちろん通訳付き)。

翌日の夕刊一面に掲載されました。原稿最後の「(好)」はぼくのことです。

その日行われた映画祭の記者会見で、モローさんがぼくを見つけ、満面の笑みで手を振ってくれはりました。

めちゃめちゃうれしかった!!

最高の思い出です~(^^)/

安らかにお休みください。合掌……。

7月 29

亡き母親に捧げる曲『温もりの日々』~♪♪

母親が亡くなって、25日が経ちました。

喪中の間、何かと自粛するのが常ですが、うちの「お母ちゃん」は気楽な、かつ明るい人でしたので、そんなことしていたら、「何を陰気なことやってるのん」と叱られてしまいます。

なので、悲しむよりも、甲子園観戦、ちょかBandのライブ、ランニング、飲み会……と、いつも通りアクティブに動いてきました。

それが供養になっていると思うています。

40代(?)の「お母ちゃん」

もう1つ、供養しました。

「お母ちゃん」の歌を創作したんです!

12年前に他界した父親を追悼した曲『あの日、あの頃』を母親が知り、ちょっとやっかみはりまして~(笑)。

「うちの曲も作ってな」

「わかった、わかった。死んだら、作ったるわ」

軽い気持ちでこんな約束をしたんです。

永眠してから、それが「遺言」のように思えてきまして……。

さる5月22日、近くにある靭公園のバラ園を見に行った時、ふと母親のことを思い浮かべました。

この時は、体調を崩し、すでに入院していました。

「お母ちゃん、どうしてるんやろ。そろそろ見舞いに行かなあかんなぁ」

心配しながら、香しい匂いを放つ色とりどりのバラの花を眺めていると、軽やかな明るいメロディーが頭に浮かびました。

音楽の神サンからのプレゼント!

まさにそんな感じでした。

このメロディーにしかるべき歌詞をつければ、母親に贈る曲ができると思い、幼いころの記憶の糸をたぐり寄せていきました。

そして、ついに完成しました!

『温もりの日々』という曲。

稚拙な歌詞ですが、飾り気のないぼくの素なる気持ちです。

湿っぽくなく、全く追悼曲らしくありません(笑)。

「お母ちゃん」がめちゃ喜びそうな歌やと思うています。

悔やまれるのは、この曲を元気な時に聴かせてあげたかったということ。

まぁ、今さら言うても、詮のないことです。

ちょかBandのライブでお披露目します。

お楽しみに~♪♪

以下、歌詞を公開します。

オヤジさんへの追悼曲『あの日、あの頃』の歌詞も添えておきます。

7月 28

芯のある青春映画~『君の膵臓をたべたい』

意表を突くタイトルで話題になったベストセラー小説(著者・住野よる)の実写映画化。

単なるお涙頂戴モノに終わらせず、生きることを真正面から見据えた、芯のある青春映画に仕上がっている。

©2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 ©住野よる/双葉社

明朗快活な高校2年生の桜良(浜辺美波)はクラスの人気者だが、実は重い膵臓病を患っている。

読書好きの同級生の僕(北村匠海)がそのことを知るや、彼女が急接近する。

2人が図書委員というのがミソ。

©2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 ©住野よる/双葉社

原作とは異なり、12年後に母校の高校教師になった僕(小栗旬)が、取り壊される図書館で蔵書の整理中に高校時代を回想する。

©2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 ©住野よる/双葉社

過去と現在との交錯。

映画的にはこの方が向いている。

舞台となる図書館の佇まいが素晴らしい。

ヒロインを想起させる窓の外の桜花、その窓から降り注ぐ穏やかな陽光。

これが映画の淡いトーンを決めていた。

2人の距離感が非常に曖昧だ。

©2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 ©住野よる/双葉社

一緒に福岡まで旅に出かけるのに、恋人ではない。

かといって友達でもない。

そんな既成の感情では推し量れない〈絆〉が彼らを結びつけている。

日々、ひたむきに生きようとする桜良と、何とか彼女に寄り添おうとする僕。

物語の核心ともいうべきこの関係性を月川翔監督はあえてスケッチ風に軽やかに描いた。

それが功を奏したといえる。

©2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 ©住野よる/双葉社

2人は純粋で初々しい。

そこに切なさと儚さを加味させ、嫌味のないヒューマンドラマへと昇華させた。

ただ綺麗ごとが多い。

少し毒気を添えてほしかった。 

成人になった桜良の親友、恭子(北川景子)がウエディングドレス姿で号泣するシーンは胸に染み入る。

©2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 ©住野よる/双葉社

この長回しはクライマックスとして見ごたえ十分。

大人からすれば、こんな青春譚は青臭く感じられ、観るのを躊躇しがち。

でも偏見を捨て、本作と向き合ってほしい。

何かビビッとくるはず。

©2017「君の膵臓をたべたい」製作委員会 ©住野よる/双葉社

1時間55分

★★★★(見逃せない)

☆TOHOシネマズ梅田ほかで公開中

(日本経済新聞夕刊に2017年7月28日に掲載。許可のない転載は禁じます)

7月 16

ちょかBand、祇園祭の京都で燃えました~♪♪

昨日は祇園祭の宵々山(15日)、京都は祭りムード一色でした。

鉾町から少しはずれた隠れ家的なバーhayasakaba(ハヤサカバ)で、ちょかBandがライブを開催!!

すごくオシャレな空間で、思いっきり弾けました!!

大阪人のノリが京都人にもめちゃ受け、ずっと盛り上がりっぱなし。

マスターの早坂さんは埼玉生まれの実直なバーテンダーです。

以前のお店(木屋町三条上るの和風バー「文久」)で知り合い、15年来のおつき合いになります。

今年4年目を迎えた今のお店でこんなふうにライブができ、ほんまによかった、よかった~(^_-)-☆

それも同店で初のライブ!!!

ともあれ、皆さん、楽しんでくれはったのがうれしいです。

早坂さん、来てくださった方々、ほんまにありがとうございました。

イェーツ~(^.^)/~~~

7月 11

50年前の長編大作『人間の條件』を観賞した主演、仲代逹矢さんの舞台挨拶~(^_-)-☆

今宵、梅田の映画館でのハリウッド映画完成披露試写会をキャンセルし、九条のミニシアター「シネ・ヌーヴォ」へ駆けつけました~💨🏃

同映画館で開催中の『生誕101年 小林正樹映画祭 反骨の美学』で、小林監督の代表作『人間の條件』(1959~61年)全6部が一挙上映されています。

この作品に主演した84歳の御大、仲代達矢さんが本作を鑑賞するために来館し、舞台挨拶をされました。

出演時は20代後半でした~❗

仲代さんを間近で目にできる最後のチャンスと思い、予定を変更した次第。

さすが圧倒的な存在感でした。

「『人間の條件』は偉大なるリアリズムの映画。軍国少年だった自分が、こういう骨太な反戦映画に出演でき、運命的なものを感じています」

「昔の日本映画は、スタントマンなんていないから、役者が体当たりで演技し、ゲンコツで殴られたりしてひどい目に遭いました(笑)。でも、絵(映画)になって素晴らしいものになればいいなと思っていました」

さらにこんな裏話もーー。『人間の條件』の1、2部を撮ったあと、半年の休暇期間中に黒澤明監督から声がかかり、『用心棒』に出演。3、4部のあとの休みに『椿三十郎』の撮影に臨んだーーなどなど。

こうした生きた証言を肉声で聞くことができ、ほんまに、ほんまにうれしかったです~💡😁

仲代さんは、明日(12日)も『人間の條件』完結編をシネ・ヌーヴォでご覧になられ、そのあと舞台挨拶されます(午後3時40分ごろ)。

蛇足ーー。この映画、学生時代に全6部を通しで観ました。戦争に巻き込まれたら、ヒューマニズムなんて呆気なく吹き飛んでしまう、そのことを強く実感した忘れ難き作品です。

7月 07

夫婦で地道な反ナチ抵抗活動~『ヒトラーへの285枚に葉書』

ミュンヘン大学での白バラ抵抗運動、ヒトラー暗殺未遂事件……。

第二次大戦中、ドイツ国内での反ナチ活動を題材にした映画が少なからず作られてきた。

その中で、市井の民を主人公にした本作は異色作といえよう。

© X Filme Creative Pool GmbH / Master Movies / Alone in Berlin Ltd / Pathé Production / Buffalo Films 2016

首都ベルリンで暮らす職工夫婦による国家反逆事件。

2010年に原作小説が英訳され、全世界で話題を呼んだ。

その流れで英語劇になったが、やはりドイツ語で撮ってほしかった。

© X Filme Creative Pool GmbH / Master Movies / Alone in Berlin Ltd / Pathé Production / Buffalo Films 2016

1940年6月、オットーとアンナの夫婦の元に出征した1人息子の戦死通知が届く。

たった1枚の無情な紙入れ……。

人間の尊厳が全く感じられない。

それがオットーの怒りを駆り立てた。

「総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう」

こんなメッセージを記したカードを人目のつく場所に置いた。

これを機にヒトラーを告発する内容へとエスカレート。

元々はわが子への愛情と贖罪から発した行動。

その地道な活動は約2年間も続き、市内各所に置かれたメッセージカードは285枚に達した。

© X Filme Creative Pool GmbH / Master Movies / Alone in Berlin Ltd / Pathé Production / Buffalo Films 2016

組織的な抵抗運動と睨んでいたゲシュタポ(秘密警察)の担当警部(ダニエル・ブリュール)が捜査方針を転換させてからの動きが実にスリリング。

サスペンス映画としても観させる。

夫婦が住むアパートには反体制的な判事、身を隠すユダヤ人女性、筋金入りのナチス党員、密告者らが暮らしている。

まさに当時のドイツ社会の縮図だ。

© X Filme Creative Pool GmbH / Master Movies / Alone in Berlin Ltd / Pathé Production / Buffalo Films 2016

英語劇なので、ブレンダン・グリーソン(アイルランド人)とエマ・トンプソン(英国人)という外国人俳優を主演に起用した。

しかし共に超演技派とあって、違和感を覚えなかった。

© X Filme Creative Pool GmbH / Master Movies / Alone in Berlin Ltd / Pathé Production / Buffalo Films 2016

スイス人のヴァンサン・ペルース監督は畏敬の念を持って勇気ある夫婦の姿を映像に再現させた。

こういう実話は絶対に風化させてはならないと強く思った。

1時間43分

★★★★(見逃せない)

☆7月8日(土)シネ・リーブル梅田、シネ・リーブル神戸、7且29日(土)京都シネマ

(日本経済新聞夕刊に2017年7月7日に掲載。許可のない転載は禁じます)

7月 05

90歳の母との別れ……

母親(武部多賀子)が4日朝方、入院先の岡山の病院で永眠しました。

享年、90。大往生でした。

 

大阪・玉造の小さな印刷屋の「お嬢さん」として生まれた生粋の浪花っ子。

母の父親(祖父)が経営するその印刷屋で丁稚奉公していた、上六(上本町六丁目)生まれの亡き父親と見合い結婚しました。

人柄は、頑固な職人気質のオヤジさんとは全く対照的。

おおらか、楽天的、おっとり、能天気、ええ加減、ずぼら、わがまま、怖がり、忍耐強くない、喋り、ゲラ、お調子者、明朗、ええカッコしい、放任主義、世間知らず、八方美人、メロドラマ大好き、そしてミーハー(嵐の松潤の大ファン!)……。

そんな母親がぼくは大好きでした!!

 

遺伝子のいくつかが確実に受け継がれていますしね~(笑)

高校時代、友達を家に連れて来ると、母親はきまってお好み焼きを大振る舞い。

 

「めちゃめちゃ美味い!」と友達からおだてられ、それを真に受けて、「いつかお好み焼き屋のおばちゃんになる」と本気で言ってましたが、その夢叶わず。

晩年は兄夫婦が暮らす岡山に転居。

 

たまに会いに行くと、大好物のバッテラと鉄火巻きを摘まみながら、「何でもええから大阪のこと喋って」とせがまれました。

 

大阪が恋しくてたまらんかったんでしょうね。

ぼくが弱音を吐いたり、悩んでいたりすると、「そんなん別にどうでもええやん」が口癖。

 

ほんま、無責任な親でしたわ~(笑)

実に穏やかな死に顔でした。

 

卓抜した化粧の技で、びっくりするほど若返り、べっぴんさんに変身してはりました。

88歳の誕生日に撮影した遺影とは別人でした(笑)

 

若い時の写真も出てきました(撮影時期と場所は不明??)。

 

基本、オシャレな人でした。

なので、戒名は「多幸装美大姉」と命名されました。

通夜、告別式を終えた今、この言葉しか出てきませんわ。

「お母ちゃん、ほんまにおおきに、ありがとさんでした~!!!   お父ちゃんとあちらの世界でお幸せに~!!」

古い記事へ «